12 ダンスレッスン(3)
「スチュアートさん、手のクリームありがとうございました。お蔭で手荒れもよくなってきました」
「いえ、別に。貴女の手が貴族の令嬢らしからぬものでしたので……それよりも!その指のテープは何ですか?」
スチュアートがジロリとシャーロットの手を見た。シャーロットの手の指にはいくも傷用テープが巻かれていて、目を引いた。
「あっ、これは繕い物……じゃなくて刺繍をしてたら針で刺してしまって。ちょっと不器用でして…」
昨日、日も暮れた頃になって急に姉リーディアから大量の繕い物をするように言われた。
できなければ、外出は許さないと。完全な嫌がらせだった。シャーロットがダンスレッスンのため度々外出するのが気に入らなかったようだ。
大量の繕い物を何とか終わらせたのは、空が白み始めた頃だった。途中眠すぎて何度も針を自分の指先に刺してしまった。
「刺繍の練習は結構ですが、少なくとも舞踏会までは例え手の先でも怪我には気を付けていただきたい」
スチュアートが相変わらず冷めた瞳でシャーロットを見ていた。
でも2週間過ごしてきて、スチュアートには意外に優しいところもあるとわかってきた。
ダンスレッスンの初めのころ、ヒールのある靴をずっと履いていることがあまりなかったシャーロットは靴擦れをおこしてしまった。かかとの部分が靴に擦れるたびに痛みが走っていたが、せっかくのレッスンを中断するのも気が引けて我慢していた。スチュアートはそれに気づき、「痛かったでしょう。なぜ早く言わなかったんですか?」と、すぐさまシャーロットの足の手当てをしてくれたのだ。
「少し休憩しますか?」
一曲分踊り終えたタイミングでスチュアートが言う。
「いえ、もう一度最初からお願いします」
今日はエリアスが後で一緒にダンスをあわせてくれると言っていた日だった。その前にもう一度、おさらいしておきたい。せっかくエリアスと踊れるのだから少しでも上手く踊りたかった。
「……少し、顔色が良くない気がしますが、大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です」
寝不足で少し眠気があったが、これくらいなら大丈夫だとシャーロットは思った。
「こんにちは」
「?」
広間の入り口から、知らない男性の声が聞こえシャーロットは振り返る。
そこにはエリアスと同じくらいの年格好の、整った顔立ちの青年が立っていた。
「ケヴィン様、いらしていたのですね。エリアス様でしたら今は執務室におりますが」
スチュアートが一歩前に出て言った。
「ああ、いいんだ。先にシャーロット嬢に挨拶したかったんだ」
そう言うとケヴィンはつかつかとシャーロットに歩み寄っていく。
「初めまして。チューリガム伯爵家のケヴィンだ。エリアスから話は聞いているよ。彼とは幼いころからの友人なんだ」
「あ、初めまして。ハノホープ伯爵家のシャーロットと申します。よろしくお願いします」
手を差し出してきた彼と握手をする。
ケヴィンは薄茶色の少し長めの髪を後ろにひとつ結びにしていた。容姿も整っている美男子だ。
ちなみにスチュアートもなにげに整った容姿をしており、格好いいエリアスの周りには格好いい人が集まるのだろうか、とシャーロットは思った。
「ダンスの練習中だったんだね。僕とも一曲踊ってくれるかな?」
「えっあの…」
急な申し出にシャーロットがオロオロしているうちにケヴィンは素早くシャーロットの手を取りステップを始める。
仕方なしにシャーロットもそれについていく。
「……エリアス様を呼んで参ります」
そう言ってスチュアートが席をはずした。
「上手いじゃないか」
「あ、ありがとうございます」
ずっとスチュアートと踊っていたため、他の人と踊るのはとても緊張した。足を踏んではいけないと必死に踊っていると――――
