32 既視感
シャーロットとの話を終え、エリアスは先に舞踏会の会場まで戻ってきた。
『―――約束を破ってしまったこと本当に申し訳ありませんでした。謝ってどうにかなることじゃないってわかってます。でももう一度謝りたくて』
今さら何と謝られたところで、彼女が酒を飲んで他の男と仮面舞踏会に行ったという事実は変わらない。
奔放なシャーロットにこれ以上関わることは侯爵家の嫡男としても相応しい行動と言えない。エリアスはそう考えて、先ほどシャーロットと話すときも殊更冷たく対応した。
しかし――
(あんなに悲しそうな顔をするならどうして他の男と舞踏会に行ったんだ)
侯爵家の者として正しい対応だったと思うのに、シャーロットのひどく悲しそうな顔が頭から離れない。
―――エリアス様
ふと、シャーロットの声が聞こえたような気がしてエリアスは振り返った。しかしそこには誰もいない。気のせいだったのだろう。
そういえば彼女は戻ってきただろうか。会場をざっと見渡すがシャーロットの姿は見つけられなかった。
話を切り上げるために自分だけ先に会場へ戻ってきてしまったが、城の警備体制がしっかりしているとはいえ薄暗い場所に女性をひとり残してきたのはあまり褒められる行動ではない。
もしかして彼女はまだあの場所でひとりでいるかもしれない。
隠れて様子を見に行こうかと逡巡し、踵を返そうとした時。
ホールの中央からあがる感嘆の声にエリアスは足を止めた。
「素敵ね。まるで昔からパートナーだったみたい」
「本当にお似合いだわ」
「ハノホープ伯爵家のリーディア様ね」
「評判の悪い妹の方とは大違いね」
「確かに。姉妹でどうしてこんなに出来が違うのかしらね」
会場の中央、第二王子とともに素晴らしいダンスを披露していたのはリーディアだった。
(彼女がシャーロットの姉か…)
エリアスがリーディアの姿を見たのは記憶にある限り初めてだった。完璧な淑女と評判だが、身体が弱く、社交の場、特に夜会にはほとんど姿を現さないと聞いていた。
初めて見たリーディアは髪色こそ違うがその他の容姿、背格好はシャーロットそっくりだった。
だか最もエリアスの興味をひいたのはリーディアの素晴らしいダンスだった。
エリアスはそのダンスに既視感があった。
(姉妹だから似ているは当然か…だが、シャーロットは…)
エリアスはシャーロットとの一度目の交際中に何度かダンスを踊ったことがある。その時のシャーロットのダンスの技量は一流で、エリアスも感心したものだった。まさに今、目の前で踊っているリーディアのような…。
だから仮恋人になってから自称素面のシャーロットのダンスを見て驚いたのだ。まるでずっと踊ってなかったかのような不慣れな様子に。
酒を飲むだけで、ダンスの腕がこうも変わるのかと疑問だったが、その時のエリアスはそれが嘘でも誠でもとにかく舞踏会に行くパートナーがいればよかったのだ。だからそれ以上深く考えることはしなかった。
妙な既視感に首を傾げながらエリアスは第二王子とリーディアのダンスを見続けた。
間もなく、遠くから甲高い女性の悲鳴が聞こえた。
◇
シャーロットが目を覚ますと、視界に入ったのは見知らぬ部屋の天井だった。
「シャーロット!よかった、目を覚ましたのね」
「――お姉様?」
シャーロットの寝かされていたベッドの横から、リーディアは心配そうにこちらを見おろしていた。目には涙が溜まり、シャーロットの左手をぎゅっと握っている。
まるで妹を心底心配する姉のようなリーディアの姿にシャーロットはぎょっとする。
(お姉様どうしちゃったの!?…そもそも私…)
額の右側がズキッと痛み、シャーロットは顔をしかめる。そっと触ると頭に包帯が巻かれていた。
「シャーロット、大丈夫か?頭が痛むのか?」
(えっ?)
その声に驚いて見上げるとリーディアの後ろにはエリアスが立っていた。
「エリアス様!」
慌てて身体を起こそうとするシャーロットをエリアスが制する。
「君は頭をぶつけたんだ。まだ安静にしていた方がいい」
「あの、私……ここは?」
「ここは王城の客室よ。シャーロット覚えてない?あなた会場の外で――――」
リーディアの話を聞きシャーロットは記憶が蘇る。
(そうだ、私…)
記憶とともにその時の恐怖も思い出し身体が震えた。
「シャーロット、すまなかった。僕が君を会場まで送り届けるべきだったのに。あんな薄暗いところに残して来てしまった。僕の責任だ」
エリアスが沈痛な表情で頭を下げた。
「い、いえ、そんなことありません。自業自得ですから」
自業自得というか、リーディアのせいだった。リーディアがシャーロットに変装して好き勝手男性と交遊したからこんな目に合ったのだ。
チラリとリーディアを見たが、彼女はエリアスから見えない角度でシャーロットに睨みを利かせていた。何も余計なことは言うなとばかりに。
「エリアス様。夜遅くまでありがとうございました。妹も目を覚ましましたし、後は私がついています」
「いえ、心配で僕が勝手に付き添っていただけですから。このあともよろしければ僕がついてます。不躾ですが、リーディア嬢はあまり身体が丈夫ではないとお聞きします。無理をしない方がいいのでは?」
「いえ、心配には及びません。最近はもうすっかり体調がいいんです。ですからこちらにお任せください」
「そう、ですか……それでは今日は失礼いたします。また改めて伯爵家の方にもお見舞いに伺わせてください」
「まあ、ありがとうございます。エリアス様は本当にお優しい方ですね
シャーロット、これに懲りたらもう夜遊びは控えた方がいいわ。あなたを心配してるのは私だけじゃないのよ」
「…………っはい」
あまりに勝手なリーディアの言葉に返事をせずにいたら、握られていた左手に爪を食い込ませてきたのでシャーロットは仕方なく返事をした。
「では失礼します。…シャーロットまた様子を見に行かせてくれ」
そう言ってほぼ無意識にエリアスはシャーロットのピンクの髪を撫でようとした。
その手がのびてきたとき、シャーロットは反射的にあの男の手を思い出し身体がびくりと震えてしまった。
「…っすまない」
「ち、違うんです」
傷ついたような顔をしたエリアスにシャーロットは慌てて否定した。エリアスの手を怖がったわけでは決してなかったから。
「わかっている。あんなことがあったばかりなのに配慮に欠けていた。すまない。今日はゆっくり休んでくれ。それじゃあ」
「はい…」




