凄腕の潜入スパイである俺、「次のミッションは……先輩の旦那役?」
「コードネーム、シャドウ。これを受け取ってくれ」
「はっ」
俺は地下深くのスパイ事務所で、椅子に深く腰掛けた上司のルージュさんから黒い封筒を受け取る。
封筒の中に次のミッションを記す手紙が入っているのだが、黒い封筒というのは重要度MAXの代物だ。
俺は鍛え抜いた体術や巧みな潜入スキルで、世界各国で諜報活動を行い、時には武力行使に出ることで、この身一つで幾度の世界大戦の芽を摘んできたが──そんな俺でもこの漆黒の封筒を見るのは初めてだ。
「シャドウ、お前の働きは本当に素晴らしい。お前がいなかったら、世界大戦の数は両手で数えられないことになっていただろう」
「ご冗談を。僕がいなくとも師匠のあなたが止めていたはずですよ」
ルージュさんは俺の直属の上司でありスパイとしての師匠でもある。
今の俺があるのはこの人のおかげでもある。
──しかし。
「ですが師匠……この度、表舞台を去るそうですね」
「……もう既に耳に入っていたか」
「いえお気になさらず。ですが正直に申し上げると……少し寂しいです」
師匠はまだまだ現役バリバリでもやれるはずだ。おそらく素手の格闘なら彼女に勝つことは難しいかも知れない。
潜入スパイとはなにか一つの能力に特化するものではなく、状況に応じて臨機応変に、あらゆる事を高水準にこなす能力が求められるので、スパイとしての戦闘力はたった一つの指標に過ぎない。
「フッ……お前もお世辞が上手くなったものだ」
と、彼女はそっと優しく微笑み、彼女の肩にかかっていた艷やかな銀髪がわずかに揺れた。
相変わらず麗しいとしか形容する他ない顔をしているが──我々の職業はスパイである。
変装など呼吸をするように常にしているというもので、彼女のこの綺麗な顔も所詮フェイスマスク、つまりハリボテに過ぎない。
無論、若く見える彼女の年齢も実際いくつか検討もつかないし、仲間同士といえど無用な詮索はしないという暗黙のマナーがある。
「封筒を開封してもよろしいでしょうか?」
「構わん。心して読め」
俺は漆黒の封筒の口を隠しナイフで鮮やかに明け、手紙に目を通しながら、長い内容を一瞬で頭の中に記憶させていく。訓練を積んできた俺にとってはこの程度のことは造作も無い。
「シャドウ……今回の任務はそこに書かれているとおりだ」
「承知しました(シュボッ)」
「おい! お前何を!?」
「どうしましたか? 手に入れた情報はすぐに処分しろというのが師匠の教えです。いつもやってるじゃないですか?」
封筒ごと燃やしただけなのに……こんなことで声を荒げるとは師匠らしくない。
──いや?
もしかすると、これもなにか、師匠からの隠されたメッセージか?
それとも、俺の記憶を疑っているのか?
「ちゃんと記憶したのでご安心を」
「そ、そういう問題じゃないだろ! せっかく私が初めて書いたラブレタ──」
「ちゃんと覚えてますよ。任務内容は、ルージュの旦那役と書いてありましたね。それに、手紙の裏面には星空の写真でしたが、その星空の配置をストリーム暗号としてシャドウの秘密鍵を適用すると、【シャドウ──あたしは貴方のことが好き。これは期間無期限の永久任務。ねえお願い……死がふたりを分かつまで──ずっとあたしの側にいて? 世界だけじゃなくて、か弱い乙女のあたしの心も救っ】──」
「待て待てストップストップ!! 逆に読み上げられると恥ずかしい仕打ちだから!!」
「は、はあ……」
何故、師匠が顔を真赤にしてあたふたしているのかわからない。
こんな師匠は初めて見た。
「このシャドウへの次の任務、しかと承りました」
「お、お前……本当にわかっているのか?」
「もちろんです。俺もそこまで察しは悪くありませんよ──俺が断るとでも?」
「シャドウ……っ!」
「ええ──師匠の周辺警護が次なる任務ということですよね? いくら表舞台を去ったとはいえ、危険はありますからね。旦那役ならば怪しまれずに妻の近くにいることができますから──ってどうしました師匠?」
「……この鈍感」
「え? いや俺……第六感は相当自信ありますよ?」
◇
「師匠、どうして突然遊園地に?」
「男女が遊園地デートするのに理由が必要か?」
「俺としてはこの場所は開けていて、しかも不審な人物の接近も感知しにくいので避けたいのですが……」
