第三話 嫌な予感
あれから2週間後。
兄ちゃんが孤児院の物置から持って来た、少し古く、小さな窓のようなものがついている鳥かごが、僕たちが暮らす小屋の中の、机の上にある。その鳥かごの窓は、手前に引くとキィと甲高く、不快な音がする。鳥かごの中には、あの時瀕死だった小鳥が入っている。手当てをしている時は綺麗な黄緑色だった羽毛が今では真っ白に変色している。鳥の羽毛が数週間のうちに変色するなんてこと、聞いたことがないが、額に小さな宝石のようなものが埋まっていることから、この子鳥は魔獣であることがわかる。魔獣は魔術を使うと聞いたことがある。これも魔術の一種なのだろうか。
ピィピィと元気な声が僕の思考の邪魔をする。そう言えば、まだ餌をあげていなかった。僕のご飯の、腐りかけたパンを少しちぎり、鳥籠の中へと入れてやる。小鳥は器用に嘴を使いながら、パンのかけらを喉の奥へと入れる。食欲もあるし、もう怪我は大丈夫そうに見える。
小鳥に餌を与えている僕の隣に座っている兄ちゃんは、難しい顔をして唸っていた。そして、やっぱりおかしい、と独り言を呟く。僕は何がおかしかったのか分からず、首を捻りながら兄ちゃんの方を向く。
「たったの2週間であの怪我が治るなんて、ありえない。左の翼なんて、もう動かなくてもおかしくないほどの傷だったのに。」
確かに酷い怪我だったが、今では鳥かごの中でバサバサと両翼を羽ばたかせている。
「魔獣は、怪我の治りが早いのかな?」
僕らは魔獣について詳しくない。知っていることと言えば、せいぜい、体のどこかに魔石と呼ばれる、宝石のようなものがある、ということぐらいだ。
これ以上僕たちが考えたところで、答えは出ないだろう。それでも思案に暮れる兄ちゃんを置いて、僕はパンを与え続けるーー。
ーーしばらくして、
「……まあ、それは置いておくとしても、半分は与えすぎだぞ。」
兄ちゃんのそんな声で我に返る。いつの間にか思考を中断していたのだろう。兄ちゃんが、呆れながらこちらを見ていた。その顔を見た瞬間、言葉の意味も理解する。どうやら、僕はパンを小鳥にやり過ぎていたらしい。催促する小鳥が可愛すぎて、自分がどの程度与えていたのか、わからなくなっていた。
もともと量の少ないパンが半分になっている。それを見て、少し寂しい気持ちになる。そんな気持ちが、表情として現れていたのだろう。兄ちゃんは自分のパンを半分にしてこちらに渡してくる。
「俺のパン、半分やるよ。」
そういう兄ちゃん。しかしそれでは、この寂しさが今度は兄ちゃんの方に向かうだけ。それがわかっているのに、その半分を受け取るなんてことはできない。だからといって兄ちゃんが分けてくれたパンを拒むことなんてできない。きっと兄ちゃんはその寂しさを受け入れることを、容認しているのだから。そんな優しさを無碍にすることもできない。そこで僕は折衷案を提案する。
「半分の半分をもらうね。」
これなら兄ちゃんの好意を受け取ることも、お腹を満たすこともできる。兄ちゃんの手から半分になったパンを取り、さらにそれを半分にして兄ちゃんに手渡す。そんな僕を見て、兄ちゃんは、微笑みとも呆れともいえない表情をしながらパンを受け取る。
ーーそれから、たわいない話をしつつ、パンを食べた。そして人心地ついた頃、後ろにある扉から、おい、と誰かを呼ぶ声が聞こえた。この小屋には僕と兄ちゃんしかいない。それはこの孤児院では周知の事実。なので、この声は僕たちを呼ぶ声だということは、考えるまでもなく理解できる。
兄ちゃんが小さなため息と共に立ち上がり、扉の方へと歩いて行く。僕もそれに続く。兄ちゃんが扉の取っ手に手をかけ、少しの間が生まれる。きっと開けるかどうかを迷っているのだろう。その気持ちは痛いほど理解できる。なぜなら、扉一枚を隔てて、クスクスと、人を馬鹿にしているかのような、嫌な笑い声が聞こえるからだ。それに、その声は小鳥をいじめていた時にいた三人の声だ。この二つが聞こえると、嫌な予感なんて、あたりまえのように当たってしまう。それはまるで自分が予言者にでもなったかと錯覚するほどに。
