第61話 旅館でのひと時 with 柘榴石の魔女
今日の分の見学を終えて、私達は旅館に辿り着いた。学校行事は楽しいが疲れる。一先ず部屋に荷物を入れて、布団を敷いてのんびりと過ごしたい。
だが、旅にトラブルは付きものである。
私達は突然、A組の担任に呼び止められてしまった。
「貴女達、四人部屋を三人で使っているのでしょう?悪いんだけどその中にウチの生徒を一人、入れてくれないかしら?」
「ほえ?何故ですか?」
「それがね、瑠璃海さん。人数の関係で一つだけ五人部屋で予約したのだけど、上手く伝わっていなかったみたいで、全部四人部屋で用意されていたのよ……」
「あー、それじゃ一人溢れちゃう感じですか?」
「ええ。五人で無理やり寝泊まりするよりは、人数に余裕のある葡萄染さん達の部屋に入れて貰った方が良いと思うの」
「……でも私達、A組の子とは余り話した事ないですよ?お互い、ちょっと気まずくなりませんか?」
聖がおずおずと意見を述べる。
だが、彼女の言い分も尤もだ。特進クラスとは日頃から物理的に離れている。修学旅行の部屋分けはクラス内で気の合う者で組むか、恨みっこなしのくじ引きが鉄板だろう。前者は類が友を呼ぶため変に気を使う必要はなく、後者は平等な条件の下で行われる為、気の合わない奴と当たってもある程度諦めは付く。
そんな中、課外授業の当日に、いきなり別のクラスと一緒の部屋になるのだ。A組の生徒も可哀想だが、正直此方もどう接して良いか分からない。お互い気まずい雰囲気の中、一夜を過ごす事になるのはちょっと避けたい。
「それは大丈夫よ。貴女達もよく知っている生徒だから」
そう言うとA組の先生は、一人の生徒を連れてきた。厳密に言うと、オレンジ色の髪で気が強そうな、普段高飛車だけど小さな子供には優しい一面がありそうな財閥令嬢を連れてきた。
「………………」
「………………」
私達四人の間に数秒間の沈黙が走った後、財閥令嬢が口を開く。
「公正な勝負の下、貴女達の部屋に邪魔する事になったわ!どうぞよろしく、そしてお構いなく!」
若干ヤケクソ気味なご挨拶は、相変わらず良く通る声で行われた。
……まぁ、アディラ嬢なら多少は知っている仲だし、大丈夫か。
「えっと……それじゃ、一晩よろしくね、ナヴァラトナさん」
「そろそろ私の事は、『アディラ』と呼びなさいな、ヒジリ。セイラでさえ、私を苗字ではなく名前で呼んでいるのよ?」
「う、うん……わかったよ、アディラちゃん!」
「よーし、じゃラトナっちも一緒に、お部屋へレッツゴー!」
炎華が代表して部屋の鍵を受け取り、先頭に立って部屋へと向かう。
しかし、まぁ……何と言う縁だろうか。初めてアディラと出会って以降、どうも彼女と関わる機会が多い様に思える。
◆
旅館内の部屋に到着し荷物を下ろした私達は、畳の上に座布団を敷き、備え付けのお茶と饅頭で休憩している。私はリュックの中からポーションの瓶を取り出し、テーブルの上に置く。そした両手で顎を支えながら、瓶の中にある赤色の液体をウキウキ気分で見つめていた。
……何度眺めても感慨深い。いっそ将来は、本格的な魔法薬学を履修しようか。そしてゆくゆくは森の中に一軒家を構え、道に迷った子供や旅人を魔法薬で癒したり、紅茶と茶菓子で持て成したりする、そんな『絵本の中の魔女』を目指すのも十分アリだろう。
「随分とご機嫌ね、セーラ。ポーションがそんなに珍しい?」
「そりゃ、初めて作った魔法の薬だもん。思い入れがあって当然でしょ?