「二人でゆっくり過ごすのも何年ぶりだろうか。今日はとことん楽しむぞ!」
「……わかりました。俺の成長を見届けたいということですね。このシャドウ、全力を尽くします」
──ジェットコースター。
「お客様!? 安全バーはしっかりとお下げになってくださいね!?」
「いえ、これがあると有事に備えられないので」
「有事に備えてそれがあるんですっ!」
「……」
──お化け屋敷。
「右に一人。そして目の前の壁の真裏の一人……あと背後から息を殺して近づいてきている奴が二人いますね。お気をつけて」
「……ネタバレするな。あと──その暗視ゴーグル外せ」
──観覧車。
「師匠? どうして向かい合わずに隣に座るのですか? 周囲への警戒が不十分に──」
「──いいから。せめてここぐらいはムードを大事にしないと……本気で怒るよ?」
綺麗な夜景をバックに、隣に肩を寄せて俺に体重を預けてくる師匠は、ムッとした表情を見せて俺を睨みつけた。
「は、はい……」
ま、まずい。
ちょっと砕けた師匠の口調に圧を感じる。
この威圧感の出し方は俺も見習うべきところだが、今はそれどころではない。
なぜかわからないが、師匠の機嫌がどんどん悪くなっていく。
すると──不意に師匠の手が俺の胸に伸びてきた。
「どうしました?」
「……全然ドキドキしてない。鼓動がゆっくりしてる」
「ええ、もちろんですよ! 師匠が教えてくれたじゃないですか、“スパイたるもの、どんな時も自己を完璧にコントロールしろ。常に自分を偽れ”と。師匠の教えを片時も忘れずに実践していますよ!」
「せめて今だけは素のシャドウを見せてよ……」
「またまた〜。そうやって訓練中に隙を見せて投げ飛ばしてたじゃないですか〜」
「……」
すると、師匠は俺の手を取って、自分の胸に押し当てた。
「ほら、あたしはこんなにドキドキしてるのに……」
「流石です。鼓動を早める術まで心得ているとは」
「……しかも胸を押し当てているこの状況で、シャドウの鼓動が全く変わらずに遅いままなのが気にいらない──って急に早くしなくていいから!」
「俺もできるから褒めてほしかったのに」
彼女は呆れるように俺の手を離した。
あれ? 俺の成長をお見せしたはずなのに、心なしか、先程よりも機嫌が悪くなっているような気がする。
……ここは俺から何か適当な話をしてみよう。
「師匠……そういえば、今日も師匠は変装しているのですね? さすがです」
「……どういう意味?」
「いつもはスーツやドレスなどのフォーマルな格好が多いですが、今日は帽子にワンピースというカジュアルな格好じゃないですか」
「……似合ってる?」
「ええ、完璧です。見事にこの遊園地に溶け込んでいます」
「……」
……なんだろう?
褒めたはずなのに、師匠から圧が強まった気がする。
次は別の角度からアプローチ。
「それに、今日も師匠は素顔を隠すフェイスマスクが完璧ですよ。いつもの仕事メイクじゃないですか」
「……え?」
「いつ何時も、誰にも素顔を見せない意識を怠らないそのプロ意識。現役を退いたとはいえ、流石です」
「……もしかして、あたしの素顔がこれって気づいてない?」
「お冗談を。そんな見目麗しいお綺麗な顔は流石に美しすぎて、フェイスマスクに決まってるじゃないですか! もし素顔なら一瞬でガチ恋一直線ですよ。しかしそれにしても全くフェイスマスクをしているとは思わせないその表情の作り方……勉強になります!」
「そ、そかそか……あ、ありがと」
あれ……なんか次はめちゃ機嫌良くなった気がする……?
相変わらず師匠はミステリアスな人だ。
底が知れないというか、相手に全容を掴ませないスパイたる振る舞いを日常生活でも実践している。
……もしかして、これが本当の師匠の素顔なのか?
「まさか師匠……今ノーメイクだったり?」
「ふえっ!? いやちゃんとメイクはしてるよ!?」
「ですよね……」
やはりしっかりとメイクして気取られないように、フェイスマスクをつけているわけだ。
「いつか師匠の素顔を見てみたいなあ」
「そ、そんなにすっぴん見たいの? まあ別にいいけど……」
「俺も師匠を見習って、常にフェイスマスクをつけて生活しようかな……」
「そっそれは駄目っ! 今のままでいいから隠さないでっ!!」
「そうですか……」
まだ今の俺には早いということだろうか?
