10 ダンスレッスン
ムギュ
「ひぇっ、すみません」
足を踏むのはこれでたぶん5回目だ。
「いえ。ではもう一度最初からいきましょう」
整えられた黒髪に眼鏡、その奥にある切れ長の瞳がシャーロットを無表情に見ている。正直言ってちょっと怖い。
エリアスの住む屋敷の副執事を務める人物だった。
◆◆
「その髪飾りをこちらで知り合いの修理屋に直してもらうから、そのお礼として君に頼みたいことがある」
植物園の帰りの馬車の中、それまで黙っていたエリアスが話しだした。
「頼み、ですか?」
「3週間後にある舞踏会に僕のパートナーとして一緒に参加してほしいんだ」
「…私でいいんですか?」
「パートナー同伴のものなんだ。今、君は一応対外的にも僕の恋人だし。本当は両親が行く予定だったんだけど、都合がつかなくなって、その代理でね。駄目かな?」
「そんなことはないのですが…」
「もちろんドレスなど必要なもの一式はこちらで用意させてもらうから安心して」
「えっと…」
「他に何か心配なことが?それとも僕のパートナーは嫌かな?」
「ち、違います!エリアス様のパートナーになれるなんでとんでもなく嬉しいです」
「そう?でもなんだか浮かない顔をしているね」
「実は…ダンスが、苦手というか、とても久しぶりなので上手く踊れそうにありません」
ここ数年、舞踏会などには姉がシャーロットに変装して出席してしまうため、シャーロット本人が舞踏会で踊ったのはずっと前、たぶん3年くらい前だ。
「久しぶり?でも以前夜会で一緒に踊ったよね?そのときはとても上手だったけど」
「あ、えっと…素面だとどうにも緊張してしまって上手く踊れないんです。それでいつもお酒を飲んで参加していました」
シャーロットはしどろもどろに答えた。
以前エリアスが夜会で踊ったのはシャーロットに変装した姉リーディアだ。基本なんでもできてしまう姉はもちろんダンスも上手い。
「そうなんだ………じゃあ、とりあえず、今度僕の屋敷で練習してみようか?」
数日後――――
(はあ、緊張する…)
シャーロットはエリアスの住む侯爵邸に招かれていた。予めエリアスから彼の両親は今、領地の方にいるから気兼ねなく来るといいと言われていたが、それでも緊張する。
その一方でシャーロットは少し…いやかなり嬉しくもあった。
これまでエリアスに会いたいときはいつもシャーロットから連絡して、会ってもらっていた。エアリスにとってシャーロットは女性避けのための仮初の恋人にすぎない。彼から望んで会おうとは思わないだろう。
それが今回、初めてエリアスの方から誘ってくれたのだ。デートではなくダンスを習うだけなのだが、それでも嬉しかった。
侯爵邸の使用人に案内され、部屋へと入る。
そこはちょっとした夜会が開けそうな広さのある広間だった。ダンスの練習にも充分の広さがある。
その中央に背の高い、眼鏡をかけた黒髪の男性が立っていた。二十代後半か三十くらいだろうか、しわひとつない黒い執事服を着ていた。
「シャーロット様ですね。お待ちしておりました。副執事のスチュアートと申します。本日エリアス様は生憎仕事が立て込んでいますので私が代わりにダンスの練習相手をさせていただきます」
「そうなんですね。よろしくお願いします」
エリアスに会えないのは残念だったが、仕事では仕方がない。
わかりやすく肩を落としたシャーロットにスチュアートは冷ややかな視線を向ける。
「……ダンスの練習との名目で何度も会いに来るつもりでしたら時間の無駄ですよ。エリアス様は侯爵様の仕事の一部を既に受け継いでいてとても忙しい方ですから、貴女に割く時間はありません」
「い、いえ。お会いできなくてもダンスの練習ができればそれだけで有難いです。よろしくお願いします」
「…では、さっそく舞踏会でよく使用される代表的な曲からやってみましょう」
スチュアートは軽くため息を吐きながら、シャーロットに手を差し出した。
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――――――――
「率直に言って下手くそですね」
とりあえず踊ってみたシャーロットのダンスの出来が散々すぎて、スチュアートは苛ついているようだった。
「すみません」
「伯爵令嬢でいらっしゃって、夜会などもよく出席されていたと聞いていますがダンスはどうされていたのですか?」
「あっ、えっと、その…事前にお酒を飲んで参加していました。そうすると違う自分になれるというか、ダンスもなぜか踊れちゃうんです」
「チッ、このアル中女が」
スチュアートがボソッと悪態をつく。
シャーロットの耳にもなんだか物騒な言葉が届いていたが、聞かなかったことにしておいた。
もしかしなくてもスチュアートには既に嫌われているようだ。シャーロットの異性関係の噂を知っていれば当然の態度ともいえる。自分の主人である侯爵の跡継ぎにこんなしょうもない女は絶対に近づけたくないだろう。
「何とか3週間で、エリアス様の隣にいても恥ずかしくない程度になってもらわねば困ります。時間が惜しい、さっそくレッスンを始めましょう」
「は、はい先生。よろしくお願いします」
「貴女に先生などと呼ばれたくありません!」
「すみません」
こうして侯爵家副執事スチュアートによるダンスのスパルタレッスンが幕を開けたのだった。
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