第八話 シスター
「街に行こう。」
木々の隙間から。まだ真上まで昇っていない太陽の光が降り注いでいる。森の中を歩きながらそう言う兄ちゃん。
僕たちは洞窟から出て、どこかに向かっていた。どこに向かっているのか、それは兄ちゃんにしかわからなかったが、やっと目的地を教えてくれた。
「何で街?」
街、そこにいけば今のこの状況が変化するのか、という意味を込めて兄ちゃんに尋ねる。僕の前を歩き、ナイフで邪魔な木を切りながら進んでいく兄ちゃんは質問に答えてくれる。
「街に行けば、おそらく、教会ってやつがある。そこに行こう。」
「教会? ってなに?」
「俺も詳しいわけじゃないけど、なんか、貧しい人たちにご飯を配ってるって聞いた。」
どこからそんな話を聞いたのかわからないが、そんなところがあるのなら、もしかしたら、今の僕たちを助けてくれるかもしれない。
今後の目標が見えてきた。目指すは教会。そこで保護してもらう。しかし、
「もし、またあんな扱いを受けたら、どうしよう。」
過去の出来事が脳裏をよぎる。未来に希望が持てたとしても、これまでの出来事が僕の決断の邪魔をする。ネガティブな思考に陥る僕。そんな僕を安心させるためか、足を止め、こちらに向き直り、兄ちゃんは言う。
「大丈夫だって。そこに俺たちを知る人はいない。最初からやり直せるんだ。それに、貧しい人たちを見捨てない人たちが、悪い人なわけないだろ?」
確かにその通りだ。兄ちゃんの言葉に勇気をもらい、再び歩き出す。
そこでふと、一番大事なことに気がつく。
「それで、兄ちゃん。街の場所って知ってるの?」
「知らん。」
即答だった。まるでその質問が来るのを待っていたかのように、初めからわかっていたかのように。
兄ちゃんの言葉に唖然とする。口が半開きになり、目を丸くし、再び歩き出した足がまた、止まる。
「えぇー!? わかんないのに歩いてたの!?」
思っていたよりも大きな声が出てしまった。それだけ衝撃的だった。
そんな僕に、それでも、大丈夫だと言う兄ちゃん。ほら、と前を顎で指し示され、兄ちゃんの前に出て辺りを伺う。しかしそこに街はない。それどころか、村さえもない。人もいない。あるのは、馬車が往来してできたと思われる道。後ろを振り返り、頭の上にはてなマークを浮かべながら首を傾げる。
「この道を辿っていけば、街につけるだろ。」
そんな僕に兄ちゃんは答えを教えてくれる。確かに道は街と街を繋ぐ為のもの。それはわかる。しかし、
「村に着くかもしれないよ?」
そう、村と村を繋げる道もあるのだ。この道がどこに繋がっているのかを僕たちは知らない。僕は心底、ガッカリした。あんなに自信満々に言うのだから場所を知っているものだと思ったていた。それなのに、はぁ、と短いため息が出る。
「まあ、行ってみればわかるだろ? 動かなきゃ、どっちにも着かないんだし。」
そう言って、孤児院がある村とは反対の方向へと進んでいく兄ちゃん。
「……兄ちゃんって、無計画だよね。」
少し、怨みがましい声が出た。そんな声を苦笑いで受け流す兄ちゃん。まあ、兄ちゃんのいう通り、動かないとどちらにも行けない。ならば動くしかない。頭を切り替えて足を動かす。
数時間後。太陽は真上を越え、もうじき夕方になろうという頃。道の奥に村よりも大きな集落が見える。
長時間、歩き続けたため、くたくたに疲れていて、喉も乾いていたが、この時はそんなことを忘れ、強い日差しから身を守るために、ナイフで半分にした毛布を頭から被っている僕たちは、顔を見合わせてお互いに上がったテンションを隠すことなく話しだす。
「あれ、街じゃない?!」
「ああ、きっとそうだ!」
思わず走り出す僕たち。しかし、頭では忘れていても体は疲れていることを覚えている。すぐに体力がつき、先ほどまでと同じか、少し遅い足取りになりながら、一歩、また一歩と街に近づいて行く。
ーー街に着くとそこには、大きな建物、たくさんの人、そして何処からともなく漂ってくる美味しそうな匂い。見るもの全てが新しく、魅力的で、そして刺激的だった。
