第十八話 進歩
「よし。じゃあ、魔術の授業を始めようか。」
ここ数日、シーナ先生とレナード先生の授業が続いている。
シーナ先生の授業は魔術だけでなく、礼儀作法やダンスなどの、貴族としての一般常識を教えてくれる。わからないことだらけだが、わかりやすく教えてくれるため、何とかついていけている。
そして、レナード先生との特訓も続いている。最初の頃は、父さんに報告するべきだと言ってきていたエレノアも、今では僕にその気はないとわかってくれたようで、何も言ってこない。もちろん、父さんや母さんに報告しないように口止めしてある。
運動場には僕とシーナ先生、そしてエレノアがいる。しかし、いつもは離れたところから見ていたエレノアが、今は僕の隣に立っている。
そんなエレノアの行動を疑問に思ったのは僕だけではなかったようで、シーナ先生がエレノアに言葉をかけた。
「えっと、どうかしたの?」
真剣な眼差しでシーナ先生を見上げるエレノア。少しの沈黙の後、口を開く。
「私に、魔術を教えてください。」
頭を下げ、シーナ先生に頼み込むエレノア。シーナ先生は予想していなかった言葉で返され、少しの間、目を丸くしていたが、エレノアの真剣な表情につられたのか、先生自身の顔も真剣なものへとなっていく。
「何で、魔術を教えて欲しいって思ったの?」
「見ているだけなのは、嫌なので。嫌な人を吹き飛ばす力が欲しい。」
エレノアの返答を聞き、困惑した表情を見せるシーナ先生。僕も同じ気持ちだ。見ているだけは嫌だとエレノアは言った。それが一体何を指すのか、それはエレノアにしかわからないだろう。つまり、ここの部分はシーナ先生への返答ではなく、その後の部分が重要、ということだろうか。
「嫌な人が誰を指しているのか、わからないけれど、私があなたに魔術を教える義理はないことは理解してる? 何たって、お金もらってないからね。」
確かにそうだ。シーナ先生は父さんからお金をもらって、僕に指導してくれている。しかし、エレノアはお金を払っていない。シーナ先生が教える必要はないということだ。
そんなことはエレノアも理解しているのか、なおも食い下がる。
「私のお給料は母に渡しているので、支払うことはできません。それでも、お願いします。」
お金は払えないと伝え、ただ頭を下げ続けるエレノア。
「お金が払えないなら教えることはできないわ。」
真摯に頼み込むエレノアだったが、シーナ先生は断る。ここまで真剣に頼み込んでいるのだ、少しくらい教えてあげてもいいのではないかと思い、シーナ先生に言おうとした時、シーナ先生は言葉の続きを喋り出した。
「だけど、近くで見て、聞き、実践することは止めないわ。」
シーナ先生の授業を見れて、聞けて、実践できるのならば、それはもう、授業を受けていると言っても過言ではない。それはエレノアも気づいたのか、顔を上げ、とても嬉しそうな顔をする。いつもは無表情が多く、表情を変えたと思っても、嫌な顔をされることしかなかった。不意打ちのせいか、その顔がとても可愛く思えてしまい、僕は考えることをやめてしまった。彼女はどうして魔術を習いたいと思ったのか、そして、その魔術で何をしたいのかを。
***
シーナ先生との授業が終わり、ランチの時間になった。いつも父さんと母さんと僕で食べている。毎回、とても美味しい料理が出てきて、本当に夢のように感じる。昔の記憶が、だんだんと薄れていってしまっている気がして、少しだけ、寂しくなる。
食べ終わったら団欒の時間だ。二人はいつも僕の話を聞きたがる。なので、授業で何をしたのかや、屋敷で何が起きたのかなど、本当にくだらないことを話す。それを笑って聞いてくれる二人。僕はこの時間が好きだ。
しかし、今日は父さんから話をしてきた。
「少しの間、僕は留守にするから。」
話を聞くと、どうやら街道に魔獣が出たと報告があったようで、その討伐に向かうようだ。
「それって、冒険者の仕事なんじゃ……。」
なぜそんなことを貴族である父さんがしなければならないのかがわからず聞く。
「急を要する案件は、冒険者ではなく、領主のところに来るんだ。本来は、領主自ら赴くことはないんだけど、僕は国王陛下から騎士団を預かっていて、団長でもあるわけだから、同行しないと行けないんだ。」
そう言って、少し寂しそうな顔をする父さん。
「本当は行きたくないんだけどね。どうせ行っても、僕の出番はないし。それなら、愛する家族と一緒に過ごした方が、よほど有意義だよ。」
愛すると言われ、少し照れる。それは母さんも一緒なのか、顔を赤らめている。そして、そんな空気をぶち壊すように勢いよく扉が開く。