そうだ、折角だからA組のポーションを見せてよ。アディラが作ったやつ」
「はぁ?何で私が……」
「えー、良いじゃん、あーしも見てみたいな」
炎華がズイッ、と私とアディラに身を寄せて来る。
「A組は調合がムズい、魔力を回復させるヤツ作ったんでしょ?ラトナっちの特製ポーション、見れるチャンスなんてそう無いって!」
「全く……仕方ないわね」
口調こそ『やれやれ』と言った感じだが、アディラ嬢は満更でも無い表情である。恐らく、炎華が暗に『難易度の高い調合をこなせるA組は凄い、そしてアディラも凄い』と口にしたからだろう。
恐るべし、ギャルのコミュ力。
「滅多にお目にかかれない、この私お手製の魔力回復薬よ!勿論見せるだけ、飲ませてなんてあげないんだから!」
そう言いながら、アディラ嬢はボトルを取り出しテーブルに置いたのだが……
「……何か、中身がやけに黒くない?」
中に混入していたのは、禍々しいオーラを放つドス黒い液体だ。ガラス瓶を貫通する怪しげな雰囲気に、私は思わず呟いてしまった。
「素材には何を使ったの?」
「『マンドレイク』に『ムーン・フルーツ』、干した『月光茸』、それと『ハニー・メイプル』の蜜よ。後は効能を上昇させる為の細々とした材料を加えたわ」
私の問いに、柘榴石の魔女は得意げに答えた。『月光茸』に『ハニー・メイプル』、どちらもムーン・フルーツと同様に魔法の世界に存在する、一般人にとっては生涯見る事も認識する事も無い植物だ。
そして、それらの材料は所謂高級素材。一般の生徒は写真や標本で学ぶ事はあっても、授業で扱う事はまず無い。
だが特進クラスのA組なら、魔力の伝導率や治癒効能の高いこれらの材料を使う事を許される。将来有望な魔女への先行投資、優等生クラスの特権である。
そして、それらをどう混ぜ合わせれば、仕上げに何を投入すればこの様な禍々しい色になるのか、一般生徒の私には欠片も想像できなかった。加えると、『見たい』と発言した手前、無言でいるのはマズい。何かしらの感想、リアクションが求められる場面だ。
この混沌を煮詰めた様な、魔法薬に対して。
「あー……うん、確かにオーラは感じるね。上手く言えないけど、ポーションそれ自体から魔力が立ち込めている感じ?」
「ま、あれっしょ?そんだけレアな材料使ってるなら、きっと効能も保証済み!十分どころか、存分にイケるヤツだって!」
「そう?やっぱり特進クラスの私にとって、高性能な魔法薬を作るなんて造作もない事だったわね」
絞り出した様な私と炎華の感想だが、意外にもアディラ嬢は気を良くしたらしい。向こうで聖が『二人とも、本気?あれ、絶対美味しく無いよ?』と言いたげな目線を送っているのに気が付かない程だ。
「あ、そうだ、ひじりん。さっきテレビ弄ってたけど、何か面白そうな番組あった?」
「うん!今テレビに付いてるサブスクで、『双星の戦乙女』の無料公開やってるって!折角だし、上映会やろう!」
「確かそれって……2年前の冬アニメだっけ?私、その時は見てなかったんだよね。でも、今でもグッズ展開とか凄いから、その名前とロボットアニメって事は知ってるよ」
「絶対見た方が良いよ、蒼蘭ちゃん!」
聖がそこまで勧めると言う事は、きっと見応えのある作品なのだろう。彼女に限らず、オタクと言うのは自分の琴線に触れたコンテンツを布教したがる生き物だ。大なり小なり私自身もそうだった為、よく分かる。
「『アニメ』ねぇ……。この国のアニメ文化は凄いってよく聞くけど、本当にそこまで持て囃される代物なのかしら?」
おっと、南アジアのご令嬢は、どうやらアニメ文化には疎い様だ。私は聖と目を合わせ、共に頷いた。
そして二人でテーブルをテレビの前に動かし、座布団を敷いてテレビの正面席を作る。そしてご令嬢を招く為に、二人で座布団をポンポンと叩いた。