兄ちゃんは意を決したのか扉を開ける。開けなければさらに面倒なことになることは兄ちゃんもわかっている。どちらにせよ嫌なことが起こるなんて、いつものことか、と諦観じみたことを考えつつ、錆びついていて、重たい扉が開くのを待つ。
扉が開くと同時に、光が差し込んでくる。暗い小屋の中にいた為、強い光が痛い。
光に目が慣れ、外の景色を認識できる状態にまでなった時、扉の前にいる三人の顔を確認する。真ん中にいる男の子、リチャードは高圧的な態度で、僕から見て右に位置しているケインは、リチャードの背で体の半分ほどを隠して、こちらを蔑んで見ている。そして、左にいるルータスもリチャードよりも前に出ず、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている。
兄ちゃんは態度だけで、なんか用かと聞く。それが伝わったのか、リチャードが喋り出す。
「お前ら畑仕事はどうした?」
いつも昼ごはんを食べ少しの自由時間を経て、畑仕事をしている。もちろん、自分達が進んでやっているのではなく、園長先生がやれと言うから仕方なくやっているにすぎない。ここで採れた野菜は孤児院の料理に使われる。しかし、それを僕たちが口にすることはない。腐りかけのパン一つが、孤児院から与えられる食事だ。
「まだ自由時間のはずだが?」
いつもはこんなことを言ってはこない。そのいつもと違う言動のせいで、彼らの考えを探ろうとしてしまうのか、少し訝しむような表情と声音でそう返す兄ちゃん。そんな兄ちゃんを見て自分たちが上の立場にいることを再認識したのか、楽しそうに言葉を続ける。
「お前ら、しょっちゅう森へ行ってるよな。 知ってんだぜ、そこできのみを取って食ってんの。そのこと、園長に黙っててやるからさ、俺らの分も取ってこいよ。」
その言葉を聞いた僕たちは、彼らの考えが理解できず、困惑する。確かに、よく森に入り、きのみを取って食べている。それを知られていることは少し驚いたが、それを園長先生に言われたからと言って、僕たちが何か罰を受けるなんてことはないはずだ。それにもかかわらず、園長先生に言わないという条件を出して、自分たちの言うことを聞かせようとしてくるということは、園長先生に伝わったら何かがあるということだ。その何かを考えていたら、兄ちゃんが先に声を出す。
「あいつに伝わったから何だってんだ?」
その質問のどこがおかしかったのかわからないが、三人とも声を出しながら笑い出す。一通り笑った彼らは兄ちゃんの質問に答える。
「わからないのか? お前達がきのみを食べてるってことは、お前達は孤児院が出してやってる食事に文句があるってことだ。つまり、いつも食べているパンすらもなくなるってことだよ。」
その考えは、彼らにとって都合よくことが進めばそうなるかもしれない、といった程度のものだ。ただ、少なくとも彼らは、その結果になるように園長先生に話すことだろう。そして、園長先生ならやりかねないと思ってしまうほどのことを、今までされている。兄ちゃんも理解したのか、苦虫を噛み潰したような表情をする。あのパンがなくなると、本当に空腹で死んでしまうかもしれない。あれだけは何としても守らないといけない。
兄ちゃんはチッと舌打ちをし、小屋を出る。森に向かうのだろう。僕も兄ちゃんの後ろをついて行く。嫌な笑い声が後ろから聞こえる。
「急がなくてもいいから、ゆっくり取ってこいよー。」
そんな優しい言葉さえも、言っている人のことを考えると気味が悪くて仕方がない。そんな彼らに見送られながら、僕達は森へ入るべく、足を動かす。