第70話 妖精淑女は朗らかに笑う
二話掲載分、後半です!
そして、戦いは今回で決着となります!
◆
かくして、この場に二つの氷像が出来上がった。
その内の一つ、人型の像は何かを言いたげにモゴモゴと蠢いている。が、口も固められて音も氷で遮られているため、氷像の製作者にとっては単なる雑音でしかない。
ピシッ
不快な雑音とは打って変わり、背筋が凍り付く様な音が聞こえた。凍てついた『ドリアード・マザー』の身体に、ヒビが入った音だ。
ピキピキ……ピシッ……ピシッ……
ひび割れが徐々に広がっていく。
青髪の少女は咄嗟に飛び退き、凍った床を滑りながら後退する。
(まさか、完全に凍って無かったのか!?)
蒼蘭の心臓が早鐘を打つ。彼女の身体には、もう殆ど魔力が残っていない。この状態で魔物の相手をするのは不可能だ。想定しうる最悪の状況-ドリアード・マザーの復活に、蒼蘭は背筋を震わせた。
だが、彼女の予想は幸いにもハズレだった。
硝子の像が砕け散る様に、白銀のオブジェと化した魔物がバラバラの氷塊になったからだ。
一瞬の安堵。
しかし、それは魔物の中から現れたものによって直ちに終わりを迎えた。
「え……?『エルフの女の子』!?」
ドリアードの身体が砕け散るのと同時に、氷塊の中から銀髪の少女が現れたのだ。
「え、ちょ、あわわわわっ!」
蒼蘭は落下する少女に駆け寄って、彼女の身体を受け止めた。背丈は人間基準で十代前半ほどの小柄な少女だった。服を着ておらず、下着が覆うべき場所に申し訳程度のボロ布を纏っており、色白の肌には所々に痣があった。
(え、え、え!?何で魔物の中からエルフの女の子が……?そういやコイツ……グザヴィラは『奴隷』がどうとか言ってたよな……?まさか、この娘、その『奴隷』?
いや、それよりも……まさか、この子、死んじゃった…………?)
もしこの少女が命を落とした場合、死因は何であろうか?
凍死、体温低下、低温やけど…………。
「うわあああああ!!炎華、聖、この子を治療してえええええ!!」
半ばパニック状態に陥りながら、蒼蘭は彼女たちの元へ走りだす。状況を遠目に見ていた頼れる魔女達は、すぐさま治療に取り掛かる。
「セーラ、その子をあーしの側に寝かせてあげて」
「うん、わかった!」
炎を出して暖を取らせている魔女達の側に、エルフの少女を横たわらせる。すると聖が、少女の口元に耳を当てた。
「まだ呼吸がある…………生きてるよ、この子!『ヒーリング』!」
聖は治癒魔法で少女の身体の傷を癒す。少しずつだが、エルフの身体からは傷が消えていく。しかし、聖もかなり魔力を消耗しており、すぐさま怪我が元通り、とはならなかった。この様子を見ていた沙織が、瓶を2本差し出して来た。
「聖ちゃん、これ使って」
「これは、私達が作ったポーション!?」
「うん。君たち三人から貰ったヤツ。いざという時まで温存していたんだけど、取っておいてよかった。2本もあれば足りる筈だから、残り1本は私が貰うね」
実は昨晩の段階で沙織は蒼蘭から、今回の課外授業で作ったポーションを渡されていたのだ。
『もしお姉ちゃんが怪我をしたら、このポーションを使って!』
それは、姉の身を案じた妹の優しい心遣いだった。それを思い出した聖と炎華は先程沙織と別れる前に、もしもの為にと自分たちが作ったポーションを渡したのだ。
「それと、炎華ちゃん。もし魔力に余裕があるのなら、火力はもっと上げて大丈夫だよ」
「でも、それだとアイツまで溶けちゃいませんか?」
炎華が指差したのは、氷漬けになった今回の事件の首謀者。魔物を呼び寄せ、学友を傷つけ、そして友達に恐怖を菌糸類と共に植え付けた、とんでもない悪党。もし室温をこれ上げれば、凍った魔術師が復活する恐れがある。そうなれば、また襲いかかってくるか、逃げられる事だってあり得るだろう。
「大丈夫。後はお姉ちゃんに任せて」
ニッコリと微笑むと、沙織は蒼蘭の頭を優しく撫でた。
「妹が最高にカッコいい所を見せてくれたんだもん。なら、お姉ちゃんも頑張らないとね」
「お姉ちゃん、疲れは大丈夫なの?」
「大丈夫。お姉ちゃんには、蒼蘭ちゃんがくれた残り一本のポーションがあるから」
彼女は小瓶を手に持って、禍々しい氷像に悠々と歩みを進めた。
瓶の蓋を開け、中身を飲み干す。
美味い。
やはり工場の既製品とは違い、作り手の真心が感じられる。最愛の妹が魔法薬に込めた思いやりが、沙織お姉ちゃんの身体に染み渡る。
