第66話 少女を蝕む魔性の茸(くさびら)①
本日は一気に二話掲載します。
今回は人によってはグロテスクに思える描写がありますので、無理に引っ張らずに同日中に出します。
ですが、今日の更新分では現在の章は終わりません。あくまでキリのいい所として二話分上げようと思った次第です。
◆
樹木の根が張り巡らされた研究施設を、三人の魔女は駆け抜ける。そして彼女らの前を、燃え盛る鷹が植物を焼き切りながら飛翔している。照明が破壊されて薄暗く、オマケに足場が最悪なこの廊下をここまで早く移動できるのは、他でもなく炎華のお陰である。
「ひじりん、さおりん姉、大丈夫?結構燃やしてるけど、煙たくない?」
この非常事態でも炎属性のギャルは、周囲の人間に気を配る。
「私は大丈夫、沙織さんも……」
聖は走りながら、並走する親友の姉に治癒魔法をかける。
「『ヒーリング』!
『リフレッシュ・オーラ』!」
沙織の身体が淡い光に包まれ、気道や肺の異物感が瞬時に消え去った。彼女が扱うのは初級・中級の汎用魔法だが、魔力量に物を言わせて重ねがけしている。故に、幾ら植物が燃焼していても呼吸困難になる事は無かった。
(なるほどね……確かに、しず君がベタ褒めするだけの事はあるわ)
沙織は内心、この若き魔女達に感心していた。
だが、この事態を起こした黒幕は、易々と此方を通してはくれないらしい。
「ヤバい!前から何か来る!」
焔に照らされた『生き物の姿』を見て、炎華が声を張り上げる。その生物は全身の肌が緑色で、口から見せる立派な牙が特徴的だ。服装は腰巻きや肩当てと言った最低限のものだが、手には棍棒や斧、槍に大鉈まで多様な武器を携えている。数は5体、隊列を組みながら魔女達へ相対する。
身長は2m前後、ゴブリンを彷彿とさせるが二回り以上の強さを持つ、異形の魔物『オーク』だ。そしてファンタジー世界の住民が、人気のない工場の廊下に居る理由など一つしかない。彼らを『召喚した魔術師』の警護、そして主人の果たす『偉業』を妨げる者の……排除だ。
先頭のオークが咆哮を上げ、手にした棍棒で魔女に襲いかかる。天翔る気炎の猛禽が顔面に直撃するも、ここまで植物を焼き払って来た為、威力は大分落ちている。初撃で倒すには至らない。
だが、沙織が懐に飛び込むには、十分過ぎる時間を稼いでくれた。
「二人とも下がってて!巻き込まれると危ないから!」
彼女は聖と炎華に注意喚起をしながら、自らの腕を真っ赤に変色させて、握り拳をオークの腹に叩き込んだ。
異形の魔物は、沙織の攻撃を避けようともしなかった。華奢な身体をした淑女が繰り出すパンチの威力など高が知れている。人間の女など、彼らにとって食糧か性欲を満たす肉袋でしかない。
が、その見通しの甘さは文字通り『命取り』だった。拳を喰らったオークの全身に激痛が走り、苦悶の咆哮を上げて絶命した。
「え、嘘!?さおりん姉、フィジカル強くね?」
「炎華ちゃん、それは違うと思う……。沙織さんの腕、多分だけど『ヤドクガエル』と同じものになってるんだよ」
「おー!流石は物知り眼鏡っ子な聖ちゃん、大正解!後でお姉ちゃんから花丸をあげちゃおう!」
沙織が褒めたように、聖の推測は当たっていた。強力な毒を持つ『イチゴヤドクガエル』の皮膚に、沙織は自らの腕を変化させたのだ。ついでに言うと、今の彼女の手には毛蟹を彷彿とさせる棘が生えていた。甲殻類由来の微細な棘が魔物の肌を傷付け、そこにヤドクガエルの毒をたっぷりと塗り込む。
これが沙織の固有魔法、『遺伝子改造』を十全に活用した必殺技『お姉ちゃんパンチ』のメカニズムである!
