36 確信 / 不機嫌な姉
馬車に乗ったエリアスはふーっと息を吐いた。
頭に浮かぶのは先程見た使用人姿のシャーロットだった。
彼女はどうやら以前から伯爵家で使用人のように扱われていたようだ。
そして、彼女の姉リーディアがそれを主導している可能性が高い。
では、夜会で男をとっかえひっかえしているというシャーロットに以前からある噂はどうなのか。
使用人のように扱われ、虐げられ、日頃の鬱憤を晴らすように酒を飲み、夜会で男と遊んでいたとも考えられる。しかし、彼女は本当にそんなことするだろうか。
そんな人間ではないとエリアスが思いたいだけなのかもしれないが…
馬車でやって来たのは王都の外れ、シャーロットの伯爵家て働いていた元使用人が営むパン屋だった。
「いらっしゃいませ――あなたは…シャーロット様の…?」
「突然訪ねてきて申し訳ないが、彼女のことで少し話を聞かせてもらえないだろうか」
ミリーは驚きつつも、店の奥へと案内した。
「貴族の方にこんな場所しかなくて、すみません」
「いや、全く構わない」
「…先日シャーロット様もここに来てくださったんですよ」
「彼女もここに?」
「はい……あなたに酷いことをした、もう一度会って謝りたいと言ってらっしゃいました。
その後、シャーロット様とはお会いになられましたか?」
「ああ」
「…シャーロット様は約束を破るような方ではないんです。きっと…事情があったんだと思います。私が言うことではないですが、許してあげてほしいです」
「…ずっと彼女のことを誤解していた。噂通りの人間なのだと。でも今日、使用人服を着て、掃除しているシャーロットを見たんだ。
教えてくれないか。シャーロットは彼女の姉に虐げられているのか?夜会で男と遊んでいたのは本当に、シャーロットなのか?」
「………シャーロット様は幼いころからひとつ上の姉リーディア様と比べられてきました。リーディア様がとても優秀であったため、シャーロット様はそんなことないのに、不出来だと言われてしまうことも多くありました。ご両親の関心も常にリーディア様にあり、シャーロット様は寂しい思いをしていたようです。それでも姉妹の仲はその時は悪くなかったように思います。それが…シャーロット様たちのお母様、伯爵夫人がお亡くなりになり、伯爵様が領地に単身戻ってしまってからです。2人の関係が…変わって…」
話しているうちにミリーの顔色は悪くなり、手が小刻みに震えだした。
「どうされました?お加減でも?」
「申し訳ありません。伯爵家の使用人を辞めるときに、伯爵家の内情を一切口外しないという誓約書にサインしたんです。自分はどうなっても構わないんですが、もし…娘に何かあったりしたらと思うと…これ以上は…申し訳ありません」
ミリーは悲痛な表情で頭を下げた。
「いや、こちらこそ申し訳なかった。もう充分だ、話が聞けてよかった。感謝する」
エリアスは席をたち、帰りの挨拶をする。
「お、お待ちください」
店を出ようとするエリアスをミリーが引き留める。そして震える小さな声で言った。
「あ…あなた様の考えてらっしゃることはおそらく正しいと思います。私の知るシャーロット様は優しく、とても純粋な方なんです。どうか、シャーロット様のことよろしくお願いします」
「そうか、ありがとう」
再び馬車に乗ったエリアスは膝の上の拳を握りしめた。
知らなかったとはいえ、自分はシャーロットにひどい態度をとってしまった。
『そういえば君の姉ぎみはとても優秀な淑女と評判らしいな。君も少しは見習おうとは思わなかったのか?』
彼女をどれほど傷つけただろう。
そして―――
(俺が以前交際していたシャーロットは―――)
◇
ガシャンッ ガシャンッ
室内に陶器の割れる音が鳴り響く。
「お、お姉様、お止めください」
「うるさい!」
「きゃっ」
制止しようとしたシャーロットはリーディアに思いっきり突き飛ばされ、その場に尻餅をついた。
最近、姉リーディアの機嫌が最悪だった。しょっちゅう癇癪を起こし、物に当たる。部屋はひっくり返ったようにぐちゃぐちゃになった。
「さっさと片付けておきなさいよ!」
「…はい」
割れた皿の破片を拾い、粉々になったものは箒で集める。
機嫌の悪いリーディアを恐れて、他の使用人は彼女を極力避けている。そのためリーディアの荒らした部屋の片付けはほぼシャーロットの仕事になりつつあった。
リーディアがこうなった原因は第二王子ハロルドの婚約者が決定したことだった。ハロルドの選んだのは地方のあまり大きくない子爵家出身の令嬢だったのだ。
「どうして、この私を差し置いて子爵家の小娘なのよ!私の方が何もかも優れているじゃないっ」
過去、第一王子の婚約者になったのは高位貴族、公爵家の令嬢だった。家柄で選ばれたのならしかたがないとリーディアも諦めがついた。
しかし、今回は自分より下位の貴族令嬢が選ばれたのだ。しかも見た目も田舎くさくパッとしない女だった。容姿も教養もマナーも何もかもリーディアの方が優れていたのに。
どうして彼女が選ばれて、リーディアは選ばれなかったのか。
理解ができず、すべてがリーディアの気に障った。
「はぁ」
シャーロットは大きなため息を吐く。
ただでさえ屋敷の使用人の仕事をたくさん押し付けられ忙しいのに最近はさらにリーディアが荒らした部屋の片付けまで加わり休む暇もなかった。疲れきっていた。
子爵に嫁ぐまですでに2週間を切っていた。
あまりに疲れていたシャーロットはいっそ早く嫁いだ方が楽な暮らしができるかもしれないと思うことさえあった。
子爵には愛人がいる。シャーロットはお飾りの妻としての役割だけ果たせばいい。
(嫁ぎ先でも冷遇されるかしら…でもここよりはマシかもしれない)
昨日の夜、小さなパンとスープを飲んだきりで、今日はまだ何も口にしていなかった。
リーディアに命じられ納戸の片付けをしていた時だった。
ガチャン
急に鍵が閉まる音がして慌ててシャーロットが扉に駆け寄る。
「すみません!中にまだいます!開けてください」
誰かがシャーロットがいるのに気づかず、鍵を閉めてしまったのだろう。
「――シャーロット、今晩は大人しくそこにいなさい」
「お姉様?」
扉の外から聞こえてきたのはリーディアの声だった。