このポーションには、魔力を回復させる作用はない。
だが、そんな事は関係ない。
重要なのは沙織の心境、即ち精神である
沙織は妹が自分にくれたポーションのお陰で、疲れも吹き飛び、残りの魔力で十分に戦う事が可能になったのだ。
「『遺伝子改造』!」
沙織の腕が赤い殻を持つ甲殻類の物になった。エビに近しい見た目のそれは、生物界で最速のパンチを繰り出すと言われている、『シャコ』の物だった。硬い殻の中で筋肉が躍動し、力を蓄える。
「おりゃあッ!」
そして、それを悪党の腹部めがけて一気に解放した。
氷は簡単に砕け、グザヴィラの身体は宙に舞う。すかさず逆の手で頬を殴り飛ばし、魔術師は倉庫の奥へ吹っ飛んでいった。
「あ、あがが……」
数本の肋骨と右側の奥歯が砕け、内臓もかなりのダメージを受けている。それでも死なないのはお姉ちゃんの絶妙な手加減と、腐っても相手がAランクの魔術師だからである。異世界の魔術師は冒険者と同様にランク付けされており、基本的に同ランクの魔術師と冒険者は同程度の実力として扱われる。魔術師組合では厄介者扱いされてはいるが、このグザヴィラは腐ってもかなりの実力者なのである。
「殺しはしないよ。沙織お姉ちゃんは優しいから。だからあなたは、私への優しさへの『対価』として情報を喋って貰うわ。それと、蒼蘭ちゃんを筆頭に被害者への反省もして貰わなきゃ」
靴音を倉庫内に響かせながら、地に伏した魔術師にゆっくりと近づく。
「う、動くなぁ!!」
グザヴィラは起き上がると、手に持ったオーブを沙織に見せた。
「ば、馬鹿め!本当に異世界人とは野蛮で知恵もないらしいな!この建物にいる、他の職員がどうなっているのか、疑問に思わなかったのか!?」
「…………まさか、この期に及んで人質に取ろうって言うの?」
「そうだ、その通りだ!今、見せてやる!お前の同胞の命は、私が握っていることを!」
オーブから光が出現し、倉庫の壁に映像が映し出される。まるで映画の様なカラクリである。
そして、そこには確かに映っていた。
普段はこのポーション工場で働いていると思われる、白衣の研究者と職員が。
「は…………?」
しかし、それはとても『人質』とは思えないような様子であった。何故なら、全員がテーブルを囲んで、紅茶と茶菓子を手にしているのだから。
『あら?この魔法は、異世界からのお客様かしら?』
まるでカメラを覗き込む子供の様に、金髪の少女がズイッと映像に入り込んできた。
「き、貴様は……『アゲハの大魔女』!?」
『まぁ、私の事をご存知なのね!何だか、ちょっとだけ嬉しいわ!でもあなた、ここで働いている人を狭い所に閉じ込めるなんて、幾らお客様でも非礼が過ぎると言うものだわ。こうして美味しいお茶とお菓子を囲む様な間柄こそ、魔女として、そして淑女として目指すべき事ですよ』
「ほ、他の人質は…………」
リモコンでテレビのチャンネルを切り替える様に、魔術師は映像を他の部屋へと変える。だが、どの映像も、女性職員達が金髪少女の主催者により、紅茶とお菓子でもてなされているものだった。強いて言えば一つだけ、表情筋の硬いネイビーの髪色をした女性が紅茶を注いでいたが、最早そんな事はグザヴィラにとってどうでも良い。
暫くは狂った様にチャンネルを変えていた魔術師が、ここへ来て逃亡を図る。脱出用の魔術道具で、この空間からの転移を試みる。
しかし、反応がない。
「何故だ、何故だ、何故だ!?負傷しただけで、魔力は回復している筈だ!何でアイテムが作動しない!?」
「当然じゃない。だって、私が転移を阻害しているのだから」
地べたに座り込んだ魔術師と、その魔術師を殴った沙織が揃って声のした方角、即ち天井へ視線を向ける。そこには丁度、ワーム・ホールの中から姿を現した、ブロンドの髪をした少女がいた。
彼女こそが暁虹学園の初代理事長にして『アゲハの大魔女』、マギナ・ロイジィ・スワローテイルだ。
「『転移の阻害』だと……?」
「ええ。蒼蘭お姉様達を連れ去られない様に、この子達がずっとあなたの邪魔をしていたの」
マギナが指を鳴らすと、突如として虹色の蝶が出現した。いや、正確に言えば、『姿を隠していた蝶が目の前に現れた』のである。妖精の使い魔である虹色の蝶は、主人の『認識阻害』により誰の目にも映らない状態にあった。更に、アゲハの大魔女は『空間魔法』の使い手である。故に使い魔を通じて、転移魔法を妨害させる事も可能なのだ。