しかし師匠がまだまだと言うなら、ちゃんと鍛錬を積んで変装スキルを磨かなければ。
──と会話を楽しんでいると、観覧車が最上空に近づきつつあることに気づいた。
「ここから狙われると……流石に厳しいですね」
「もう今日は身辺警護はいいぞ……まったく……この私が協会の人間にどれだけ圧力をかけてお前を手に入れ──雇ったと思っているんだ……」
なにかおかしなことを言いかけていたような気がするが、とりあえず砕けた口調からいつもの口調に戻ってくれたので、どうやら窮地は脱したらしい。別の意味で窮地なような気もするけど。
「師匠の頼みならいくらでも無償で雇われますよ」
「違うんだ! 頼みだと一方的な感じになるだろ? こういうのは一方的な関係じゃなくて、お互いに思い合わないと駄目なんだ!」
「大丈夫ですよ。師匠に育ててもらった恩はこのシャドウ、必ず返します」
「だからそうではなくて……あの時、恥ずかしがって手紙で伝えたのがよくなかったか……!!」
「?」
「じゃ、じゃあ。シャドウは……」
隣に座る師匠は俺の腕を両手で掴み、恥ずかしそうに顔を少しそらしながら──
「──シャドウは、女の子からどういう告白されたら一番嬉しい?」
「そうですね……一番嬉しいのはやっぱり、『実は私、二重スパイなんだ……!』とかですかね?」
「そういうのじゃない」
「じゃあ……奥ゆかしい告白とか、ですかね?」
「シャドウって……たしか極東の生まれだったよな? じゃあ──」
──彼女の両手が俺の両手に優しく絡みつく。
彼女の細い指が俺の指の隙間をゆっくりと埋めていく。
そして彼女は、
「ねえ見て」
と、観覧車の窓から見える満天の星空に視線を移して──
「シャドウ──今宵は月が綺麗だね」
「師匠……っ!」
「シャドウ……っ!」
二人の間を隔てる距離が少しずつ狭くなっていく。師匠が小さく息をのんで目をそっと伏せる。そして──
「──師匠、今日は月、出てませんよ?」
「……」
「それに多分、月は昔からいつ見ても綺麗ですよ?」
「……もういい!」
それから師匠は口をきいてくれなかった。
◇
それからというもの。
仲睦まじい初デートを過ごした二人はめでたく籍を入れた。
相変わらずシャドウは任務の一環だと勘違いしたままだったが、ルージュは勘違いでも籍を入れてしまえばこっちのものだと言わんばかりに、そのまま押し通したらしい。
意外になんだかんだで人当たりがよく、仕事もできて、誠実なシャドウを狙っていた女性スパイ陣の方々は、シャドウの唐突の結婚に虚を突かれたものの、
『それならば我々女スパイの流儀で』
と言わんばかりに、自身の身辺警護と評したハニートラップ満載の寝取り旅行──もとい、個人的な任務をシャドウに依頼するようになり、ルージュが心中穏やかでいられなくなったのは先のお話だし、将来、結婚式に事情を知らないシャドウの彼女ポジションの幼馴染が乗り込んできて修羅場になるのも先のお話。
少なくとも──
「師匠……どうして怒るんですか? 俺が以前、3日3晩トイレからお風呂まで隠れて師匠の様子を片時も離れず見守って警護していたからですか? 先程の緊急任務の成果報告を聞いてから急に怒り出すなんて……もしかして、昔、師匠から教えていただいた女性の口説き方を活かして、次々に現地の女性を口説き落として信頼できる味方を増やしたことが気に入らなかったのですか? それとも他国から美人モデルとして送り込まれた刺客を、師匠仕込みのベッドテクニックの限りを尽くして堕落させてこちら陣営に引き込んだことが気にいらなかったのですか? 不満な点があれば言ってくださいよ」
「…………ぜんぶ!!」
今日も世界は平和だ。それ以上に求めることはないだろう。
完
おかしい……もっとイチャイチャさせるはずだったのに……。
いつものコメディー色に引っ張られた……。
最後までお読みいただきありがとうございます! 普段コメディーを書いているizumiと申します!
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面白いと思うポイントがあれば、きっとizumiと笑いのツボが近いので、是非とも他の作品も読んでいただければ幸いです!
つつがなく……が続かなく!〜放送室でバカ話で盛り上がってたらマイクがオンだった……〜
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