「団長! 五分の遅刻です! 早くしてください!」
そう言いながら入ってきたのは甲冑を着た高身長の男だった。兜は頭から外し、左手で抱えているため、顔を確認できる。眼鏡をかけ、白い髪をしていて、それを耳の辺りで切り揃えている。一瞬、森に生えていたキノコを思い出す。
「五分なんて誤差の内さ、ホービィ君。」
「何を呑気なことを言っているんですか! 五分遅刻するだけで、団員たちの士気は落ち、進行も遅れ、目的地に着く頃には、五分以上の遅れになります!」
爽やかな笑顔で対応する父さんだったが、ホービィと呼ばれた男はなおも怒鳴りつける。そんな父さんたちのやりとりを楽しそうに見ている母さん。止めなくていいのだろうか。そんなことを思っていると、ホービィがこっちを見る。そして、父さんを睨みつけていた表情から一変し、優しそうな笑顔を浮かべ、こちらに話しかけてくる。
「失礼。お初にお目にかかります、シエル様。ホービィと申します。シエル様は、こんな大人にはならないでくださいね。」
こんな大人の部分で視線を父さんにやるホービィ。そんな視線を受けて、心外そうにする父さん。
「本当に失礼だよ、ホービィ君。僕だって、ちゃんとしたところの一つや二つあるんだから、そうだろ? ローウィン。」
「はて、心当たりはありませんが。」
「えぇ!?」
父さんは話をローウィンに振るが、あっけなく裏切られてしまう。そのやり取りで、母さんは笑い出した。もう、何が何だかわからないな。貴族が、団長が、団員に怒られ、助けを求めた執事からは見捨てられ、妻はそれを笑って見ている。
何だかよくわからない状況だが、とても暖かいことだけは伝わってくる。そんなやりとりを見ながら、この後の特訓を頑張るための英気を養う。
***
午後の特訓の時間。僕とレナード先生は運動場で向かい合っている。近づいてくるレナード先生。
「お前、何で平気そうなんだ? 普通、あんだけやられりゃあ数日は動くだけで激痛が走るはずだが。もしかして、回復してんのか?」
僕の服を木剣で捲るレナード先生。お腹を見て笑みをこぼす。
「はっ! すげぇな魔術ってのは。あざの一つもありゃしねぇ。」
どこか嬉しさが滲んでいる喋り方だ。
「これなら、もう手加減は必要ねぇな。」
そう言って間合いを取り、構えるレナード先生。話は終わりだと、態度で示される。
いつも通り、力一杯、木剣を振る。だが、やはり当たらない。
「素直すぎるんだよ!」
お腹に木剣が当たり、勢いそのままに、後ろへと吹き飛ばされる。
一瞬息が止まるが、何とか呼吸をする。空気を吸い込んだ瞬間、止まっていた時間が進み出したかのように、激しい痛みが襲ってくる。これが真剣なら胴体が真っ二つになっていたことだろう。痛みが治るのを待ってから立ち上がる。すると、レナード先生は驚愕といった表情を浮かべる。
「な!?」
すぐに僕に近づき、先ほど攻撃したところを確認するため、再び服を捲るレナード先生。そこには先ほどと同じように、あざ一つない状態の腹部がある。
「嘘だろ。魔術を使った時の発光は無かったぞ。」
魔術を使うと少しだけ光が出るが、僕のこれは魔術ではない。そのため、発光はしない。
「……理由はわからねぇが、つまり、お前は、すぐ怪我が治り、あざも跡もできないと、そういうことか。」
言った後笑い出すレナード先生。ひとしきり笑い終えた後、また喋る。
「……俺、貴族って嫌いなんだよな。いつも偉そうにして、税金とって、楽して美味い飯食ってるような連中が、心底嫌いなんだよ。底辺の人間がどんな苦しみを味わっているかなんて、知りもしない、お前みたいな奴が! 大っ嫌いなんだよ!! だから、嬉しいぜ。そんな貴族をサンドバッグにできるんだからなっ!」
そう言って、僕の全身に攻撃を浴びせてくるレナード先生。
なるほど、側から見れば僕は何の苦労も知らない、貴族の子に見えるのか。苛立ちが込み上げてくる。孤児院で子供達にいじめられている時も、園長先生に殴られ、蹴られ、追い出された時も、あの実験の時も、怒ったことはなかった。でも、こればかりは許せない。僕がどれほどまでの苦痛を味わってきたのか、知らないくせに。おそらく、レナード先生が体験したこと以上の苦しみを味わっている。
僕は悲鳴をあげる体に鞭を打ち、段々と見慣れてきたレナード先生の木剣の動きを目で追い、ギリギリのところで避ける。そして、隙だらけの腹部を木剣で突く。初めて、人を攻撃した。それも、悪意を持って。少しだけ心がスッとし、楽になった気がした。
しかし、大して力は入っていなかったのか、レナード先生は僕の攻撃など気にも止めず、木剣で僕の頭を強打した。