第10話 未来を視る方法
『何故だ……何故だ、白百合聖!貴様は私の命令に背いたのか!?』
黒板に再び、不気味な赤い文字が浮かび上がる。
「あなた、心が読めるんじゃないの?白百合さんは誰にも話していないって、あなた自身が読み取ったんじゃない。」
『ならば何故貴様がここにいる!?どうやって嗅ぎつけた、この腐れネズミが!』
どうやらお相手は相当ご立腹らしい。なら寧ろ幸いだ。
蒼蘭は腰に手を当て、黒板に指を突き立てて挑発する。
「白百合さんは誰にも伝えていない、でも『私』という邪魔が入った。その理由なんて一つしかないでしょう?
あなたの悪事は最初っから、この瑠璃海蒼蘭にはお見通しだったって事よ!」
『クソッタレが!!
葡萄染、黒髪の小娘と青ネズミを殺せ!
始末するのが一人増えた所で変わらん、消せ!』
憎悪に塗れた文章が、血文字の如く黒板に浮かび上がる。
「ッ!
白百合さん、走って!」
蒼蘭は聖の手を引き、教室を出る。
ドアから飛び出したすぐ後に、教室の窓ガラスが砕け散る音が聞こえて来た。
これも未来予知通りだ。聖は二人の生徒に窓際へ追い詰められ、飛び込んできた炎華に襲われる、それが本来起こる出来事だった。
「瑠璃海さん!何処に、何処まで走るの!?
まだ炎華ちゃんが!操られたままだよ!?」
息を切らせながら、聖は不安げに叫ぶ。
「場所はダンス部の部室!その場所で私が、炎華を力尽くで止める!
追いつかれないようにもっと全力で走って!」
背後からは足音が聞こえてくる。
だが、先程の生徒同様に足は少し遅い。少しずつだが、引き離す事に成功している。
時々炎の魔法が飛んで来たが、水鉄砲やウォーター・ボールで全て打ち消した。渡り廊下を駆け抜け、校舎の端に辿り着き、すぐさま階段を駆け上がる。ダンス部の拠点は3階だ。
◆
「白百合さんは、この掃除ロッカーに隠れてて!
私が炎華と戦って、どうにか取り憑いた魔力生物を倒すから!」
俺は聖に、事が済むまで隠れるように指示をする。
「む、無理だよ!憑依型は、取り憑いた身体を操って、その魔女の魔法が使えるんだよ!?
炎華ちゃんはD組で一番強いの!だから、瑠璃海さんが危ないよ!?」
「大丈夫、ちゃんと作戦があるから。
それに……」
恐らく彼女はとても不安なのだろう。親友を人質に取られ、訳の分からない事件に巻き込まれ、そしてよく分からない転校生に助けられたのだから。頭が混乱しても仕方がない。
そしてこういう時の落ち着け方を、俺は胡桃沢博士から学んでいる。
怯えた瞳の少女に微笑みながら、俺は告げた。
「私はね、白百合さんも炎華も、どっちも助けに来たの。だから、大丈夫……私を信じて。」
俺の気持ちが伝わったのか、聖は「分かった。」と答えてくれた。
「それじゃ、閉めるよ。
あと、できれば……耳を塞いでて欲しいな。
外で起きる事を、見たり聞いたりしないでいてくれると嬉しいんだけど……」
「う、うん?
分かった!耳も塞ぐし外も見ないようにするね!」
聖が素直に従ってくれる子で良かった。
……これで博士の『仮説』を試す事ができる。
◆
ロッカーを閉め、俺はダンス部拠点の壁……一面が鏡になっている場所に向き合った。
炎華はまだ、どの部屋にいるか分かっていない筈。故に、一部屋ずつ探さねばならない。僅かに稼いだこの時間で『済ませる』必要があった。
俺はブレザーを脱ぎ捨て、ワイシャツのボタンを外していく。
プレゼントの包装紙が捲られるように、白地のシャツに覆われた下着が徐々に顕になる。
シャツを完全に脱ぎきると鏡には、黒く蠱惑的なブラジャーを身につけた、白くきめ細かい肌をした少女が映った。
少女はブラジャーの上から、ずっしりと実った魅惑の果実を揉みしだく。
もにゅん、もにゅん、と音が聞こえそうなほどに激しい指づかいで、自分の身体を刺激しはじめるたのだ。
男女間の恋愛、或いは性的な感情。それが魔力を活性化させ暴走させ得る条件だ。
では、少女の身体と男の精神を持つ蒼蘭なら、一人でその条件を満たせるのではないか?
