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一話完結の短篇集

抱擁会

作者: 雨霧樹

 そこにいる男たちの誰もが血走った目をしながら、号令が鳴るのを今か今かと待っている。

 「こちら待機列となっておりまーす! 落ち着いて並んでください!」

 マネージャーがそうやって彼らに向かって声を張り上げる。しかし彼らは意に返さず、よりよいポジションを確保しようと押し合う。


「只今より、アイドルとの抱擁(ハグ)会を開催します」

 その場にいる誰もが雄たけびを上げながら、我先に走り出す。


「――本当にやっちゃうのかぁ……」

 今日、あの汗臭いだろう男たちに抱かれることになると思うと、気が重いどころの話ではない。そんな風にアイドルのAは思った。



「最近、貴女の人気が減少傾向にありますね」

 地下のライブ会場で出番を終えて、控室で着替えていた時に、マネージャーがファイルを叩きながらAに告げた。

「それ本当!? あれだけ新曲出したのに!?」

「市場調査を行ってみた結果、マンネリ化してるのが主な要因との結果が出ました」

「――1カ月毎日新曲リリース、めっちゃ頑張ったのにぃ……」

 流石に20日目あたりから、多少歌詞が被ってたことはお客さん(オタク)達の目は誤魔化せなかったようだ。


「なんにせよ、次の手を打たなければなりません」

「流石に奇抜路線はもう懲り懲りだかんね……」

 大食い番組で蓄えてしまった腹の脂肪を憎そうに見ながらAは伝えた。


「大丈夫です、次は話題性の面で考えてみました」

「いよっ! 敏腕マネージャー~!」

 話題性という面において、このマネージャーの右に出る人物はいないと思う。現に私は無名の段階から、もうすぐ地下アイドルを羽ばたけそうになる程、知名度を得ているのだ。しかし、たまに発案するイベントの時に、頭のネジをどこかに忘れてしまうだけで。Aは口笛を吹きながら囃し立てる。

「では一週間後、握手会の発展形の抱擁(ハグ)会を開催します!」



「――はい?」

 その時、Aはアイドル史上最も間抜けな声が出た。


 

「は、初めてのデビュー曲の時から応援してました!」

「いつも握手会にも来てくれるSさんだよね!? ありがとう!」

 いつもならば手を握るが、今回は両手を上げてハグを待つ。Sもそれを望んでいたのか、ごくりと息を飲みAに向かって抱き着いた。

「おおお……」

「はいお時間ですよ、ありがとうございます」

 恍惚とした表情を浮かべたSを慣れた手つきで腕を剥がし、解散列へと押し込む。

 一番初めだったこともあってか、待機列のお客さんもどんな様子かをチラチラと伺っていたが、みなSの行為を見て満足そうに頷いている。

 

 ――本当に、これ全員やらなきゃいけないの……

 また一人目だったが、既にAの心は折れかけていた。

 

「いやいやいや! 無理でしょ!」

「話題性は抜群ですよ」

「握手会ですらちょっと手汗が苦手なのに、ハ、ハグって!」

 Aは自然なウインクをするためにすら時間が掛かるのだ。初めてライブ会場に来場したお客さんに向かって、アイドルからそんな視線を向けられれば、大抵イチコロ。だからステージの上に立つならば必須のスキルなのだが、Aは苦手にしていた。それどこらかチェキですら、まともなポーズを取れずにお笑い芸人の様な写真写りになってしまう。

「大丈夫です、きっとファンも喜んでくれますから」


 自信満々に告げるマネージャーをAは不安げに見つめることしかできなかった。

 だが、実際問題として相手の汗は問題なかった。会場について衣装室に置かれてあったのは一瞬、宇宙飛行士と見間違うほどの防護服が置いてあったからだ。

「これにより放射線ですら防ぐことができますよ!」

 テンションが高いマネージャーにかなり引いていたが、確かにこれならば行ける。そう考えていたが――


「Aちゃん! いつもありがとう!」

「今日の曲も、ホントに好きだよ!」

 皆、アイドルとしてのAを支えてくれた大事なお客さん(オタク)だった。しかし、皆女の子を抱いたことが無いのだろう、子供が人形を抱くように、脂肪で厚い胸板で押しつぶしてくるのだ。だが、みな私の大事なファンなのだ。今更逃げ出すわけにはいかない。もう一度心の中で気合を入れて、もみくちゃになることを受け入れる。

 

「次の人が最後です!」

 あれから何時間経っただろうか、マネージャーのその言葉に何度も限界だと思った体を、最後にもう一度だけで奮い立たすことにした。

 少なくともこれが終わったら二度とこんなイベントは開催しないようにキツく言わなければならない。少なくとも、ある程度の時間が経過したら終わる様に言わなければならない。なんで会場が閉まるギリギリまで粘る必要は絶対になかった。

「Aちゃん、お疲れ!」

「はい、ありがとう、ございます……」

 殆ど目も開いていない中で、そう返事をする。しかし、どこかで聞いたことがある声だ。既に常連のお客さんは来ているのに。一体誰だと、目を開くと――

「はい、お疲れ様」

 そういって、マネージャーが私の体を思いっきり抱きしめていた。

「いやぁ…… アイドルとこうして合法的に触れ合えるの最高!」

「――お前の欲望丸出しじゃねえか!」

 多分、今まで一番拳を固く握りしめて、マネージャーの頬を思い切り殴った。

 

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