39 真実を(3)
「……後妻には私が行きます」
シャーロットの言葉に一番早く反応したのはエリアスだった。
「シャーロット、何を言う?君は何も悪くないんだ。嫁ぐ必要なんてない」
「エリアス様、ありがとうございます。でもいいんです」
「いいのか、シャーロット?」
父ベルナルドが確認するように聞いた。
「はい」
例え今までのリーディアの行いが明るみに出たとしても、ここまで広がった“シャーロット”の悪評をすべて払拭できるとは思えなかった。
貴族令嬢としていつかは嫁がなければならない。しかしこれからシャーロットに、はたしてまともな縁談が来るだろうか。きっと訳ありのものだったり、また同じような後妻の話が来るのが関の山だ。
今、子爵の後妻を回避できたとしても結局は同じことなのだ。好きな人と結ばれる可能性は絶対にないのだから。
検討している縁談があるとエリアスは話していた。きっとそう遠くない未来、ふさわしい名家の令嬢と婚約するのだろう。
それを王都に残って目の当たりにしてしまうくらいなら、さっさと嫁いでしまったほうがきっと辛くない。
それに、シャーロットにはずっと心にトゲが刺さったように残っている後悔があった。
シャーロットは自分そっくりに変装した姉リーディアを見つめた。
視線に気がついたリーディアは腕を組み、尊大な態度をとる。
「ふん、謝罪なんてしないわよ」
「お姉様」
「なによ…?」
「…ずっとお姉様に謝りたいと思っていたことがあるんです。
昔、お姉様が私に助けを求めてきた時、何もできなくて本当にごめんなさい」
それは、まだ母が生きていた頃のことだった。
第一王子の婚約者候補になったリーディアは、婚約者に選ばれる為に厳しい淑女教育を受けていた。教育熱心な母にリーディアの1日のスケジュールは完全に管理されていて、同じ屋敷に住んでいるのに最近食事の時間くらいしかシャーロットはリーディアと顔を合わせることがなかった。
ある日の夜中、自分の部屋で寝ていたシャーロットはカチャリと扉が開く音を聞いて目を覚ました。
『…誰?ミリー?』
風邪を引いた時以外でこんな時間に人が来ることは今までなかった。
シャーロットは眠たい目を擦りながら開いた扉の方を見る。
部屋に入って来たのはリーディアだった。
『お姉さま?』
小さな明かりを持つリーディアが、シャーロットのいるベッドまで近づいてきたことでぼんやりしていた顔がはっきり見える。姉は泣いていた。よく見ると目も真っ赤でここに来る前からずいぶん泣いていたようだった。
淑女教育の賜物か微笑を張りつけたようなリーディアの顔しか最近見ていなかったシャーロットはびっくりして眠気もどこかに飛んでいった。
『お姉さま、どうしたの?』
『シャーロット、お願いがあるの…』
リーディアは小さく震える声で言った。普段の落ち着いた佇まいの彼女とのあまりの違いにシャーロットはただ驚く。
『お願い?』
『一緒にお母さまに頼んでほしいことがあるの。私…一日中勉強ばかりで、お母さまもとても厳しくて本当はつらくて。少しだけでもお休みの時間がほしいって、お母さまに言おうと思うんだけど、ひとりじゃ怖くて、シャーロットも一緒にお母さまに言ってくれる?』
リーディアの言う通り、彼女は母親に朝食の前に自習、日中は淑女教育の予定がぎっしり詰めこまれ、夕飯の後には就寝前まで予習復習の時間と決められていた。1日のうちで自由にできる時間などほとんどなかった。
『うん、いいよ。そしたらお姉さま、また私と遊んでくれる?』
『ええ、もちろん。ありがとう、シャーロット』
シャーロットの言葉にリーディアは赤い目のまま嬉しそうに笑った。
翌日。
朝食が終わった後、シャーロットはリーディアと手を繋ぎ、母親に話をしに行く。
勉強時間が多すぎるので、もう少しだけ休み時間がほしい、と。シャーロットと一緒に読書や刺繍をしたり自由に遊ぶ時間がほしい、と。
