第8話 蒼石(サファイア)のエージェント
放課後、それも日が沈んだ校舎の中。
藍色の髪を靡かせながら、薄暗い廊下を駆け抜ける少女が一人。
今日転校して来たばかりの生徒、蒼蘭だ。
彼女は理科の非常勤講師、胡桃沢から渡された『小道具』を手にして、急足で聖を探していた。
◆
(時は放課後すぐに遡る)
完全に失敗した。
放課後に聖と話す予定が、完璧に崩壊してしまった。
その原因は何か?6限目の授業前に眠気覚ましに飲んだコーラ、あれがいけなかった。
担任の萌木先生が発するポワポワとした催眠音波、それは確かに午後の授業で迎え撃つには余りに危険だった。
だが、コーラの利尿作用を甘く見すぎていた。授業後半から帰りのホームルームにかけて、ずっと尿意を我慢していたのだ。女性の身体は、男性よりも尿を我慢しづらい。俺は帰りの挨拶後、すぐにトイレへ駆け込む羽目になった。
何とかクラスメイトの前で漏らすという最悪の事態は回避できたが、トイレから戻るとあろう事か聖の姿が見当たらなかった。しかも、炎華の姿もなかった。
クラスの女子に聞いたところ、一緒に帰った訳ではないが聖は急いでいるようだった、との事だ。
◆
そして、途方に暮れた俺は科学室にいる胡桃沢博士を訪ねた。
「う〜ん……
君は白百合さんや葡萄染さんと、携帯番号やチャットアプリの友達登録はしなかったのかい?」
「すみません……出来ませんでした。」
「何故?」
「いやちょっと……勇気が出なくて……」
胡桃沢博士は、呆れたように「はぁ……」と息を溢した。
仕方ないじゃないか。だって、今まで女子と話す機会なんて殆どなかったのだから。授業中とか部活以外、それこそ放課後遊びに行くとかメールアドレスの交換だとか、そんな経験は皆無だ。なので昼休み中にアドレス等の交換なぞ、心の準備が整う訳がないではないか……。
「まぁ、過ぎた事は仕方がない。次の手段を探ろうじゃないか。
君は白百合さんが、夜の校舎で襲われる予知を見たと言ったね。」
「はい、予知では教室の日めくりカレンダーが今日の日付でした。」
「そして、君は今日の魔術演習でも『未来予知』の能力を使ったと。」
「ええ。意図的に使うつもりはなかったのですが、炎華が発動させる魔法が先に見えたんです。」
「ふむ。
そして君が先ほど報告してくれた、今日一日の学園での出来事を照らし合わせると……」
博士は顎を指で撫でていたが、ふとニカッと笑って見せた。
「喜び給え、蒼蘭くん。
君の第二魔法を使いこなす方法が分かったかもしれん。」
「本当ですか!?」
「ああ!
こうなった以上、君が力尽くで葡萄染さん……もとい彼女を操る何者かを止める必要がある。
だが、今の君の実力ではそれも叶わない。かといって、起きてもいない事でこの学園の人員を動かす事は困難……。
何せ『未来予知』なんて魔法は太古の魔女が用いる、謂わば神話級のレア物だ。誰も信じないだろうし、私もエビデンスがもう少し集まるまでは国へ報告もしたくない。余りにも事が事なのでね。」
胡桃沢博士は半ば興奮気味に、半ば考え込むような表情で語りかける。事態は俺が思う以上に厄介なようだ。
「とはいえ第二魔法の発現方法は、分かってしまえば単純なカラクリだったよ。
私の仮説が正しいか否か、それは今夜証明される。
最も今は時間がない。君には校内の地図を暗記して貰い、更には日没までにルートを確認して貰う必要がある。
故にぶっつけ本番だ。私も最悪の事態には備えるが……君はどうだ?私の仮説に賭け、白百合さんを救うのに尽力してくれるかい?」
俺は数瞬考えた後、短く「はい」と返答した。
不安は正直沢山ある。だが、聖も炎華も良い奴だと感じた。短い付き合いだが、助けられるのなら彼女らの事を助けたいと思った。
「さて、仮説を君に伝える前に……コレを渡しておこう。」
そう言いながら、胡桃沢博士はある物を渡して来た。
拳銃だ。
「なッ!?こんな物騒なモノを持ち歩けと!?それこそ大ごとになりますよ!!」
「落ち着け、コレはただの玩具さ。」
博士はマニキュアで彩られた爪で、銃身を弾いた。部屋に響いたプラスチックの音が、博士の言う事が真実であると証明する。
「よく出来ているだろう?我ながら、リアルさには自信ありさ。」
「博士が作ったんですか?それにしても、何故これを?」
俺の質問に、博士は悪戯っぽく笑いながら答える。
「おやおや、忘れたのかい?
私の魔法は『羽衣人形』、対象者を衣装や小道具で着飾る事で、『その役になりきらせる』能力。
要は暗示系の強化魔法だ。
……そして今の君は、『瑠璃海蒼蘭』の皮を着て暁虹学園に編入……もとい『潜入』しているね。
君の様な『敏腕エージェント』には、拳銃の一つでもあったほうが様になるだろう?」