第25話 弟/妹に害を成す者はどう処理してくれようか?
書き溜めもできて、ゴールデンウィークに入ったので再び投稿致します。
捉えられた蟲使いの魔女は、見知らぬ部屋のベッドに横たわっていた。
「ん……んん……」
彼女が目覚めたら、そこは見知らぬ天井であった。身体を起こそうにも、力が入らない。意識を取り戻したアラキーネはやや朦朧とした脳で、自分が置かれた状況を整理する。
まず、自分は捕縛された。金髪の幼子……『アゲハの大魔女』とやらによって、だ。光の短剣を突き立てられた瞬間、血の代わりに全身の魔力が流れ出る感覚に襲われた。『魔法を捨てた』この世界で、あそこまでの手練れが存在していたとは……あまりに予想外だった。
次に、自分の居る場所だ。窓が一つもない、壁も天井も真っ白な部屋だ。あるものと言えば、テーブルと椅子、それと自分が寝かされているベッドだ。今が昼なのか、夜なのかすら分からない。そもそも、自分がどれだけ気を失って居たかも分からないのだ。
そして、自分の『状況』だ。
身体の自由が効かず、頭もぼんやりとしている。恐らく、麻酔か自白剤でも打たれたのだろう。机の上に無造作に置かれた注射器が、凡その事情を物語っていた。おまけに手枷と足枷で、物理的にも拘束されている。懸命に手足を動かしても、枷に繋がる金属製の鎖がジャラジャラと鳴るだけだ。
そして最悪な事に、魔法も封じられているようだ。普段のように蟲を呼び出して、拘束具を破壊する事も出来ないらしい。
つまり……脱走は不可能に近い、という事だ。
状況確認を終えたエルフの魔女は、力無く天井を見上げる。自らの運命はほぼ決定付けられた。恐らく、待つのは『死』あるのみ。今は生かされているが、所詮遅いか早いかの違いだ。
(いや、まだだ……)
奴らが自分を生かしている理由、それは情報収集の為だろう。ならば、今の自分に出来るのはただ一つ。
口を割らない事だ。
少しでも王国の不利益になる事があってはならない。情報など一片たりとも渡してたまるか……!
……とは言え、未だ尋問係や拷問官が来る様子はない。
「来るなら、来い。」と身構えてから、どれだけの時間が経ったのだろうか?この白い部屋には時計が無い為、時間の感覚が分からない。
その感覚が少しずつ、だが確実に、蟲使いの精神を蝕んでいく。いつ看守や処刑人が来るかも不明な状況が、心を擦り減らしていく。魔法が使えない以上、生殺与奪は向こうが握っている筈だ。なのに、何故誰も来ない……?
一言で言えば、不気味だ。
もしや、趣向を凝らした拷問の準備でもしているのだろうか?
などと悪い妄想が脳裏をよぎる。
そして、この『何もない部屋』というのも神経を削る要因だ。外界から隔たれたこの空間は、人生の墓場としては余りに不適切では無かろうか?ただでさえ見知らぬ世界に来ているのだ。そこからもう一段階、隔絶された場所がこの白い部屋だ。
心細い。
柄にも無く、少しだけそんな気持ちになってしまった。普段身につけているお守りも、今は奪われている。
すると、壁の一部から「ガチャリ」と音が響いた。どうやら、扉はカモフラージュされていたらしい。
瞬間、アラキーネの顔が強張る。警戒、そして臨戦体勢だ。
が、部屋に入って来た人物を見て、彼女の表情は一気に崩れる。
恐怖や悲しみではなく、喜びでだ。
「ら……ラジエル様!」
思わず、名前を口にした。
それは彼女の恩人であり、王国を支える『大賢者』の名だ。
亜人のアラキーネを宮廷魔術師に推薦したのも、彼女の実力を見出したのも、目の前の美少女であった。国王陛下と並び、彼女が第一に恩義と忠誠を捧げるべき相手だ。
フワフワのウェーブがかけられたアイスグレーの髪、慈愛に満ちた灰色の瞳、大理石を連想させる程に美しい肌、そして洗練された容姿。見た目こそ年頃の少女だが、何代にも渡り王国に仕える魔術師だ。
(何故、ラジエル様がこんな所に……?)
