第十五話 実験の成果
浴場から出ると、次の場所に案内される。案内されながら周囲を見渡す。どれもこれもが一級品であると一目でわかる。すれ違う使用人の人たちから頭を下げられ、居心地が悪い。おそらくレンが僕のことを伝えたのだろう。
しばらく歩くと扉の前でエレノアが足を止めた。どうやらここが目的地らしい。広い屋敷のため、かなり歩かされた。
エレノアが扉を開け、僕に視線を向けてくる。どうやら入れ、ということらしい。大人しくその指示に従っておく。扉をくぐると、長い机が目立つ。その一番奥には当主であるレンが、その左には妻であるキルシアがすでに座っていた。
二人は遅れて入ってきた僕を責めるでもなく、優しそうな笑顔を浮かべながら、レンの右側の席に着くよう勧めてくる。席に着くとその後ろにエレノアが立つ。
レンがベルを鳴らすと、扉が開き、一人の使用人が料理を運んでくる。それをエレノアやローウィンがそれぞれの目の前に置いてくれる。
「あ、ありがとう。」
お礼の言葉をエレノアに言うと、また睨まれ、そっぽを向かれてしまった。その反応に少しの寂しさを感じつつ、料理へと目をやる。一つ一つの皿にどれだけの時間をかけたのだろうか、見た目がとても美しく、食べるのが勿体なく感じる。
「さあ、冷めないうちにいただこうか。」
そんな僕を見て、早く食べることを勧めてくるレン。確かに、料理は温かいうちに食べた方が美味しいに決まっている。僕はフォークを持ち、肉料理に刺す。フォークの先端が抵抗なく入っていく。そして、刺した部分から肉汁が溢れ出てくる。僕はキラキラと湧き上がる肉汁が溢れる前に肉に齧り付く。フォークを刺した時から分かってはいたが、実際口に入れてみると理解が追いつかないほど柔らかい。溢れ出る肉汁が口の中に広がる。単体ではくどくなってしまう肉汁を香辛料が引き締めている。ソースの風味が鼻から抜ける。それでもなお、口いっぱいに広がるソースの味。美味しいなんてものじゃない。僕は二口、三口と食べ進めた。
しばらくして、周りが静かなことに気がつく。顔を上げ、二人を見ると、とても綺麗な所作で食べ物を口まで運んでいる。そこに音は存在していない。そんな二人を見ると、先程までがっついていた自分が恥ずかしくなる。食事をする手を止め、赤くなっているだろう顔を隠すように下を見つめる。やはり、自分は場違いなのだと実感する。
「どうかしたの?」
目の前のキルシアが不安そうに尋ねてくる。口に合わなかったかどうかを心配いているのだろうか。そうだとしたら、それは杞憂だ。この皿は一つ一つが好物になりそうなぐらい美味しい。だが、
「テーブルマナーなら、気にすることはないよ。これから覚えていけばいい。それよりも、食事は好きなように、楽しんで食べることが大事だよ。」
僕が気にしていたことを察したのか、そう言ってくれるレン。食事は楽しんで、か。そうだ、食事の時間はいつも楽しかった。量は少なく、質は悪かったが、それでも兄ちゃんがいた。いつも一緒に食べてくれた。たわいもない話で笑い合った。僕にとって食事の時間は心休まる時間だった。身も心もいっぱいになる時間。
気がついたら目から涙が溢れていた。目の前がよく見えなくなる。鼻水を啜り、手で涙を拭う。それでも止まることはなく流れ続ける。
突然の出来事に困惑した声が聞こえる。二人は椅子から立ち上がり、僕のそばまで来てくれる。キルシアが左手を握ってくれる。レンは背中に手を当ててくれる。そんな二人の優しさのせいで、涙の勢いが増す。
「ごめんなさい。」
楽しい食事の邪魔をして。
「ごめんなさい。」
僕だけが、こんないい思いをして。
「ごめんなさい。」
僕だけが生き残ってしまって。
***
食事が終わった。二人はワインを楽しんでいる。僕は次に何をすればいいのかがわからず、黙っていることしかできない。すると、レンから話題が振られた。
「聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
優しくそう言ってくれるレン。先ほどのことがあるため、こちらに気を遣っているのだろう。そんなレンに頷きで返す。
「シエル君を見つけた時、狼の魔獣に襲われていて、君の服は血だらけだった。しかも、君は長い間、非人道的な実験を繰り返されてきたにもかかわらず、五体満足な状態だ。その理由を、君は知っているかな?」