そして残った4体のオークもまた、沙織お姉ちゃんが繰り出す必殺の拳をその身に喰らい、焼け爛れる様な痛みの中で絶命した。
「…………ちょっとマズいかも」
「え?」
「どう言う事、ですか?」
天才研究者の深刻な表情に、炎華と聖は聞き返した。
沙織は元に戻った人間の手に、いつの間にかトカゲを乗せている。
「この子が教えてくれたの。実はこの廊下を走っている最中、何匹か偵察用に作り出して放っていたのよ。そして私は、産み出した生き物の視覚や触覚を、ちょっとの間だけ共有できるの。勿論、『何匹も同時に』ってなると流石に無理だけど」
「え……いや、それって凄くね?」
「サラッと言ってるけど、凄いよね」
少女達が互いに顔を見合わせて褒めるものだから、沙織の顔がほんのりと熱を帯びる。
「コホン……本題に戻るけど、もうすぐこっちにオークの大群が押し寄せてくるわ。だからここは私に任せて、二人は先に行って!」
「その……大丈夫なんですか?沙織さんが、たった一人で沢山のモンスターと戦うなんて……やっぱり無茶ですよ!」
「でも、それが最善なの。私の毒なら魔物を即死させて、魔力を温存する事ができる。その後で君たちと合流すること事だって出来るわ。だから、私が戻ってくるまでの間……」
沙織は深刻な表情で、聖と炎華の肩を左右それぞれの手でがっしりと掴んだ。
「蒼蘭ちゃんの事を……『私の妹』の事をお願い!蒼蘭ちゃんは、友達の事を『凄い魔女』だって私に話してくれたの。特に貴女達二人の事、めっちゃくちゃ褒めちぎってた!それで私は、ほんのちょっとの間だけど二人と行動して、蒼蘭ちゃんが言ってた通りの魔女だったわ。
まだ高校生の女の子に頼む事ではないのかもしれないけど……貴女達を頼らせてください!私の妹を、どうか助けてください!」
沙織の表情を見れば分かる。
彼女がどれだけ妹を心配しているのか。
そして、本当は自分が一刻も早く駆けつけたいのに、最善の方法を取るためにその気持ちを精一杯抑えようとしている事と、妹の友人を信じようとしている事も。
沙織がどれだけ類稀な頭脳と実力を有しているかは、僅かな付き合いだけで十分理解できる。そして、そんな凄い魔女に頼られる事など、聖にとっては恐れ多い事であった。自分の身の程を知っていれば、天才に頼られる役割など余りにも過分である。
だが、聖はその卑屈な感情を押し殺して、
「分かりました。私は……蒼蘭ちゃんを助けます!少しでも蒼蘭ちゃんの力になってみせます!」
聖は力強く答えた。沙織の抱える不安を、少しでも和らげる為に。何故なら、今の沙織はかつて落ち込んでいた蒼蘭と同じ顔をしていたからだ。だから、出来る事なら蒼蘭と沙織、二人の姉妹の助けになりたかったのだ。
「じゃ、あーしらで行ってくる!さおりん姉も、気をつけてね!」
炎華と聖が先へ行くのを見届けて、沙織は背後に迫る魔物達の気配へ向き直る。
(さて、オークはお姉ちゃんが倒すとして……)
沙織は手の甲で汗を拭う。普段なら空調設備により快適な温度と湿度が保たれているが、先程から『異常な湿度』が続いている。施設内に張り巡らされた植物が、空調に何か悪さをしているのだろう。
(この蒸し暑さも、早くどうにかしないとね……)
魔物の討伐に設備の復旧、更には愛する妹の救出ともなれば大忙しである。そして、妹の為の多忙であれば、姉として望むところだ。沙織は不敵に笑うと、遂に視界へ入った魔物を討伐し始めた。
◆
(時間は少し巻き戻り……)
「うぅ……」
青髪の少女は呻き声を上げ、瞼を開いた。いつの間にか、眠らされていたらしい。薄暗い部屋の中、眩む視界の中で必死に情報を模索する。
まず、天井が高い。恐らくは使わなくなった倉庫の類だろう。倉庫と言っても、サイズは家庭用や体育倉庫の比ではない。スーパーマーケットや、ちょっとしたショッピングモール程の広さを持ち、薬瓶や段ボール箱などが古びた棚に陳列されている。
次に、湿度がやけに高い。着ていた白衣が既にボロボロになっているせいで、空気の質感が肌に直接伝わっている。
(いや、同じだ……。最近の夢で感じた湿度と同じ空気の感触だ!)