グイッ
「ひゃっ!?」
突然ケヴィンがシャーロットの腰を抱き寄せてきた。
見上げればすぐにケヴィンの整った顔があった。
(ち、近いっ)
「シャーロット嬢、君が半年も同じ男と付き合うなんて退屈じゃないか?よければ舞踏会が終わった後は僕と付き合わない?」
睫毛までよく見える至近距離でウィンクが降ってくる。ケヴィンの香水だろうか、いい香りもした。
手慣れている。そして色気もすごい。
とにかくこういった状況に慣れていないシャーロットはもうなんとかして彼と距離をとりたかった。
ぐぐぐっと必死に体を反らして言った。
「い、いえっ私はエリアス様とお付き合いできただけでもう十分ですので!」
「エリアスからは仮の恋人だって聞いてるよ。君はそれで物足りるの?」
クスッと笑ってケヴィンはやっとシャーロットの腰を離した。
シャーロットの異性関係の噂を知っていて面白がっているのかもしれない。
そのままダンスは続いていく。
何だか精神的にも体力的にもいっぱいいっぱいになってシャーロットは視界がぐらぐらしてきた。
寝不足の中、踊り続けて気づかぬうちに疲れ果てていたのだ。
でもあと少しで踊り終えそうだからそれまでなんとか頑張ろう…
しかし、そんなシャーロットの気持ちとは裏腹にどんどん目が回っていく。
コテン
急にシャーロットは力をなくし、ケヴィンの胸にもたれ掛かってきた。
「なんだ、やっぱり僕と付き合う気になったの?」
甘い顔をしたケヴィンがシャーロットを覗きこむ。
「何をしてるんだ?」
そこへ、やっと広間へ到着したエリアスが入ってきた。エリアスから見えたのはケヴィンの胸に身を預けるシャーロットだった。
エリアスの視線が冷ややかなものになっていく。
「エリアス。今日のところは誤解だよ。彼女、急に気を失ってしまったんだ。寝てるみたい。どこか休めるとこはあるかな?そこまで運ぶよ」
ケヴィンは意識のないシャーロットを抱き上げようとした。
「いや、俺が運ぼう」
素早くエリアスがケヴィンからシャーロットを受け取り、抱き上げた。
「へえ、優しいじゃん」
「一応、今は恋人だからな」
意外そうな声をあげるケヴィンにエリアスは無表情で答えた。
―――
――――――
「―――ん?」
「気がついたか?」
気づくとシャーロットは客室のベッドに寝かされていた。ベッドサイドでエリアスがイスに座ってこちらを見ていた。
「あっ、すみません私……?」
「ケヴィンと踊っている途中で気を失ったんだ。寝不足と疲れが溜まっていたようだ。一応医者にみてもらった。どうしてそんな無理をしたんだ?」
「ご、ごめんなさい……せっかくエリアス様と舞踏会に行けるので上手く踊れるようになりたくて張り切り過ぎてしまいました」
「だとしても寝不足だったのなら今日くらい休めばよかったじゃないか」
「でも今日は初めてエリアス様と踊りを合わせる日でしたから、楽しみだったんです…」
恥ずかしそうにうつむくシャーロットに、エリアスはため息をついた。
「とにかく今日はもう少し休んでいくといい。夕食も食べれるようだったら運ばせるが…」
「ゆ、夕食!?わた、私どれくらい眠っていたんですか?」
エリアスの言葉を聞いたシャーロットが急に慌てだす。
「ああ、今、夕暮れ時だが―――」
「ああっ!!洗濯物がっ!」
「洗濯物?」
「いっ、いえ、よ、用事を思い出しました。ご迷惑かけて申し訳ありませんでした。もう大丈夫ですので帰ります」
シャーロットはベッドから起き上がると慌てて帰り支度を始めた。
今日はシャーロットが洗濯物を取り込む当番だった。日が沈み、洗濯物が湿っていたら姉に何と言われるかわからない。
「シャーロット、大丈夫か?」
「はい、ありがとうございました」
そう言うとシャーロットは大急ぎで伯爵家へと帰ったのだった。