いや、そんな事は分かりきっている。時空を超えて助けに来たのだ。それ以外にどんな理由がある?蟲の魔女はそう考えた。『地獄に仏』と言う言葉がこの世界にはあるらしいが、正に今の状況を表す諺であろう。実際、ラジエルは神に身を捧げる『大神官』でもある。
「ああ……大賢者様……」
蟲使いは、目覚めた後に初めて声を発した。喉が枯れている所為か、上手く喋れない。
そして、そんな彼女を憐れむような、或いは悲しむような視線を大賢者は向けた。
【どうしました、蟲の魔女よ。
よもや、貴女がこの世界の民に捕えられるとは……】
虚な脳に、ラジエルの声が響き渡る。
「……ッ!」
麻痺した思考回路でも、自分の犯した失態は理解出来る。今、大賢者は失望しているのだ。
アラキーネの額を、頬を、汗という汗が伝い流れる。
「申し訳ございません、ラジエル様!」
震える声で、エルフは謝罪する。悔恨、絶望、自責、入り混じる負の感情が、彼女の思考回路を更に悪化させる。
【聞きたいのは反省や陳謝では有りません。貴女がこれから何を成すべきなのか……貴女自身の考えを述べなさい。】
優しげな声色だが、内容は毅然とした物だ。要は、名誉挽回の為に自らが取る行動プランを言ってみろ、と言う事だ。
「わ、私は……我が王の『偉業』の為に、この世界の魔女を集めるのが仕事です。故に、これからはより沢山の魔女を集めて参ります!」
【……本当にその程度の方策で、王が喜ぶとでも?ただの単純作業では、彼の偉業も遠のくでしょう。】
自分の見通しの甘さを指摘するような、冷ややかな声だ。
「いえ、『当たり』は幾つか見つけました!金髪の妖精と、青髪の小娘です!妖精は強大な魔力を有しており、青髪の方……蒼蘭は勘が鋭い!或いは未来を読む力を所持する可能性があります!」
【集めた魔女は、偉業達成のどういった所に貢献できますか?】
「……?
それは……普段通り、生きている間は微量の魔力を採取し、実験に用います。死んだ後は埋葬する代わりに、その死体と生前の記憶から『魔導書』を作成し、王国の宝にします。」
何故こんな分かりきった事を、ラジエル様は聞くのだろう?
微かな違和感を覚えながらも、蟲の魔女は返答を重ねる。
「太古の昔、我が王国に召喚された『勇者』と同郷の魔術師を使えば、必ずや『完全なる勇者』を降臨させる事ができます。それが王と大賢者様の悲願!私の使命は儀式の材料を集める事、そしてこの脆弱なる世界を王に捧げる事です!」
……ここで、蟲の魔女は口を噤む。
(やはり、何かがおかしい……。)
違和感は幾つかある。例えば、目の前のラジエルが発する『声』と『口調』だ。朧げだった思考回路では気づかなかったが、普段と声色が微妙に異なる。
そして、普段の彼女はここまで厳かな口調で話さない。もっとフランクな話し方だ。無論、神託の儀をはじめ厳かな態度を取る時もあるが……何か引っかかる。
そして何より、『我らの王が成すべき偉業』を耳にして、表情が僅かに揺らいだのは何故だ?
「待て……お前は誰だ?
ラジエル様ではない……のか!?」
すると目の前に立つアイスグレーの少女は、『ニィッ』と薄ら笑いを浮かべた。
「はぁ、流石に最後まで騙し切ることは出来なかったか……。だが、お互い『試作品』を試せたんだ。上々の結果と言えるだろう。」
先程の様な『脳裏に響く』声ではない。おかしな話だが、きちんと『声帯から発せられた声』に聞こえた。
そして大賢者の姿をした女は、徐に服を脱ぎはじめる。身体付きも、記憶にあるラジエルと全く同じものだ。ある一点を除いては。
相手は態々後ろを振り向き、背中に貼りついたそれを見せつけてきた。銀色に輝く、ジッパーを。そして再び正面を向いた彼女は、頸に右手をかける。
ジジ……ジジジ……
金属音が、部屋中に響く。決して大きな音ではない。だが、その音は異邦の魔女を戦慄させるには十分だった。そして右手を腰まで下ろした後、女は首の後ろの『皮』を広げはじめた。
ベリ……ベリベリ……
何かが剥がされる音。美しい大賢者ラジエルの顔が引き伸ばされ、歪む光景。悍ましいその光景から、アラキーネは目を晒すことが出来ずにいた。
「ふぅ……。だが、ある程度の情報は聞き出せた。一先ず、これで良しとするか。」
ラジエルの『中』から出てきたのは、ピンク色の髪をした女性。暁虹学園の非常勤講師にして、国の魔法機関に所属する研究者。胡桃沢 百花……もとい、雨海 沙織である。
「貴様……大賢者様に化けていたのか……?」
想像の遥か外にある現象への恐怖、そして自分がした事への自覚と後悔に、声を震わせる。
「だ、だが……どうやって?」