蒼蘭は恐る恐る、自分の身体に起きている事を確認する。ゆっくりと顔を傾けて、露出した自分の右腕を確認する。
それは、人形の様に端正な『瑠璃海 蒼蘭』の肌に根差していた。赤、青、紫……一目見ただけで有毒と分かる色合いの傘に、白い斑点を宿した菌糸類。自分の身体に起きている異変の悍ましさに、皮膚が泡立つ感覚を覚えた。
「あ……あぁ……」
静寂の中、微かに聞こえる呻き声。
それは、青髪の少女が発した物ではなかった。
蒼蘭は、この光景を知っている。だから、実際に見なくても、何が起こっているのかは理解できる。だが、確かめずにはいられなかった。彼女達に何が起きているのかを。
そこには蒼蘭と同様に、この空間に囚われた魔女達が居た。語るべくもなく、その身に菌糸類を宿して、だ。
否、一つだけ語るべき事があった。
彼女達の肌には、茸が生えていない箇所があった。とは言え、その箇所は人によって異なり、特段共通点は見られなかった。
「あっ……あ……ぐ……」
前言撤回。
その真相は、少女達が上げた苦悶の声で判明した。
瑞々しい肌をもたげ、突き破り、再び身体の内側から毒々しい茸が生えてきたのだ。
(……っ!)
その光景の悍ましさに、蒼蘭は嘔吐感を必死に堪える。数秒、或いは数分前の自分もまた、同じ様に宿主にされたのだと思い知らされた。再度湧き上がる吐き気を、何とか抑え込む。その上で、理解したくもない事実に気づいてしまった。
何故、菌糸類が時間差で生えてきたのか?
同じ環境下に居ながら、何故彼女達の身体に寄生されて居ない箇所があったのか?
答えは簡単。
何者かの手により、伐採された後だったからだ。
そしてその真相に辿り着いた少女は、したくもない答え合わせに付き合わされる。水気を帯びた足音をならし、一人の魔女が近づいてきたからだ。
「お初にお目にかかります、『運命因子の魔女』よ。私は『グザヴィラ』、アイン=ソフィア王国より派遣された魔術師が一人。以後、お見知り置きを」
口調こそ丁寧だが、地に伏した少女達を嘲笑の視線で眺めている。
(コイツが、今回の黒幕か!あれ、この人……何処かで見たような……)
記憶を辿った蒼蘭は、昨晩の出来事を思い出す。
「お前は……昨日、温泉で私に近づいてきた……」
「ええ、あの時から貴女には目を付けておりました。『運命因子』の入手と……『私の研究』の為に、ね」
そういうとグザヴィラは、蒼蘭の肌に手を伸ばす。そして彼女を苗床に育ったキノコを一つ、プチリ、と音を立ててもぎ取った。
「人や亜人の体内に宿る魔力を、私の茸を使えば効率よく回収出来る。特に年頃の少女を使えば、最も美味に、そして最も魔力回収の効率が良い。
さて……『運命因子』の茸は、如何程の珍味なのか、味見といきましょう」
もぎ取ったソレを、魔術師は火も通さず生で食した。
「お……おおおお…………!!」
嘲笑に満ちて居た顔が、見る見るうちに恍惚としたモノへ変貌する。
「美味い……何と言う美味しさ!確かに水魔法を扱う魔女は、茸の苗床に適してはいる……。だが、ここまで味が濃厚なケースは初めてだ!まさに絶品、至高の芳醇さよ!」
今度は無造作に、何本もの茸を纏めて毟り取った。
「美味い、美味い、美味い!ああ、身体中に魔力が……『貴女の魔力』が満ち溢れております……」
魔力を吸い取られ、動けない少女へ対し、魔術師は敢えて恐怖を植え付けるような下卑た言い回しをした。
「ああ、それと……救援には期待しない方がよろしいかと。貴女が頼りにしている道具は、こちらで回収させて頂きました」
グザヴィラは懐から、バラバラに破損した機械を取り出した。それは缶バッジサイズの小型発信機。蒼蘭が攫われた時に備えて、沙織が彼女に取り付けた物だった。
その機械を床に落とし、魔術師は足で踏みつけて粉砕した。
「あ……ああ……!」
青髪の魔女は瞳を潤ませ、恐怖と絶望の表情を浮かべた。それを見たグザヴィラは、大層機嫌が良くなるのを自覚する。
「この通り、頼みの綱は機能しておりません。では、研究の続きを致しましょうか」
失意に沈む少女の身体では、再び皮膚の至る所が膨らみ、新たな命が芽吹いていた……。
遂に今章の悪役の登場です。
何気に章丸ごと使って悪役との対決は初めてな気がします。