第33話 大賢者ラジエルの占星術
もう6月も終わりなので、生存報告も兼ねて、書き溜めていた奴を放出します。
「やあ、我が愛しの『覇王』様!
本日もご機嫌麗しそうでなによりだね。」
大賢者ラジエルは、王室の重い扉を勢いよく開け放つ。玉座には『アイン=ソフィア王国』の国王、『ダルト・アイン=ソフィア』が不機嫌そうに鎮座していた。
彼の見た目は20代前半頃、整った顔立ちに黒曜の如き『黒髪』が印象的な青年である。
「……今の俺が『ご機嫌麗しく』見えるのか?」
「おっと失敬、確かに『今』は良くないね。
でも、一体何故そんなに不機嫌なんだい?」
覇王ダルトは苦い顔で溜め息をつく。
「分からんのか?お前が直接来る時は、『素晴らしく良い知らせ』か『唾棄すべき最悪の知らせ』の両極端しかないだろうが。」
彼は玉座の肘掛けを、忙しなく指で叩いている。かなりご機嫌斜めのようだ。
「そして、先日『宮廷魔術師』の席が欠けたばかりだ。蟲の魔女、『アラキーネ・ビートローズ』。諜報や斥候において、アイツはかなりの逸材だった。
だが、ヤツからの定期連絡が来なくなった。何の予兆も無く報告が途絶えた理由など……考えたくは無いが一つしかない。
その上、次は何が起こる?この俺に女神は、運命は、一体どんな試練を与えると言うのだ!?」
声を荒げる王を、大賢者は嗜める。
「まぁまぁ、気持ちは分かるけど落ち着いておくれよ。確かに、アラキーネが倒されたのは悲報だったさ。宮廷魔術師に推薦したボクとしても、彼女が失われるのは惜しい……。」
口調こそ軽いが、ラジエルの言葉は偽りでは無い。
強固な治世を敷いた魔導国家といえど、国内の反乱分子や他国からのスパイ・尖兵と言った小さな危険の芽は度々発生する。それらを未然に潰す事が出来たのは、アラキーネのお陰でもあった。
この世界では、人族が覇権を握っており、エルフや獣人、ドワーフと言った『亜人種族』が国家の要職に就く事は少ない。一昔前とは異なり、近年では目に見える様な差別は無くなってはいるが、やはり肩身の狭い思いをする亜人は多い。
最も、アイン=ソフィア王国では能力……特に魔法の才能が有れば、種族関係なくそれを重宝する。王国に仕える意思と能力さえあれば、亜人であれ王国兵にも宮廷魔術師にもなれる。当然、エルフであってもだ。
エルフと言っても千差万別であり、魔法を扱う者も居れば弓や剣術で生計を立てる者もいる。後者に至っては魔法を一切扱えない者も存在するのだ。
アラキーネは魔法を扱うタイプのエルフであり、その才能故に宮廷魔術師の地位を得た。だが、彼女は『自分が亜人である』という意識からか、諜報や暗殺といった汚れ仕事にも積極的に勤めていた。危険の芽を早期に発覚して潰してくれるため、王国にとって使い勝手の良い人材であり非常に助かっていたのだ。
「ですが、彼女の働きには意味がありました。」
『気さくな少女』から『大賢者』の口調に変わったのを見て、ダルトは表情をより真剣な物にした。ラジエルの話に興味を抱いたようだ。
「ここ最近、夜空の星々がどうも騒がしくてね。ボクはさっきまで、その原因を色々調べていたんだよ。
星が告げる『運命』が乱れ初めたのは、アラキーネの連絡が途絶える数日前だ。そして、似たような乱れが頻発している。試しに、当時の星を見てみようか?」
大賢者は手にした星座盤を天にかざした。王室の天井には、室内だと言うのに夜空の星々が映し出されている。かつて『異世界の客人』が語った事だが、向こうの世界にも『プラネタリウム』という似たような道具があるらしい。
最も、この星座盤は単に星を見たり星座を勉強したりする為の代物ではない。未来すら見通す『占星術』の魔術道具だ。
「そしてこの星々に、占う対象となる人物や場所、そういった情報を記した魔法陣を重ね合わせる。覇王様もご存知の通り、それがオーソドックスな占星術さ。
だけど……、結果はご覧の通り。魔法陣を重ねた瞬間、幾つかの星は姿を乱すんだ。」
ラジエルの言う通りだ。魔法陣が星々に重なった途端に輝きを急に弱めたり、逆に狂ったように眩く光る星が現れた。
「まぁ、これは『異世界全体』を対象にした魔法陣だから、ちょっと分かりにくいね。
もう少し対象を絞ってみよう。具体的にはこの数日後……、『蟲の魔女』に起こった不幸についてだ。」
ラジエルは星座盤を弄って日付を変えた後、再度星々を天井に映し出す。大賢者は懐から小さな杖を取り出すと空中に白銀の魔法陣を描き、それを星に重ね合わせる。すると幾つかの星に変化が訪れた。美しく青白い輝きが、紫色の光へと急激な変化を遂げたのだ。