そんな問いに僕は答えることができない。なぜこんな体になったのか僕でもわからないからだ。唯一、そのことを知っているとしたら、あの老人以外いないだろう。僕は首を横に振って答える。するとレンは、そうか、言って少し考える。そして、何やらローウィンに指示を出す。ローウィンが部屋から出ていく。
「今、ローウィンに魔水晶を取りに行かせた。魔水晶は使用者の魔術適性と魔力量を測定できる。シエル君、それを使ってみてくれないかな。……まあ、適性に関してはその髪色を見ればわかるから、魔力量だけ、確認させて。」
僕の白髪を見てそういうレン。たしか、神聖魔術と死霊魔術を使う人の髪色は、白と黒で決まっているっていう話だったな。ということは僕は神聖魔術の適性があるということか。だとしたら、その魔術のおかげで生き延びれた、という事だろうか。そんなことを考えていると、ローウィンが戻ってくる。
紫色のクッションのような物を両手で持ち、その上に透明な球体を乗せてやってくるローウィン。それを僕の前に置き、レンの後ろへと下がる。これが魔水晶。どうやって使うかがわからず、レンの方へと目を向ける。
「手を乗せるだけでいいよ。」
言われるがままに右手を乗せてみる。すると、強い光を出し始める水晶。閃光と表現したほうがいいぐらいの光のせいで、目を開けたままにしておくことができない。瞼を閉じているというのに眩しさを感じる。僕は水晶から手を離す。すると、光が収まる。ゆっくりと目を開けると、他の人たちも同様に、閉じていた目を開けているところだった。
「な、なるほど、原因が何となくだけど、わかったかな。」
目をこすりながらそう言うレン。一体、今ので何がわかったというのだろう。疑問を込めた視線でレンを見る。すると、キルシアも僕と同様の目でレンを見ていることに気がつく。
「おそらく、シエル君は膨大な神聖力が神聖核から溢れ出しているんだと思う。そして、その溢れ出た神聖力が、本人の意思に関係なく、自分の体を万全な状態にしているんだろう。」
その言葉に周囲の人たちが驚愕の表情を浮かべる。僕はレンが何を言っているのかさっぱりわからなかったため、他の人たちの反応も理解できない。
「神聖核から神聖力が溢れ出すなんて、ありえるの?」
キルシアがレンに対して質問を投げかける。
「通常はありえない。神聖核は自分の大きさに合わせて、生成する神聖力の量を決め、いっぱいになると生成を止める。だが……おそらく、シエル君は……実験によってその機能が壊されている。」
複雑な表情を浮かべるレン。その答えがさらなる疑問を生んだのか、キルシアが再び質問をする。
「その状態のままだと、どうなるの?」
ゴクリと喉が鳴る。それは僕のものなのか、キルシアのものなのか、はたまた、他の人が鳴らしたものなのかはわからない。
「……わからない。けど、こんな話がある。……昔の国王は自分に神聖術をかけさせることで長生きできると信じ込み、大量の神聖術師を雇い入れ、毎日、浴びるように術を受けていたらしい。しかし、それは長くは続かなかった。」
そこで一旦、言葉を区切るレン。
「その国王陛下はどうなったの?」
続きを促すキルシア。その催促を受け、続きを語りだすレン。
「……一週間後、突然亡くなられた。それまで、元気に生活されていたから、周囲の人は驚いたそうだ。おそらく死因は、神聖術の過剰行使だと言われている。つまり、これが本当だとすると、怪我を負うたびに回復してしまうシエル君は……。」
レンは最後まで言わなかったが、おそらく死ぬのだろう。何だか、他人事のように感じる。
「そんなっ!」
開いた口を手で隠しながら涙を浮かべるキルシア。僕のことでそこまで心配してくれていることに、嬉しさを感じる。
「シエル君。これから君は、なるべく怪我を負ってはダメだよ。命に関わることだからね。」
真剣な眼差しでそう言うレン。だが、命に関わると言われても、何とも思わない自分がいることに気がつく。おそらく、この恵まれた環境にいることに罪悪感を感じていて、いつか、それなりの罰がくだるということは覚悟しているためだろう。だが、そんなことをこの二人の前では絶対に口にできない。これ以上、心配はかけさせたくない。僕は、頷くことしかできなかった。