第四話 孤独な弱者
「ここにもない。」
青々とした木々に囲まれつつ、僕はそう呟く。目の前にはきのみを実らせる低木、しかしそこに、きのみは無い。正確に言えば、未熟のきのみはあるのだが、まだ白く、食べられそうもない。
あれから、いくつかの場所を確認し、ここが最後。ありませんでしたと言って、彼らが許してくれるかどうかは、言うまでもない。彼らは。きのみが食べたくて僕たちに頼んだわけではないと思う。おそらく、園長先生に報告をされないように、僕たちが彼らの指示に従っているところを見て、楽しんでいるのだろう。
はぁ、と小さなため息がでる。木々の隙間から差し込んでくる光には赤い色が混ざり始めている。少し、肌寒くなってきた。最近は、昼間は暖かいが、夜になると冷え込む。畑仕事も結局できなかった。これだけでも園長先生にバレたら怒られる。疲労が溜まって来て、嫌なことばかりが頭の中を駆け回る。
そんな僕を見ていた兄ちゃんが、低木を掻き分け、どこかへと行ってしまう。僕が疲れて動けないことを見透かして、呆れてしまったのかもしれない。そんな、いつもなら考えもしないようなことも、何処からか浮かんでくる。そんなわけはないとわかっているのに、兄ちゃんだけは違うと知っているのに、そんな抵抗を嘲笑うかのようにどんどん嫌な考えが湧き上がる。
ーー何分、経っただろう。あれから僕は一歩も動けず、その場に座り込んでいた。あたりは少し頼りない光で覆われていて、もう直ぐ夜が来ることを嫌でも感じさせる。この時間はいつも、どこからか、寂しさが湧いてくる。今日は兄ちゃんが隣にいないこともあって、より一層の寂しさ、孤独感が僕を襲う。気がつくと僕は膝を抱えて、蹲っていた。目からは涙が溢れ出している。兄ちゃんがいないだけで、こんなに心細くなるとは思っていなかった。僕は兄ちゃんがいないと、生きていけないと、その時強く感じた。先程までとは打って変わり、今では兄ちゃんのことばかり考えている。もう、周囲の音は聞こえない。周りなんてどうでもいい。とにかく兄ちゃんに会いたい。
「兄ちゃん……。」
それは、とても小さく、ともすればかき消えそうな、そんな声。発声したはずの自分でさえも、聞き逃してしまいそうな声。こんな声、届くはずがない。そんなことはわかっている。僕だって、兄ちゃんに届かせようと思って言ったわけではない。ただ、頭の中で考えていたことが口からこぼれ落ちてしまっただけだ。誰にも聞こえない。
「何だ?」
そう思っていた。しかし、自分の前でそんな声が聞こえた気がした。楽観的な心が、兄ちゃんだと、帰って来てくれたと、そう叫ぶ。冷酷な頭が、そんなはずはないと、見捨てられたのだと、そう諭す。しかし、確かに聞こえた。聞き間違えようがない。僕が兄ちゃんと呼んで、返事を返してくれる存在は一人しかいない。いつも隣にいてくれる。歳は同じはずなのに、いつも僕を守ってくれる、そんな、大好きな兄ちゃん。
ゆっくりと顔をあげる。涙でボヤけている視界、夜が近づき、薄暗くなっている周囲。それらが意味をなさないほどの安心感。目の前には片膝をつき、服を使って大量のきのみを抱えている兄ちゃんがいる。
「遅くなって悪い。少し、森の奥まで行ってたんだ。」
森の奥は魔獣が出ると聞いたことがある。あの小鳥みたいに人に害をなさない魔獣もいれば、人を襲い、喰らう魔獣もいる。そんな危険な場所に一人で行っていたと聞いて、僕の中にあった安心感は霧散し、今度は心配が支配を始める。
「何でそんな危ないこと。」
なぜ、兄ちゃんがそんな危険なことをしたのか、なぜ、そこに僕を連れて行かなかったのか、何となくだか、理解している。それでも、聞かなければ納得できない。
「この辺にはもう、きのみは無さそうだが、森の奥へ行けばまだあると思ったんだ。」
兄ちゃんは少し申し訳なさそうに話す。
「お前は疲れてそうだったから、連れて行かなかった。悪い、話したら止められると思って。」
だから話さずに行ったと、そういう兄ちゃん。聞けば納得できるかと思ったが、そうではないらしい。そんな危険なところに一人で行って、怪我でもしたら、動けなくなってしまったら、そんな考えが頭をよぎる。