「この『紫色』の星は……確か『凶兆の星』だったな。」
覇王ダルトが静かに呟いた。平静を装ってはいるが、内心では目の前の光景が信じられずにいた。
「その通り。でも本来、不幸の予兆は前もって現れるモノさ。それが、ある時、ある一点を境に出現した。
そして『凶兆の星』が現れた瞬間、別の星が輝き出した。」
ラジエルは『凶兆の星』の反対方向を指差した。そこには、輝きと共に力強いオーラを放つ星が二つあった。
「あの輝きと魔力……まさか、『運命因子』だというのか!?」
「信じられない事だけど、その通りさ。」
覇王は驚愕し、大賢者はその反応を楽しみつつも、前代未聞の事象に心を踊らせている。
「……いや、ありえん。
『占星術』は女神からの賜り物にして、運命を見通す叡智。そして『運命』とは、過去・現在・未来を見通す『全能の女神』にとって、あらゆる事象が予定調和に過ぎない……。
それが『女神セフィリア』の教えではなかったか?ならば、先程見た星々は…アレすらも、神の手の平の上だと言うのか?」
覇王ダルトは信じ難い出来事を前に、動揺を隠せずにいる。だが、それは無理もない。
この世界に生きる者にとって、『運命』とは神にとっての予定調和だ。そして、地上にすむ種族にとって、抗いようのない『残酷な筋書き』である。
『今』を生きる者は、自分の選択を自分の意思で決定していると考えている。だが、実際には違う。巨大な『運命』という濁流に動かされているだけなのだ。
例えば分かれ道に差し掛かった貧乏な旅人が、左右どちらの道を進むが決めかねているとする。悩んだ末に、彼は左を選んだ。だが左の道には魔物が蔓延っており、旅人はそこで命を落とす。死の間際、旅人はこう考えるだろう。
『あの時、右の道を選んでいれば死ななかった。俺は、自分の選択で命を落としたのだ……』と。
だが、当時の旅人が右の道を選んだとしても、彼は死んでしまう。右の道は、盗賊の縄張りだからだ。
この旅人の例は確かに極端ではある。だがこの時の『貧乏な旅人』は、武器や護衛と言った物を用意していなかったのだ。もし、旅の資金がもっと潤沢であれば?旅人が武器や護衛の傭兵、どちらかでも用意できたら?或いは、危険な地域に足を踏み入れるなら、旅そのものを辞めて仕舞えば良かったのではないか?
終末へ至るまでの分岐点は幾つも存在した。それでも、旅人は死ぬ。ここまで来ると、もう分かれ道の左右程度では抗えなかった。それだけだ。
そして、この世界に住む民も、旅人と同じだ。多くの者の終末は、運命は、『なるべくしてなった』というものでしかない。
更に、あらゆる時間軸を見通す『女神セフィリア』にとっても同じ事だ。あらゆる種族の『生』も『死』も、彼女にとっては『決まっている歴史』であり、『定められた運命』であるのだ。
……最も女神は、『未来が決まっている』からと言って堕落したり、生きる事を諦めたりする様な者を愛さない。そう言った者には破滅的な終幕が訪れ、逆に最期まで懸命に生きようとする者には神の寵愛が授けられる。これがこの国における『正教』の教えだ。
凡庸なる者には、運命の流れは変えられない。だが運命の中で懸命に生き続ける限り、彼の者を、その命を神は愛する。
「覇王様のおっしゃる通りさ。
だが、この世界には『例外』が存在する。それが『運命因子』と呼ばれる力さ。運命因子を持つ者なら自身の身に起こりうる不幸を退け、或いは世界すら破滅の未来から救う事が出来る。
そして『運命因子』を持つ者は限られている。『女神セフィリア様』本人、女神様から力を賜りしボクら『大神官』、そしてこの国の王族さ。
おっと、正確に表現するなら……『勇者の末裔』と行った方が良いね。」
『勇者』と言う単語に、覇王は眉を動かした。
遥か昔、女神セフィリアが異世界から召喚した者。世界の破滅、その方程式を変える為の変数として、神は外界から何人かの勇者を召喚した。
そしてその中に一人だけ、女神様が与えた力を十全に使いこなせた者が居た。彼は見事に破滅の根源たる魔王を打ち倒し、世界に平和をもたらした。やがて太古の女王と結婚し、子供を授かった。その家系が、代々この王国を統治しているのだ。
故に、この『覇王ダルト』は勇者の血を引いている、と言うわけだ。
「その運命因子が、あの世界に現れた……と?」
「占星術によると、ね」
「あり得ない……大神官も勇者も、神から力を授かった存在だ。なら、何故女神と何の縁もない異世界人が持っている!?」
「前例の無い事象が突如として起こる……そんなの、偶にある事じゃないか?