「ああ、君の持っていた『お守り』を使わせて貰ったよ。首飾りの中にあった女性の写真、それから髪の毛のお陰でね。」
胡桃沢博士は隠し持っていた首飾りを、アラキーネへと突きつける。それは、異邦の魔女が遠い地への任務へ行く時、常に身につけていたお守りだ。
「顔と遺伝子が分かれば、姿を似せる事は容易だったよ。無論、性格や話し方、そしてこの女性の名前や立場は分からなかったが……。特製の自白剤と認識阻害薬で上手く誤魔化せた。更にはこの首飾り、純金だね?この贈り主は余程の資産家、つまりは地位や財産を持っている者と推理できた。十中八九、君の上司かご主人様だろうと思ったが……ヤマが当たったようで何よりだ。」
「貴様……よくも、大賢者様の姿で!ラジエル様への恩義を弄び、国王への忠誠を踏み躙ってくれたなぁぁッ!!」
激怒、憤怒、そして激情。それらは薬で麻痺させられた身体を突き動かす事を可能にした。
目の前の女に、狡猾な悪女に拳を叩きつける。
だが、それは片手であっさりと受け止められてしまった。
「ははは、そう怒るなよ。
……君のした事に比べれば可愛いモノじゃないか。」
「……ッ!?」
蟲使いが戦慄、そして沈黙した理由は二つ。
一つ目は、胡桃沢博士の瞳から零れたドス黒い光だ。彼女の口も声も微笑んでいるのに、その光だけは真逆の性質を持っていた。
二つ目は、自分の拳の大きさに対する違和感だ。拳を受け止めた相手の掌と比べ、自分の拳はとても小さかった。まるで、子供の手ではないか……。
否、拳だけではない。よく見たら、腕も脚も普段より細くて短い。視界も不自然だ、特に高さが。
「ま、まさか……
私も姿を変えられているのか!?貴様が先程やったように!?」
「その通り。ほら、この姿見で確認してご覧よ。
とっても愛らしい姿になっているからさ♪」
ピンク髪の研究者が指を鳴らすと、壁の一部が裏返り大きな鏡となった。
その中に歌っていたのは、銀髪を短く切られた、幼い少年エルフの姿だった。
「あ……ああ……」
アラキーネはようやく全てを理解した。
この世界で魔法が使えなくなったのは、自分が少年……つまり『男』になったからだ。そして、自分の声に違和感があったのも当然だ。身体が別の物に変わっていたのだから。
「これから長い付き合いになるんだ。だからせめて、可愛らしい少年にさせて貰ったよ。
君からは色々、聞かねばならない事があるからね。」
「私が……話すとでも思うのか?」
「当然さ。話してくれれば、君の大好きな『大賢者ラジエル様』に合わせてあげるのだから。」
「馬鹿に……するな……。お前の化けた姿が、何の対価になる!?」
「なるとも。
君の着ている皮は実験がてら、性格にも影響を与えるように調整した代物だ。」
『瑠璃海 蒼蘭』の皮とは異なり、少年エルフの皮には胡桃沢の暗示魔法……『羽衣人形』がかけられている。最愛の妹/弟の性格を捻じ曲げる事は、当然姉として言語道断なので絶対にしない。逆に、最愛の妹/弟を傷付ける輩には容赦など出来るだろうか?必要だろうか?否、不要である。
沙織お姉ちゃんは、決して許さない。
「果たして、見知らぬ地でひとりぼっちの少年エルフは、孤独に耐えられるのかな?例え偽りであっても、大好きな恩人に会えるのなら……今の君はどんな選択を取るのだろうね?」
愉快そうに口角を上げながら、研究者は立ち去る。正に『魔女』その物だ。無論、お菓子の家で子供を捕えて食べるタイプの、極悪極まり無い方だ。
とはいえ、沙織お姉ちゃん的にはまだ良心的な方である。ちゃんと、捕虜は生かしている。何故なら、今の彼女は『胡桃沢博士』の身体だから、だ。
何年も前に非合法組織の実験で人工魔女にされている『雨海沙織』なら、こうは行かなかっただろう。沙織自身は、そう確信している。こうして姿を変えて国家機関に所属しているのは、少しでも早く『人間性』を取り戻したいからでもある。
胡桃沢博士は会議室へ行き、魔法機関上層部への報告を済ませた。先程の『尋問状況』は音声も録画も、全てデータとして共有されている。
お偉方の反応は様々だ。半信半疑の者もしれば、初めて見る『異世界からのお客様』に興味津々な者もいる。だが、尋問を行った研究者には、皆惜しみない労いを送っていた。そして、他に捕縛した三人の異世界人への処遇を含めて、これから入念且つ迅速な会議が行われる。
彼女が魔法の世界に踏み入った経緯を考えれば、こうして組織に大人しく属しているのは奇跡に近い。彼女の明晰な頭脳は、『理性』を取る利を選んだのだ。ならば、仮初の首輪でも良い。兎に角、手綱を手離す事はしたくない……。それが、国家の出した結論だった。