「な、何よ?」
困惑するアディラ嬢を他所に、
「まま、騙されたと思ってご鑑賞なさいな♪」
私が和やかな笑みで財閥令嬢手招きし、
「そうそう、最初は興味が無かったアニメでも、実際に見てみるとハマっちゃう事ってあるからさ♪」
聖がアディラのコップに茶を注いで、テーブルの上に置いた。
オタク女子二人のコンビネーションは、普段高飛車なご令嬢を困惑させるには十分過ぎた。見慣れない光景を前に、彼女は咄嗟に、そして縋る様に最後のルームメイトへ視線を送った。
居ない。
炎属性のギャルもまた、自らの座布団をテーブルへと移動させていたのだ。
"3 vs 1"
圧倒的に不利な状況を目にした彼女は観念したように、座布団の上に腰を下ろした。そして私達は、第一話の90分拡大スペシャルを仲良く鑑賞する運びとなった。
◆
「おお……」
鑑賞を終え、私は感嘆の息を漏らした。
90分、それは短めの映画を観るのと同じ時間。だが、同様なのは時間だけでは無い。その満足度もまた、名作映画に勝るとも劣らない言って良い。
主人公達が乗る機体の描き込み、迫力満点のバトルシーンには思わず息を呑んだ。また、戦闘だけでなく、主人公である女子高生が送る日常風景。それらの緩急の付け方が上手いと感じた。
迫り来る世界の危機、それに立ち向かう主人公、敵組織の思惑、そして終盤に登場した、主人公と似た面影を持つ黒い仮面の少女。気になる要素を挙げればキリがない。視聴者を作品へと惹き込む『掴み』としては120点と言える筈だ。
「…………」
そして、感嘆の渦に飲まれていたのは私だけではなかったようだ。アディラ嬢の息づかいを見れば、彼女が余韻を噛み締めているのが分かる。
「どうだった、二人共?」
鑑賞を終えたルームメイトに、聖が和かに尋ねてきた。
「私、ロボット物には疎かったけど……この『双星の戦乙女』は面白そうね。特に巨大なメカ同士のド派手なバトル、最高だったわ!次の土日で、全話見てみようかな」
「良かった、蒼蘭ちゃんに気に入って貰えて!
アディラちゃんは……」
財閥令嬢にも感想を求めた聖は、令嬢の口から溢れる呟きを耳にして閉口する。
「最後に出てきた仮面の少女……彼女は敵、それとも味方……?『双星の戦乙女』のタイトルからして、主要人物となる少女が二人居る事は確かな筈……。そう言えば主人公の家族写真、左端が隠れて居たわね……。仮面の少女がその家族で、いずれ味方になる伏線……?
いえ、まだこれは序章に過ぎないわ。後から重要人物が登場する可能性も大いにある……」
アディラは物語の考察の真っ最中だ。そして、それを見た聖はとても満足気だった。
『自分が好きなコンテンツ、その【沼】へと誘い引き摺り込む』
オタクとは、とても罪深い生き物なのだ。
「あ、そろそろお風呂の時間じゃない?ラトナっち〜、そろそろ戻って来〜い!」
炎華に肩を揺すられ、アディラは意識を覚醒させる。
風呂か……確かに良い時間だ。夕食までに汗を流して身体を洗わなければな……。
よし、沸かすか。
私は部屋の襖を開け、玄関までの短い廊下の壁を物色した。
ん?
あ……れ……?
無い。
ドアがない。
トイレのドアも、風呂のドアも。
(………………)
私の背に、滝の様な冷や汗が流れ落ちる。
何故、こんな重要な事を見落としていたのだ……?
普段は女子寮私室にある、個別の風呂を使っていた。だが、旅館にそんな物は存在しない。トイレは共用、そして風呂……温泉は大浴場と相場が決まっているでは無いか。
マズい。
マズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズい!!!
………………どうすれば良いんだ、コレ?
次回、温泉回!
どうなる、僕らの瑠璃海 蒼蘭ちゃん!?