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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編

理不尽勇者

作者: 猫宮蒼



 その世界では成人の証としてある一定の年齢になると教会でスキルを授かる事ができる。

 教会が授けるわけではなく、教会に赴いてそこで女神の祝福を授かるのだ。神殿でも可。

 城があるような大都市では神殿の場合もあるが、大抵の小さな町や村だと教会が多い。


 そして、得たスキルによっては今までの人生が一変する事もある。


 小さな名もなき村で、その日数名が祝福を授かった。


「そんな……まさか私が剣姫だなんて……!」


 今の今まで人生で剣など手にした事もないような少女が信じられないとばかりに口元に手をあてて慄いた。

 剣姫――そのスキルに周囲の大人たちも騒めく。


 折しも今この世界は、魔王軍の脅威に晒されていたのである。各大陸の国家はそれぞれ勇者となり得る者、またはその仲間として相応しいスキルを持つ者を探しているし、そういったスキルを所持した者が現れれば速やかに国に報告がいくようになっている。


 この日、少女の命運は決まった。


 少女にとってこの日は一体どんな日であっただろうか。

 スキルによって勇者の仲間にならずとも、場合によっては重要な防衛拠点で魔物の侵攻を防ぐ役目は与えられるだろう。

 今まで剣もマトモに握った事などない、戦いとは無縁だった少女がである。


 恐ろしい、と思ったか。

 それとも光栄だ、と思ったか。


 どちらにしても少女が村を出る事は決まった。大人たちからすれば少女は間違いなく希望の光の一つであったのだ。


 連絡がいったことで、数日後には国からの迎えがやって来る。馬車に乗って少女は王都へ行く事となったのだ。


 その前日。

 明日、迎えが来るという事もあって村では少女とのお別れ会のようなものが開かれていた。剣姫、というスキルがとんでもなく凄まじいものであるというのは伝承にもあるので村人たちも知ってはいるが、けれども絶対に無事でいられるかとなると話は別だ。

 もしかしたら帰ってこれないかもしれない。いや、絶対に帰って来るさ。そんな風に相反した思いを抱えながらも村人たちは盛大に少女を送り出そうと決めた。



「ね……私頑張るよ。頑張って魔王を倒してくる。勇者様がどんな人かはわからないけど、既にいるって話は聞いてるから、私その人たちと一緒に行って魔王を倒して世界を平和にするよ。

 だからね、だから……帰ってきたら、一緒に……」


 それはまるで自分に言い聞かせるような小さな声だった。

 けれども隣に座っていた少年には聞こえるくらいの声量。こてんと少年の肩に頭を預けるようにして少女は言う。それは少女にとっての告白だった。一世一代の、というには大袈裟かもしれない。けれども確かに彼女の精一杯だったのだ。

 幼い頃からずっと好きで、大好きな幼馴染への告白。

 幼い頃に彼と結婚するの! なんて無邪気に言っていたものとは違う、明らかに色の混じったもの。


 だから、帰ってきたら、そしたらずっと一緒に……


 そんな願いが込められていた。


「ま、頑張って」


 対して少年の言葉は素っ気ないものだった。

 それは傍から見れば照れ隠しのようでもあった。共に行けない事による悔しさもあったかもしれない。

 どこか突き放すようにも見えるそれを、けれど少女は咎めなかった。ここで逆に甘い言葉でも囁かれたら、きっと決心が鈍る。そうしたら、村から出ていきたくなくなってしまう。

 熱っぽく少年を見つめていた瞳は潤んでいたが、もしそうなっていたらきっと涙さえ流していた事だろう。そうしてみっともなく縋り付いて泣き喚いたかもしれない。


 だからこそ、少年のその素っ気なさは少女にとっての救いとなった。

 こんな時でも変わらない少年の態度に、少女は気負う事なく旅立つ事ができたのだ。



 ――さて数年後。


 様々な困難を乗り越えて剣姫のスキルを与えられた少女は勇者の仲間となり力をつけ、魔王軍の誇る四天王を倒し、更には破竹の快進撃でもって魔王を倒した。


 そのニュースは世界を大いに沸かせ、大都市から小さな村までどこもかしこもお祭り騒ぎであった。


 当時まだ幼さすら残る少女だった剣姫は、今では艶やかな美女へと成長していた。

 かつては清楚で控えめな野の花のような少女は、今では大輪の薔薇のような艶やかさを身に着けていた。

 隣には勇者と呼ばれていた青年がいる。そんな彼に腕を絡ませて、剣姫はかつての故郷へと足を運んでいた。

 ちなみにその近くには弓聖であるエルフの女、聖女と呼ばれる巫女姫、賢者である知的な美貌の女も控えていた。


 客観的に言うとどう見てもハーレム。どいつもこいつも勇者である青年に対して雌の顔をしていた。


 剣姫が今回故郷に戻ってきたのは別に幼馴染と添い遂げようというわけではない。

 むしろそんなままごとみたいな恋愛をしていた当時の自分との決別のためだ。

 長い旅の果てに、気付けば勇者に惚れていた。他にも女がいるのは気に食わないが、けれども自分と並んで遜色ない美女たちだ。勇者への思いは皆同じ。勇者も全員を平等に愛すると誓ってくれたし、それ以上望むのは我儘というものだ。


 ちなみに剣姫以外の女たちの故郷にも既に足を運んできた。

 彼女たちにも故郷で待たせていた男がいたらしいが、そちらとは既に決別済みである。



 さて、この時点で大体察するしかないわけだが、勇者は勇者という割に性格は良いとは言えない。

 性格が良いと言われた事はないが、いい性格してるとはよく言われるタイプである。

 そんな勇者は仲間たちが故郷に待たせていた男がみじめに女たちに振られる様をとても清々しく見ていた。冴えない男の分際で勇者たる俺の女と本気で付き合えるとか思ってたわけ? とか素で言えるタイプの人間であった。


