第九話 寂しい楽園
「ちょっと、ここで待っててね」
そうシスターさんは言って部屋を出て行く。案内された部屋の中央には机があり、その奥には、赤く染まった日差しが差し込んでくる窓がある。机を挟み込むかたちで、椅子が置いてある。その一つに僕たちは座り、シスターさんの言いつけ通り、待つことにした。
まだかなと思い、扉の方へと目を向けると、部屋の左右の隅に台座があり、その上に花瓶が乗っている。見たことがない白い、綺麗な花が、一輪ずつ。右の台座には手入れ用なのか、花鋏が置いてある。
数分経過しても帰ってこないシスターさん。部屋の中は一通り見てしまったため、今度は窓の外でも見て暇を潰そうと、立ち上がる。
窓の外を覗くとそこには、楽しそうに子供達が遊んでいる姿が見えた。おそらく、みんな僕たちと同じように親から捨てられた子達だろう。そんな子たちが、年齢や、性別を問わず遊んでいる。
羨ましい気持ちと、これからは僕たちもあの輪に入れるという、期待感、そして、本当に打ち解けられるのかという、不安感が入り混じる。
気がつくと兄ちゃんも、隣で同じ光景を眺めていた。どこか、遠くを見るような、他人事のような、そんな目をしながら……。
「お待たせー。」
勢いよく開け放たれる扉。そして、配膳をするためのカートに、二人分の食事を乗せて入ってくる。
お腹がなる。隣でも同様の音がする。兄ちゃんも流石に空腹の限界に達したのだろう。目が食べ物から微動だにしていない。そんな僕たちを見て、シスターさんは優しく微笑みながら、これは全部あなたたちのよ、と言って机の上に並べてくれる。
まずはパン、カビなんて一切なく、泥すらついていない。そしてスープ、野菜が入っていて、そして、温かい。水まである。ここが、いわゆる天国だったのか。僕はいつの間に死んだのだろう。と考えてみるが、正直、いつ死んでもおかしくはなかったなと、自嘲がこぼれ落ちる。
「さあ、冷めないうちに食べて。」
目の前の椅子に座り、そう言うシスターさん。手で、どうぞと食事をすすめてくる。
ゴクリ。と音が鳴る。それは僕のものなのか、それとも兄ちゃんのものなのか、わからない。そんなことはどうでもいい。今すぐこの料理を口の中に放り込みたい。スプーンに手が伸びる。……そこからの記憶はない。ただ、わかっていることが一つだけある。それは、今まで食べたものの中で一番美味しかったと言うことだ。
「口にあってよかったわ。」
僕たちの方を満足そうに見ながら、安堵するシスターさん。僕たちのために料理を作ってくれるってことだけでも嬉しいのに、好みまで気にしてくれたことに感動する。
「さて、そろそろ。その頭に被ってるやつ、取ったら?」
そういえば、今日は日差しが強かったから、毛布をかぶっているんだった。街に着いた時の衝撃や、料理を食べた感動で忘れていた。もう日が暮れ始めているから、これは必要ないな、そう思い、毛布に手をかけ、外す。兄ちゃんも同様に顔を晒す。
すると、優しい笑みを浮かべていたシスターさんの顔が驚愕の表情に変化する。ガタッと音を立てて、立ち上がるシスターさん。こちらを指さし、震える声で質問してくる。
「ま、まさか、……双子?」
この表情には覚えがある。あの時の園長先生と同じ顔。僕たちはお互いに距離を詰めながら、椅子を立つ。ゆっくりと、音を立てないように。
「……それに、……黒髪。」
譫言のように呟きながら、部屋の隅へとふらふらと、おぼつかない足取りで歩いて行くシスターさん。右側の花瓶の前まで行くと花鋏を持ち、
「おお、神よ。私にこのような試練をお与えになるのですね。わかりました、私は貴方のために、この悪魔の子たちを貴方様の御許まで、お送りしましょう。」
そう言ってゆっくりとこちらを振り返るシスターさん。言葉が難しく、何を言っているのかはわからないが、ヤバい状況になったことはわかる。