僕たちはその場に立ち尽くしていた。いったいどのくらい時間が経ったのだろう。とてつもなく長かったような、はたまた、一瞬の出来事だったかのような。そんな不思議な感覚を味わっていた僕たちの横を、ガラガラと音を立てて馬車が通り過ぎる。その音が耳の中に入り、一気に現実へと戻される。
そうだ、こんなところで時間を使ってはいられない。この広い街で教会を探さなければいけないのだから。
同じタイミングで我に返っていた兄ちゃんと共に、街の中へと進んでいく。
人が多いところに向かって歩いて行く。すると道を挟んだ両脇にいくつもの屋台が並んでいた。ある店では揚げた芋を出しているところ。他の店では肉に香辛料をまぶし、その場で焼いているところもある。どれも、空腹状態の僕たちにとって目の毒だ。
グゥウゥ、とお腹が鳴る。しかしそれは街の人々の笑い声や足音でかき消えてしまう。それでも隣にいる兄ちゃんには聞こえたのか、こちらを向いて申し訳なさそうな顔をする。兄ちゃんは悪くないのだから、そんな顔をしないで欲しい。兄ちゃんを心配させまいと、努めて明るい声で言葉を発する。
「大丈夫、心配しないで。このぐらいなんてことないから。早く教会を探そ?」
両腕を上に上げ、ムンッと力瘤を作るようにして言葉だけでなく、動きでも心配させまいとする。そんな僕を見て安心してくれたのか、顔を少しだけ綻ばせる兄ちゃん。さて、教会探しの続きだと、意気込んだところで、何やら紙袋を持った、見たことのない服装の女性に話しかけられる。
「君たち、教会を探しているの?」
やりとりを聞いたのだろう。僕たちの前に屈んで続きを話しだす。
「私、教会で働いているシスターなんだけど、よかったら案内しようか?」
渡りに船とはこの事。まさか、こんなに簡単に教会関係者と出会うことができるとは思わなかった。
「ぜひっ!」
僕は即答した。この機会を逃すと、次いつチャンスが巡ってくるかわからない。
僕の返答を聞き、優しそうな笑顔を浮かべ立ち上がるシスターさん。ついてきて、と言って身を翻す。その仕草のせいで、長い桃色とブロンズが合わさったような色の髪が、目の前を横切る。
「どうした?」
綺麗な人だなと見惚れていると、兄ちゃんに心配されてしまった。僕は何でもないと言って二人の後をついて行く。
「どうして、教会に行きたいの?」
シスターさんが僕たちの前を歩きながら質問をしてくる。それに僕は素直に答える。
「教会は貧しい人たちに優しいって聞いたから、もしかしたら、僕たちのことも助けてくれるかなって、思って。」
「お母さんやお父さんはどうしたの?」
「……ずっと孤児院で暮らしてたから、……わからない。」
孤児院、そこでの出来事を思い出したため、少し、暗い表情になっていることが自分でもわかる。シスターさんが前を向いていてくれてよかった。
「その孤児院は、どうしたの?」
言葉に詰まる僕。何て答えたら良いのかわからない。そんな僕の様子を感じ、どうしたの? と後ろを振り向き、心配そうに尋ねるシスターさん。そんなシスターさんに僕の代わりに兄ちゃんが答える。
「捨てられたんだ。」
ただ一言、事実を言う。その言葉には若干の怒気が込められていた。捨てられた、ということに対する怒りなのか、それともそんなことを聞いてくるシスターさんに対する怒りなのかはわからない。そんな兄ちゃんの様子に、申し訳なさそうに、ごめんなさい、と謝ってくるシスターさん。
その後、僕たちは会話をすることはなかった。
数分後、白くて、大きく、屋根が尖っている建物に案内された。
「ここが教会よ。教会はあなた達のような子を見捨てたりしない。ここがあなた達の家になるのよ。」
優しい笑顔と声の中に、確かに感じる信念のようなもの。たぶんそういった信念があるから、貧困に喘いでいる人たちに食べ物を分け与える、なんてことができるのだろう。ここなら、ここでなら、僕たちも楽しく暮らせるかもしれない。期待に胸を膨らませながら教会の扉をくぐる。