「あなたが茸を寄生させて魔力を吸い取った理由、ご自分の研究もその内の一つなのでしょう。でも本当は…………『転移魔法を使えなかった。その原因が魔力不足だと思った』と言うのが大きいのではなくって?」
グザヴィラの表情から、血の気がどんどん引いていく。それはそうだろう。目の前の少女、否、少女の形をした『大魔女』は、介入しようと思えばいつでも出来たと言っているのだ。
即ち、自分はずっと手のひらの上で踊っていた事に他ならない。自分の置かれた状況を認識した彼は、自分を送り出した『大賢者ラジエル』の言葉を今更ながらに思い出した。
『アゲハの大魔女とは戦わない方が良いよ。今のキミじゃ到底敵わない相手さ。何せ、かつて女神様の力を封印した張本人だからね』
そう語る大賢者は、口調も表情も確かに明るかった。だが同時に、表情の端からは怒り、憎しみ、妬み、そうした負の感情が僅かに顔を覗かせていた。
そして、大賢者が嫌悪し警戒をする程の魔女が目の前に現れた。自らの命運を察した魔術師グザヴィラは、これから自分を始末するであろう大魔女に懇願をする。
「待て、待ってくれ、『アゲハの大魔女』!私はA級魔術師、そして次期宮廷魔術師の腕を持つ者だ!お前たちの世界には、私程の魔術師がどれだけ存在する!?もし私を殺せば、この世から優れた魔術師が一人失われる事を意味するのだぞ!?私を始末する事で発生する『損害』が如何程のものか、学のある者であれば理解できる筈だ!」
マギナは空中で不思議そうに首を傾げた。ブロンドのツインテールが重力に引っ張られてプラン、と揺れる。そして十数秒後、手のひらをポン、と拳で叩いた。
「なるほど、あなたの言いたい事が分かったわ。つまり、命乞いをしているわけね。あなたは、『アゲハの大魔女が自分を殺そうとしている』と思っているのね。大丈夫、そんな事はしないわ!」
妖精淑女は、相手を安心させる様に、朗らかな笑みを浮かべて見せた。その言葉に、きっと異邦からの魔術師は安心しただろう。
「だって、私が手を出すまでもないのだから」
「…………………………は?」
グザヴィラの思考が一瞬止まる。
(え、なら、コイツは何をしに来たんだ……?単なる種明かしか?だとしたら、だいぶ正確悪いぞ……。まさか、目の前にいるエビ女に痛ぶられるのを特等席で見るためか……!?)
結論から言えば、彼の予想は全部外れだ。
その答え合わせは、彼の頬を掠めた瑠璃色の矢により行われた。
「『蒼石の流星』」
放たれた水の矢はコンクリートの床を抉り、その威力をターゲットに知らしめる。
「人を実験材料にして、女の子の身体に生き物を寄生させて、しかもエルフの子まで魔物に取り込ませていたなんて…………。挙げ句の果てには、追い詰められたら人質を取って脅す?とんだ腐れ外道ね、あなた」
パリポリと、虹色の結晶を噛み砕きながら、蒼蘭はグザヴィラに歩み寄る。その声色から、表情から、彼女が怒りに燃えているのは明らかであった。
「ま、待て、止めろ、止めてくれ……あがっ!」
グザヴィラには抵抗する魔力も術もない。
故に言葉での制止を試みるが、それも叶わなくなった。
倉庫内に置かれたプラスチック製のホースが沙織の血を浴びて、巨大なアナコンダとなって魔術師の身体に巻き付いたからだ。決して逃すまいと、妹を傷つけた悪者を決して赦すまいと、全力で拘束しているのだ。厳密には左半身、心臓のある側の拘束は僅かに甘い。蛇の隙間から、心臓を穿てるように。
「私の友達を危険な目に合わせて、挙げ句の果てにはほんの少しだけ違う未来で、私のお姉ちゃんを…………。お仕置きが足りない様だから…………追加オーダーよ!穿て、『蒼石の流星!』」
水の矢は空を切り、魔術師の身体に直撃した。
「あ、ああ…………あ……」
貫いたのは、心臓の斜め上。左肩だった。
「貴方は大事な情報源。得意げに話していた出世の皮算用に出て来てた、王様やら女神様やら『大賢者』やら…………喋って貰わなきゃいけない事がまだまだ沢山ある!
……まぁ、私も流石に本気で人を殺すつもりはないから。って、もう聞こえないか」
課外授業を滅茶苦茶にした悪党は、痛みと恐怖で気を失った。蒼蘭は『これで良かったんだよね?』と姉に目配せをする。沙織は、キメ顔とサムズアップで妹の問いに返答する。
かくして『瑠璃海 蒼蘭/雨海 惺』はまた一つ、異世界人が起こす事件を解決したのである。
次回で一応は、2.5章本編は終了となります。
後は、幕間を2〜3話程挟んでから第3章へ移る予定です。