「もう、黙って一人で行くのはやめて。」
言った後、少し低い声が出たことに自分でも驚く。別に兄ちゃんが悪いわけではない。どちらかと言えば、体力のない自分が悪い、とわかってはいる。しかし、そんなことは棚に上げて、もう、一人にしないでと、わがままを言う。そんな自分を客観視している頭が、嫌なやつ、と一言呟いている気がした。
「ああ、約束する。」
そんな僕のわがままに怒るでもなく、受け入れてくれる兄ちゃん。そんな兄ちゃんに申し訳なくて、すこし、自分のことが嫌いになった。
***
森から帰ってきた。あたりはまだ、近くの人の顔を認識できるほどの明るさは保っている。僕たちは小屋に向かって歩いている。彼らがどこにいるかわからない以上、最後に見たところに行くのが普通だ。そこで待っていてくれればよし、待っていなかったら少し面倒だな。そんなことを考えていたが、僕の心配は杞憂に終わる。小屋の前に三人の人影が見える。顔はまだ認識できないが、小屋の前、三人、子供、これらの情報だけで彼らだと断定して問題はない。彼らもこちらを認識したのか、こちらへ歩いてくる。
顔が認識できるほどの距離まで近づくと、彼らから話し始める。
「遅かったな。」
愉悦といった感情がのっているような、そんな声でリチャードが語りかけてくる。それに少し眉を顰める兄ちゃん。たぶん僕も同じ顔をしていることだろう。顔の造形が瓜二つであるために、鏡を見て確認するまでもない。まあな、と一言だけ告げる兄ちゃん。そのまま兄ちゃんは服の上に抱えているきのみを渡そうと彼らに近づく。そんな兄ちゃんを見て彼らは、
「……あぁ! そう言えばそうだったな。……それ、やっぱいらねーわ。だって、お前らみたいな双子がとって来たきのみなんて、呪われてそーじゃん。」
鼻で笑いながらそう言う。それにつられて、左右に位置しているケインとルータスも笑い出す。これを取るために兄ちゃんが危険な目にあったというのに、そう考えると腹の底から黒い感情が迫り上がってくる。怒りが滲んでいるであろう目で彼らを睨む。そんな事は意に返さず彼らは続ける。
「そうだ、お前らが大事にしてた鳥にやればいいんじゃないか?」
そんな彼の発言で、僕はハッとする。彼らは僕たちがあの小鳥を手当てし、育てていることを知っている。なぜ、僕たちにきのみを取りに行かせたのか、……時間が作りたかったから? なぜ今、小鳥の話を持ち出して来たのか、今の僕たちがされて嫌なことは、それらを考えると、一つの結果が脳裏をよぎった。
はやる気持ちと共に足も動いていた。彼らの横を通り過ぎ、小屋の前に立つ。
いつもは、僕や兄ちゃんが帰ってくると元気な声で迎えてくれる。
ゆっくりと足を進め、中へと入って行く。
いつもは、バサバサと治ったばかりの翼を羽ばたかせて餌をねだってくる。
鳥かごの前で足が止まる。
……いつからか、純白の羽根に生え変わっていた身体。
鼓動が速くなるのを感じる。それと連動して呼吸も速くなる。自分の鼓動の音しか聞こえない。いつのまにか夜になっていたのだろう、小屋の奥の上にある小さな窓から一筋の月光が入り込み、鳥かごの中を照らす。それは、とても幻想的で、目の前の光景が現実かどうかがわからなくなる。吸い込んだ空気が生臭く、それが現実であると訴えかけてくる。
綺麗な羽根はむしられ、左目には小枝が刺さっている。左翼は引きちぎられ、右足は外側に向けて折られている。
おそらく、ゆっくりと時間をかけて痛め付けられたのだろうということがわかる。鳥かごの中から逃げようとしたのか、身体を引きずった跡が自身の血によって残されている。あの美しかった姿は見る影もない。
誰かの声にならない叫び声が聞こえる。泣いているのだろうか、鼻を啜る音も聞こえる。僕の頭や心はグチャグチャだ。なぜこうなったのか、どうしてこの子がこんな目に合わなければいけないのか、誰が悪いのか、そんなことを考えている。しかし、誰かの声で思考がまとまらない、一体誰の声だと、少し鬱陶しくなりながらよく聞くと、聞き慣れた声であることがわかる。それに、なぜか喉が痛い。そこまで考えたとき、その声の主が自分であることに気がついた。