目や顔に先ほどまでの優しさはかけらも無い。あの、人を人とも思っていないような目、あれにも見覚えがある。やっぱり、どこに行っても僕たちはこんな扱いを受けるんだと理解する。
シスターさんがこちらに向かって歩いてくる。フラフラ、と表現するのが正しかった足取りは、確かなものになり、しっかりと僕たちの方へ歩いてくる。徐々に送る脚が早くなる。右手に持っている鋏を逆手に持ち替え、大きく振り上げ、こちらを刺そうとする意思が伝わってくる。僕と兄ちゃんは一度大きく下がる。窓際まで移動し、シスターさんが距離を詰めてくるのを少し待つ。そして、ちょうどいい頃合いに、お互いが目配せをし、左右に分かれる。シスターさんは一瞬、どっちを追うかを逡巡するが、兄ちゃんの方へと足を進める。
僕は兄ちゃんよりも先に扉にたどり着く。扉を開け、兄ちゃんが出たら扉を閉める準備をする。兄ちゃんは花鋏が置いてあった部屋の右隅の花瓶を持ち、シスターさんにぶつける。ガシャーン、という音と一緒に、水が飛び散る音も聞こえる。これをまともに食らったシスターさんは動きが止まる。その隙をつき、兄ちゃんは扉をくぐり、部屋の外に出る。僕は扉を閉めて、案内された道を辿るように、全力で逃げた。
***
はぁ、はぁ、という息遣いと、ドクドクと速い脈動しか、耳に入ってこない。僕たちはあのまま、街の外に出た。かなりの距離を走ったから、もう、追っては来れないだろう。そう思うと、一気に緊張の糸が切れるのを感じる。その場に座り込み、何が起きたかの理解に脳の容量を全て使う。
だんだんと、上がっていた息が落ち着いてくる。喋る余裕がでてきたのは僕だけじゃなく、兄ちゃんも同様だ。悪い、と一言。そして続けて、
「たぶん、俺のせいだ。」
と言う。頭の中にさらなる疑問が浮かんでくる。どうしてそんな結論に至ったのか、僕には理解できない。そんな僕を置いて兄ちゃんは自分の考えを口にする。
「俺のこの黒い髪、これのせいで、皆んなから嫌われるんだと思う。だから、俺と一緒にいるとーー。」
「一緒にいると、何?」
低い声で兄ちゃんの言葉を遮る。その先の言葉は、一度僕がもうしないでと言ったことが続けられそうな気がした。もう、一人で行かないでと、一人にしないでと、そう伝えて、約束までしてくれたはずだ。それなのに……。
「僕たちがいろんな人たちから嫌われるのって、黒い髪だけが原因じゃないよね? 僕たちが、……双子だから、だよね。」
言っていて悲しくなる。なぜ、双子だからと嫌われなければいけないのか、なぜ、黒髪だからと殺されそうにならなければいけないのかと。
「兄ちゃんの髪が黒じゃなくても、同じだよ。僕たちは行く先々でいろんな人に嫌われて、殺されそうになる。」
それは実際にそうなってみなくても、容易に想像ができる。今まで出会ってきた人たちはそういう人たちなのだから。それに、
「それに、僕は兄ちゃんの黒い髪、好きだよ? なんで僕の髪は白いんだろうって、何で黒じゃないんだろうって、いつも思ってる。」
兄ちゃんに抱きつき、、溢れ出る涙や鼻水を堪えながら、必死に大好きな兄ちゃんの好きなところを伝える。
「あんまり、僕の大好きな兄ちゃんの悪口は言わないで欲しいな……。」
言葉と言葉の間に鼻を啜る音が混じってしまう。それでも伝えたい。ここまで生きてこられたのは兄ちゃんのおかげなのだから。兄ちゃんは、誰かに褒められるべき人なのだから。世界中の誰もが褒めなくても、僕だけは、絶対に兄ちゃんを褒める。
「悪い、もう、言わない。絶対に、一人にはさせない。……やっぱり一人がいいって言っても、もう遅いからな。」
喋っているうちにだんだんと鼻声になっていく兄ちゃん。僕の頭を優しく撫でて、もう片方の手でギュッと抱きしめ返してくれる。
暗い暗い夜の中、月だけが僕たちを見つめている。側から見ると寂しい光景かもしれない。けど、ここは世界中のどこよりも暖かい。僕はこの暖かさが、……大好きだ。