19 朝の市場
「ふぅ、買えてよかったわ」
早朝の市場、ずらりと並んだ露店の間をたくさんの人が往来していてとても賑やかだ。今日、シャーロットは姉リーディアのために牛乳を買いに来ていた。
最近姉は新鮮な牛乳にはまっている。週に一度この市場に牛飼いが牛を連れてくるので、絞りたての新鮮な牛乳が買える。それを朝食に飲みたいという。
絞りたて牛乳は人気があるため朝早く並ばなければ売り切れてしまうこともある。
そのためシャーロットは夜も明けきらないうちに屋敷を出発してきた。
(さあ、早く帰らなきゃ。お姉さまに遅いって怒られちゃう)
「―――えっ?シャーロット嬢?」
「!」
声をかけてきたのはエリアスの友人で伯爵令息のケヴィンだった。
(なんでこんなところに!)
市場を行き交うのは平民ばかりで、貴族に会うことはほとんどない。
シャーロットは慌てて顔を伏せる。
「ひ、人違いです」
「いや、その髪色はシャーロット嬢でしょ?」
シャーロットのくすみピンクは珍しい髪色だ。
大きめの帽子をすっぽり被り、髪も纏めて中にしまいこんでいたつもりだったが、いくらか垂れてしまっていたようだ。
「こんなところで何してるの?ひょっとして朝帰り?」
(あさがえり?)
観念したシャーロットは素直に言った。
「あの…牛乳を買いに来ました」
「牛乳を?わざわざ自分で?」
「はい。新鮮な牛乳がどうしても飲みたくなって」
「ふーん。見たところひとりみたいだけど、従者もつけずに来たの?」
ケヴィンが訝しそうに辺りをキョロキョロと見る。
「…はい」
シャーロットは家では使用人のような扱いなのでついてくる従者などもちろんいない。
「あの、ケヴィン様もこちらにはよく来られるのですか?」
「いや、初めてだよ。実は付き合いでこの近くで昨日の夜から飲んでいてね。こんな時間になってしまったから、酔いざましに歩いていたらたまたま通ったんだ」
「そうだったんですね」
シャーロットは内心ホッとした。シャーロットはお使いでこの市場を時々利用するので、ケヴィンとそのたび顔を合わせるのも困ると思ったのだ。
「…では、私はそろそろ失礼します」
「あ、ああ」
荷物を持ち、シャーロットは足早に市場をあとにする。
「ちょ、ちょっと待って。馬車はどこ?」
ケヴィンが驚いたようにシャーロットの後を追ってきた。
「えっと…大通りに出てから乗ります」
「大通り?ずいぶん離れたところに馬車をとめたんだね」
「いえ、行きは歩いてきたので、帰りは乗合の馬車に乗ろうと…」
屋敷の馬車をシャーロットにはあまり使わせてもらえない。
「は?歩いて!?それにひとりで乗合馬車って?どうして?そこまでして牛乳が飲みたかったの?」
ケヴィンはびっくりして聞き返す。お陰で酔いもすっかりさめてしまった。貴族の令嬢がひとりで市場に来ているのも驚きだが、歩いてきたなんて信じ難かった。シャーロットの伯爵家の詳しい場所まで知らないがそれでも小一時間はかかるのではないか。
「…ちょっとうちの馬車が故障してまして…それでは朝食の準備もありますので失礼します」
「ちょっと待って――――」
(朝食の準備??)
急いでいる様子のシャーロットをケヴィンは混乱しながらも再び引き留めた。
―――
―――――
「…あの、馬車に乗せていただいてありがとうございます」
申し訳ないので1度は断ったものの屋敷まで送っていくと譲らないケヴィンに甘えてシャーロットは彼の馬車に乗せてもらった。
「いや、いいんだ。流石にそんなに荷物を持つ令嬢を見て見ぬふりはできないよ」
シャーロットは牛乳の入った缶を持ち、さらに肩からさげていたバックにも荷物が入っていた。とても貴族の令嬢が持つ荷物ではない。
今さら恥ずかしくなったシャーロットはうつむいて話す。そういえば今着ている服も着古した地味なワンピースで、まさに使用人のような格好をしていた。
「すみません。………あ、あの、市場にいたこと恥ずかしいのでエリアス様には内緒にしていただけませんか?」
「…まあ、いいけど。そもそもエリアスも君が日中何してるかなんてそこまで興味ないと思うよ。期間限定の仮の関係だろ?」
「そ、そう、ですよね…」
自意識過剰だったようで余計恥ずかしくなった。
最近、シャーロットは頻繁にエリアスのことを考えてしまう。たぶん1日のうち彼のことを考えている時間が最も多い。
でも、ケヴィンが言ったようにエリアスはシャーロットが日中何をしてようと興味がないのだ。会うとエリアスは優しくて、まるで本当の恋人のように接してくれるので時々自分の立場を忘れてしまう。
―――
――――――――
「お姉さま牛乳を買ってきました」
ケヴィンが馬車で送ってくれたためシャーロットは予定より早く帰宅できた。
朝食の準備をして、姉リーディアが待つ部屋に入る。
「そう、じゃあ早く朝食の支度してちょうだい」
「はい…………
あの、お姉様それは?」
リーディアのための朝食の配膳をしながらシャーロットは彼女の手元にあるものが気になった。
椅子に座るリーディアの手元には手紙と贈り物の箱、それから新品の若草色のワンピースがあった。
「エリアスからシャーロット宛に届いたのよ」
「えっ?あの、ではもらっていってもいいですか?」
「はい、手紙。でもこのワンピースはあなたには勿体ない品だから私がもらってあげる」
「そ、そんな。これは私への贈り物です」
前回、エリアスと牧草地に出掛けた時、シャーロットの着ていた若草色のワンピースは羊に食べられ、ボロボロになってしまった。エリアスはそれを気遣って新しい物を贈ってきてくれたのだろう。
「あなたにはこんな高級な生地のもの似合わないわ。それに今さらいくら着飾っても無駄よ。あなたの嫁ぎ先はすでに決まってるんだから」
「でも…」
「ほら、あなたにはアレがあるじゃない。彼にプレゼントしてもらった玩具のような髪飾り。不出来なあなたにはそのくらいがお似合いなのよ。
ねえ、知ってる?私がエリアスと付き合っていた時は頼みもしないのに高級な宝飾品をいくつも贈ってきたのよ。それなのに惨めよね。あなたは自分から頼み込んで付き合ってもらって、贈り物さえ大してもらえないなんて。姉妹なのにどうしてこうも差があるのかしらね」
クスクスクス
リーディアが馬鹿にしたようにシャーロットを見て笑う。
「………」
優秀な姉リーディアに比べて不出来なのは事実で、シャーロットは上手く言い返せない。
「それからもうひとつこれもあなた宛よ」
リーディアはシャーロットにもうひとつ手紙を差し出した。
「これは?」
「公爵の令嬢からお茶会の招待状よ」
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