第十九話 母親との別れ
走り出したエレノア。一体どうしたというのか、疑問に思いながらも後を追う。
一つの部屋へと勢いよく入っていくエレノア。ここにお母さんがいるのだろうか。
「母様!」
エレノアの声が聞こえる。僕も続けて部屋に入る。その部屋は生活感が感じられない。ベッドの隣には医者のような風貌の小柄でふくよかなおじさんが難しそうな顔をしている。そして、そのベッドには一人の女性が寝ている。桃色の髪をしていて、痩せ細り、息は荒く、大粒の脂汗をかいている。この状況を見ただけで、何となくの事情は理解した。エレノアの母親は病を患っているのだと。
「先生、母様は?!」
医者と思われるおじさんに、泣きそうな顔で容体を尋ねるエレノア。その問いに首を振って答える医者。
「そんなっ!」
開いてしまった口を両手で押さえているが、涙は抑えきれなかったようで、大粒の涙を流している。まるで泣きじゃくる子供のようだと思った。きっと、普段は大人のように振る舞っているせいで、そう感じたのだろう。
エレノアの大きな声が聞こえたのか、ゆっくりと目を開ける母親。
「……あら、エレノア、来てたの?」
声も絶え絶えに喋る母親。喋ることも辛いだろうに、娘に声をかけてあげている。手を上げ、エレノアの頬にそっと添える母親。顔同様、枯れ枝のようになってしまった手。それでも、その手はきっと、暖かいのだろう。そんな手を両手で、とても大切そうに握るエレノア。
「……ごめんなさい、ね。私のせいで、苦労をかけたわ。」
母親の言葉を聞き、首をふるふると否定の意味を込めて振るエレノア。
「苦労なんて……。母さんがいてくれるだけで、私がどれほど安心できていたか。」
嗚咽を混ざらせながらそう言うエレノア。このやりとりを見ていると、胸が辛くなってくる。おそらく、母親はもう長くないだろう。今にも息を引き取りそうなほどに弱っている。エレノアにとって彼女は、世界で一番大切な人なのだろう。そんな人との別れは誰だって辛い。
「私が、もっと、しっかり、していれば。あの人と、もっと早くに、別れていれば。本当に、ごめんなさい。」
尚も謝罪を続ける母親を、エレノアは涙を流しながら見ていることしかできない。
「エレノア、私のために、頑張ってくれて、ありがとう。もう、いいわ、あなたは、あなたの為に生きなさい。私のようには、なってはダメよ。」
母親も、涙を浮かべながら喋る。まるで、これが最後の言葉であるかのように。
「そんなこと言わないで! それじゃ、まるで……。それに、私は母様のようになるわ! 優しくて、賢くて、時々怖いけれど、そんな母様が、好きだから。だから、諦めないで……。そうだ、神聖術で。」
エレノアがこちらを見てくる。しかし、僕が声を発する前に、医者が声を発する。
「いけません! 何度も言ったはずです。神聖術は病の治療には、効果がないどころか、逆効果です。」
それはシーナ先生も言っていた。神聖術とて、万能ではないと。病を治すことも、死者を蘇らせることも、できないのだと。
「でも! 試してみないと、わからないじゃないですか!」
聞き分けのない子供のようにエレノアは言う。きっと、エレノア自身も理解しているはずだ。それでも、他に方法がないから、わかっていても、頼ってしまう。
「いいのよ、エレノア。私は、これ以上生きて、あなたの、重荷に、なりたくない。私は、もう、十分、生きたから。」
無理やり笑顔を作っているが、その笑顔は、とても辛そうで、見ている方が悲しくなってしまう。
そんなやり取りをしていると、後ろのドアから誰かが急いで近づいてくるのを感じた。
「エミラ!」
勢いよく入ってきたのは母さんだった。母さんはエレノアの隣に駆け寄り、涙が溢れてしまいそうな目でエレノアの母親、エミラさんを見ている。
「キルシア様、今まで、ありがとう、ございました。行き場のない、私を、屋敷に住まわせて、下さり、感謝しても、しきれません。」
「いいのよ、そんなこと! いいから、もう喋らないで、早く元気になってちょうだい!」
そんな母さんに対しても、辛そうな笑顔で返すエミラさん。
「ああ、私は何て、幸せ者なのでしょう。こんなにも、私を心配してくれる、人たちに囲まれて、いけるなんて。」
「縁起でもないことを言わないで、エミラ!」
「母様!」
とても幸せそうな顔をしている。これから死ぬというのに、怖くはないのだろうか。大切な人と離れ離れになるというのに、辛くは、ないのだろうか。
そんなことを思っている僕に、目を向けてくるエミラさん。
「あなたが、シエル様ですね。娘から、話は聞いて、おります。何かと、ご迷惑を、おかけするかも、しれませんが、どうか、娘をよろしく、お願いします。」
言いながら、視線が落ち着かなくなっていくエミラさん。なるべく短く、そして、安心できる言葉を返さなければ。
「はい、娘さんのことはお任せください。」
簡潔に、言ってほしいと思われる言葉を返す。その言葉に安心してくれたのか、胸を撫で下ろすエミラさん。
「……エレノア、そこにいる? エレノア、病気には、気をつけなさい。エレノア、シエル様に迷惑をかけては、だめよ。……エレノア、私の可愛い、エレノア。私はあなたを……愛しているわ。」
エレノアの頬に添えられていた手が、力無く放される。
エレノアの、声にならない声が部屋に響き渡る。
***
泣きじゃくるエレノアを一人にしてあげようと、僕たちは部屋を出る。申し訳なさそうに頭を下げて、帰っていく医者。
壁に背を預け、座り込む母さん。僕もその隣に座る。
「エミラは、ある貴族の妾だったの。そこで、正妻に酷い嫌がらせを受けていて、そのストレスで、病弱になっていったそうよ。」
エミラさんのことを話しだす母さん。今は彼女のことを喋りたいのだろう。少しでも長く、彼女を感じていたいから。
「父親はダメな人で、お金遣いは荒く、女の人を何人も抱え込んでいたらしいわ。そのせいで、お金がなくなり、自分の子供たちに出稼ぎをさせるようになったの。エレノアもその一人。」
エレノアが貴族だったなんて初耳だ。どうりで、品のある言動だったわけだ。
「エレノアがゼノバラン家で働くようになってから、一月ぐらいだったかしら、あの子の実家は借金で首が回らなくなって没落したの。そんな父親と縁を切って、エレノアとエミラはここで暮らしていたの。エレノアは病弱なエミラのために、メイドとして必死に働いて得たお金を、全部渡していたの。」
そう言えば、シーナ先生にお金の話をされた時、全部母親に渡していると言っていた。こう言った経緯があったのか。必死に働いて得たお金を、自分のためではなく、大切な人のために使うなんて、なかなか出来ることじゃない。すごい、と心から思った。
「エレノアもエミラも、悪いことなんてしていないのに、どうして……。神様なんて、いないのかもしれないわね。」
俯き、顔を隠すように自分の膝を抱え込む母様。
僕は何と声をかけていいか分からず、黙ることしかできなかった。