ところが話を聞いた母の顔色がみるみる変わった。
『リーディア!馬鹿なことを言うのではありません。あなたは将来王妃にだってなれる可能性があるのよ。だから一秒だって時間を無駄にできないわ』
母の言葉を聞き、繋いだリーディアの手が震えているのがわかった。昨日の夜、リーディアと約束したシャーロットはなんとか姉の加勢をしたくて言った。
『お、お母さま。私、お姉さまと一緒に遊びたいで――』
言葉の途中で突然、頬に衝撃が走り、シャーロットはその場に尻餅をついた。ずきずきとした痛みがその後やってきた。少し遅れて母に叩かれたのだとわかった。
無視されることはあっても、叩かれたことは今までなかった。
『シャーロット悪い子ね!あなたがリーディアを唆したのね。リーディアはあなたのような出来の悪い子に構っている時間はないのよ!』
そう言って母はもう一度シャーロットにむけ手を振り上げた。その手にはいつの間にか小さな鞭が握られていた。
シャーロットは恐怖で身をすくめる。
その時、シャーロットを庇うようにリーディアが前に出た。
『お母さまやめて!!もう、いいです。今まで通りでいいです。シャーロットとは遊びません』
頬に手をあて声をあげて泣き出すシャーロット。それには目もくれず母親は『勉強の時間に遅れてしまうわ』とリーディアを引きずるように連れていった。
その後も母のリーディアへの教育熱は増す一方だった。朝から晩まで王子の婚約者に選ばれるために同年代の子の何倍もの量の厳しいレッスン、勉強が課されていた。
確かにリーディアは優秀で多すぎるそれらの課題を毎日こなすことができた。でも優秀だからといって楽にこなしているわけではなかった、まだ幼さの残る少女が自分の時間をほとんど犠牲にしてようやくできるものだった。
あれ以来リーディアがシャーロットに助けを求めてくることはなかった。
シャーロットも母の目が怖くてリーディアに話しかけることができなかった。
時々、気温の高い日にも拘わらずリーディアが長袖のドレスを着たり、肘まで隠れる手袋をしていたりするのを見ると、もしかして母にあの小さな鞭で打たれた痕を隠しているのかもしれないとシャーロットは心配した。
それでもシャーロットは母が怖くてリーディアが苦しんでいることを誰にも話せなかった。
母の目にとまらないようになるべくひっそりと目立たず生活していた。
リーディアも表向き淑女の見本のような微笑を顔に張り付け、何事もなかったかのように過ごしていた。
あの時、父親や執事、信用できる大人にリーディアのことを話してたら何か変わったかもしれない。でもシャーロットはそこまでできなかった。
リーディアはいつしか微笑を絶やさない完璧な淑女となっていた。シャーロットとたまに顔を合わせることがあっても姉の心から笑う姿を見ることはなかった。
そして――第一王子の婚約者が別の令嬢に決まり、しばらくして母が亡くなり父が領地にひとり移り住むと、リーディアは何か吹っ切れたように人が変わり、シャーロットに変装して夜遊びをはじめたのだった。
「あの時、私にもっと勇気があれば、何かできていれば、苦しむお姉さまを助けることができたかもしれません」
頭をさげるシャーロットをじっと見ていたリーディアはフイッと視線をそらす。
「…別にあなたに助けてほしいなんて思ってなかったわ。きっと周りの大人だって気づいていてもみんな見て見ぬふりをしていたのよ。私に勝手に過剰な期待を寄せて、それが達成できないと勝手に落胆して。
お母様が亡くなったとき、もちろんとても悲しかったわ……でも少しだけほっとしてしまったのよっ。もうこれで“貴女の努力が足りなかった”って詰られることはないんだって…」
リーディアの片方の瞳から一筋の涙が零れた。
深く沈んだような重い空気の中、2人の父ベルナルドがぼそりと謝罪の言葉を口にした。
「リーディア…シャーロットも…すまなかった」