或いはかつての勇者は、元々運命因子によく似た力を持っていた……とかね?女神様は勇者に力を与えたけど、『運命因子まで授けた』とは、どの文献にも書かれていない。ま、後者については単なる仮説だけど。」
大袈裟に肩をすくめた後、ラジエルは覇王の元へ近づいた。
「とは言え異世界、『勇者の故郷』に運命因子があるのは確かだ。勇者に近しい被験体が手に入れば、
『この世界に、再び勇者を召喚する』という覇王様の願いも叶うんじゃないかな?」
ずいっ、と顔を近づけてラジエルは王に語りかける。
「……二つの運命因子の内、どちらかが勇者である可能性はないのか?」
言の葉に僅かながらの歓喜を含ませながら、ダルトは言った。
「ん〜、そりゃ全くあり得ない訳じゃないよ?個人的な意見を言えば、その方が話が早くてボクも助かるさ。
でも流石に、そんな都合良く行かないと思うな。」
「そうか……
だが、方針は決まったな。」
ラジエルが入室したときとは打って変わり、覇王の表情はスッキリとしていた。目に希望の光が灯り、かなりご機嫌になったようだ。
「その二つの運命因子の確保を最優先にしろ。手段も生死も問わん。亡骸さえ持って帰れば、『完全蘇生』も可能だ。」
覇王が指を鳴らすと、王室の本棚から一冊の魔導書がゆっくりと飛来する。内容は蘇生魔法全般に関する物であり、元々は遥か昔の魔術師だったものだ。
これは『永遠の魔導書』と呼ばれる代物で、魔術師がこの世を去る時にその亡骸を魔導書に変化させた書物である。
永遠の魔導書には、魔術師がその一生で蓄えた知識、研鑽した魔術そのものが詳細に記されている。
『何百年経とうと、決して知識が失われる事の無いように』という思いのもと、遥か昔にラジエルが編み出した究極の魔法だ。故にこの国における魔術師は、死ぬ際には墓を作らずに『永遠の魔導書』になる者が多い。自らの生涯を『形』として遺し、未来の魔術師に繋げる。これが『アイン=ソフィア王国』の、魔法の国の文化なのである。
「心得ました、我らが王よ。」
大賢者は丁寧な口調となり、深々とお辞儀をした。
彼女は普段、王に対してもフランクな話し方をするが、ここぞという時には敬語を使う。彼女なりに気を引き締め、やる気を入れ直す為のルーティンなのだ。
「ところで……『異世界そのもの』についてはいかが致しますか?」
「ああ……そうだな……」
ダルトは苦虫を噛み潰したように、表情を歪めた。明確な『不快感』を顕にしたのだ。
「魔法の研鑽を怠り、あまつさえ存在そのものを記憶から切り離した、怠惰で脆弱な世界……。今の異世界の惨状は、かつての勇者の顔に泥を塗り続けるに等しい。
容赦なく滅ぼし、土地や資源ぐらいは有効活用してやるつもりだったが……。」
ここで覇王は大きく息を吐く。吐息と共に、内臓で燻る不快感を排出するかの様に見えた。
「『全ての生命・営みには意味がある。その意味を見出せるか否か、そしてどう生かすかの違いでしかない。』
……女神セフィリアの教えの通りだ。運命因子があの世界にある以上、確かに『意味』はあったな。
引き続き、魔女の収集を続けろ。少しは『コレクション』のしがいのある者が紛れているかもしれん。」
「承りました。」
深々とお辞儀をした後、彼女は天井に手のひらをかざした。正確には天井の中央に輝く、妖しく輝く『赤い星』に、だ。
「女神様は全てを見守っております。貴方の望みに、女神セフィリアのご加護が在らんことを……。」
星に祈りを捧げた後、ラジエルは一礼して王室を後にする。
……そのつもりだった。
「ああ……すまない、覇王ダルト様」
ラジエルは普段通りのフランクな口調に戻り、ややバツの悪そうな顔をして振り返る。
「何だ?」
「廊下から、『厄介事』の足音が聞こえてきた。
少なくとも今日に限っては、ボクは『いい知らせ』だけを伝えに来たつもりだったのに……悪いね。」
「厄介事……だと?」
怪訝そうな表情を浮かべたダルトだが、部屋に乗り込んで来た人物を見て納得がいった。
それは湿気を帯びたローブに魔術師の帽子を身につけ、陰湿な雰囲気を漂わせた男だった。そのくせ、目だけはギラギラと輝かせている。
彼の名は『グザヴィラ』。出世欲の権化とも言える彼の要件など一つしかない。空席になった『宮廷魔術師』の件についてだろう。
グザヴィラの陰気に当てられたかの様に、ダルトは徐々に機嫌が悪くなる。大賢者ラジエルは大きなため息をついて、王室の脇へと移動した。