これが胡桃沢博士の仮説だった。
魔術演習では、炎華の投げキッスと聖の応援で心拍数が上がった。要するに蒼蘭の中にいる雨海惺が、彼女らにドキッとしてしまった。それで一瞬だけ、未来予知が発動したのだ。
今夜の事を予知したのは三日前の夜……トランジスタグラマーな童顔美少女の身体を前にして、つい魔がさしてしまったのだ。俺はその時……自分の、蒼蘭の身体を……慰めてしまった。
そして今、鏡の前で己の痴態を目に焼き付けながら、蒼蘭は自分の胸を揉みしだいている。指をめいいっぱい広げても収まり切らない、特盛サイズの乳房を存分に愛でる。
「はぁ……はぁ……
んッ!……んくぅ」
声を抑えるつもりだったが、どうしても口から少女の嬌声がこぼれ落ちてしまう。心臓がドクンッ、ドクンッ、と脈動する。身体中を血液と魔力、そして衝動がギュンギュンと駆け巡るのが理解できた。
そして、視えた。
3秒後、炎華がこの部屋に着く。
俺は身構え、彼女の襲撃に備える。
身体にはまだ『未来を見た時の感覚』が滞留している。
これが切れる前に片をつけねばならない!
勢いよくドアが開き、炎華が飛び込んでくる……
そのタイミングで、水魔法での迎撃を試みる。
「ウォーター・ボール!」
彼女目掛けて放たれた水球は、蜘蛛の紋章には届かなかった。入室時の奇襲は読まれており、炎を纏った拳でガードされてしまった。
そのまま炎華は指をピストルの形にして、炎の弾丸を飛ばしてくる。
「ファイア……バレット」
だが、それも既に見ている。俺は足元に注意しながらその攻撃を躱す。
何故なら、その炎は囮だからだ。本命は床に描かれた魔法陣。それが赤く光り輝く時、巨大な炎の柱が立ち昇る。その魔法陣の中に誘い込むためのファイア・バレットだ。手の内を予め知っていなければ、魔法初心者の俺は瞬く間に丸焼きにされていただろう。炎の熱とは対照的に、俺の肝は冷凍庫より冷え切っている。
「……チッ!」
剛を煮やした炎華、もとい憑依型が舌打ちをする。そして、懐からボール状の物を取り出した。
瞬間、俺の脳裏には再び未来の光景が浮かんだ。あのボールを投げつけられ、俺は中に入った液体を浴びてしまう。その後、炎の魔法が直撃して全身が焼かれてしまう、そういった破滅の未来がビジョンとして見えたのだ。あの中身は恐らく油、或いはガソリンだろう。
すかさず水鉄砲で、彼女の右手を狙撃する。持っている球に当てないよう、手の甲を狙い撃つ。
そして、
「ウォーター・ボール!」
手から落とした球を水で包み込み、割れないように受け止める。
「……ッ!?」
魔力生物は驚愕し、動きを止めた。無理もない。自分の策が悉く読まれていたのだから。
……厳密には見られていた、のだが。
そして、ターゲットが生み出した隙を見逃すエージェントなぞ存在しない。再び引き金に指をかけ、彼女の左頬に浮かび上がる蜘蛛の紋章を、水の魔法で撃ち抜いた。
「う……あ……」
魔力生物はうめき声をあげて塵と化し、炎華の身体から消滅する。炎華は糸の切れた人形のように、床へ倒れ込んだ。ひとまずは、これで解決……強いて言えば、今日の事件を起こした黒幕をどうするかだろう。このまま探すか、それとも一旦女子寮へ引くべきか……?
いや、それより先に解決すべき事がある。俺は脱ぎ捨てたワイシャツに素早く袖を通す。タッチの差で、掃除ロッカーから聖が飛び出して来た。
「炎華ちゃん、炎華ちゃん!」
聖は目に涙を浮かべながら、倒れている炎華に抱きついた。
「……う、う〜ん……
あ、あれ?ひじりん……?」
「良かった、炎華ちゃんが元に戻った!」
「元に……?
そうだ、あーしは何かの魔力生物に取り憑かれて!
あれ、でも……身体の違和感が無くなってる……?」
どうやら炎華も正気に戻ったようだ。本当に良かった。
聖は嬉し泣きをしながら、俺の方を向いて目覚めたばかりの友人に伝える。
「瑠璃海さんがね、助けてくれたんだよ。
炎華ちゃんと……私の事を!」
「そうだったんだ……
ありがとうね、セーラ!」
二人の少女は、感謝の言葉を口にした。
「どういたしまして。
正直賭けだったけど、二人を助けられて良かった。」
俺は彼女らに笑みを返しながら、彼女らの無事を取り敢えず喜ぶ事にした。
ボールの中身について明記していなかったので、追記しました。