 誰だよこんなの勇者にしたやつ、とか言われそうだが、これでも昔はもう少しマトモな好青年だったのだ。だがしかし度重なる魔族たちとの戦いに精神を疲弊させ、ちょっと色々タガが外れてしまった。闇落ちして魔王側にいかなかっただけマシ。むしろ仲間たちが女であったからこそこちら側で耐えきったとも言う。

 仲間が多分野郎ばっかだったら早々にとんずらしてたかもしれない。


 さておき、勇者は剣姫の幼馴染で将来を誓い合ったとかいう幼馴染が剣姫にこっぴどく振られる様を見物するためにわざわざこんな何の面白みもない辺境のド田舎まで足を運んだわけだ。人の不幸は蜜の味。


 実際に帰ってきた剣姫曰く、昔と全然変わってないらしい村を見て「うわしょぼ」とか素で呟きが漏れた。幸い村の人には聞かれていなかったが、仲間たちには聞こえていた。とはいえ仲間たちも同じような感想を抱いたので咎める者はいない。


「で、どこだよその健気にお前を待ってるって奴は」

「えーっと……あれ?」


 幼馴染の家だ。忘れるはずもない。幼い頃は何度だって足を運んだ。目を瞑ってたって村の中は歩き回れるくらいに覚えている。けれどもそこに幼馴染の家がなかった。

 咄嗟に近くにいた村人に尋ねてみれば、剣姫が村を出て行ってすぐに彼は森の奥で暮らすと言い村を出てしまったらしい。


 森の奥。

 一応村の近くにある。あまり奥まで行くなと幼い頃に言われていたが、入り口付近は子供たちの遊び場でもあった。


 どうしてわざわざ……? と思いながらも、ここまで来たのだ。行かないという選択肢はない。

 面倒な事してくれたものね、と剣姫が不機嫌そうに呟くが、こちらも行かないという選択肢はなかったようだ。もしかして森の奥で祈りを捧げて無事に戻ってきますように、とかやってたりして。なんて弓聖が言う。

 それはあり得ますね、と聖女が。

 けど、それにしたって森の奥に神殿とかがあるならの話では? と賢者だけが訝しんでいた。


 この時点で帰っていれば、剣姫が幼馴染を捨てるシーンを見れずに消化不良を起こしたとしてもまだ、彼らにとってもマシだった……と思う。



 森の奥へ行けば何とそこには村にあった家と比べると豪勢ともいえる館がデデンと建っていた。

 村人はこれを知っているのだろうか? 特に何も言っていなかったのできっと知らないのかもしれない。そもそも奥、と言われたからこそこうしてやってきたけれど、村人たちは実際に行ったという話はしていなかった。


「え、あいつがなんでこんなでっかい館に?」

「知るかよ。何、その幼馴染のスキルで建てたとかじゃね?」

「え~、あいつのスキル大工とかそんなんなの? だとしたらウケる~」


「そもそも大工だとしてこんな森の奥にわざわざ館建てるとかしますかね……?」

「というか、幼馴染なのに相手のスキル知らないんですか?」


 勇者と剣姫の会話に聖女と賢者が思わず突っ込んだ。

 そしてその言葉に剣姫は若干バツが悪そうな顔をする。


「いやだってぇ、剣姫って自分が言われてそっちの方に驚いててさ。その後は王都へ行って特訓して、って感じだったからあいつのスキルがどうとかそんなのすっぽ抜けてたんだもん」

 その言葉に嘘はない。実際にあの頃は魔王の侵略で世間は一刻も早く平和を……! という思いが満ちていたし、そこに現れた勇者や聖女、賢者に弓聖、剣姫といったスキルだ。

 そんなのが我が身に降りかかってしまえば、それ以外の誰かのスキルにまで意識を向ける余裕なんてなかった。


 それに、と剣姫は思う。

 仮に幼馴染のスキルが凄いものだったとして。剣姫以上に凄いスキルであるはずがない。そうであったなら同時に王都へ連絡が向けられていたはずなのだ。けれどもあの時剣姫以外に注目は集まらなかった。であれば、つまりはそういう事なのだろう。


「ま、いーや。とりあえずここに幼馴染ってのがいるんだろ? とっとと行って別れ突きつけてやろうぜ」


 なんでこんな館になんて引っ込んでるのかわからないが、どうせアレだろ。人様の前に晒せるような顔じゃないんだろ。と軽く勇者は考えて、とにかく館の扉にノックでもして来客だと伝えるために扉へ近づこうとして――


 ギンッ!!


「うおっ!?」


 近づけなかった。


「なっ……結界……!?」

「凄い……しかもかなりの高密度の結界よこれ……一体どういう事?」

 彼らの足を阻まんとする結界に、一同は足を止めるしかなかった。下手に突破しようとしてもこれだけ頑丈な結界では無理だろうと一目でわかる。咄嗟に勇者は賢者へと振り返ったが、賢者はそっと首を横に振った。


 いかな魔導の天才とされた賢者であってもこの結界の解除は不可能。


 賢者は賢者故にそう判断していた。それを信じられないものを見るような目でもって勇者は見た。賢者からもう一度結界へ視線を戻す。

 ゆらりとオーロラのような輝きを放つ結界は、明らかに館への侵入者を阻もうとしている。


「これ、下手に攻撃して解除しようとしたら逆にこっちが危ういわ」


 賢者は結界を見てそこまで理解してしまっていた。物理攻撃を仕掛けても意味がなく、また魔術で攻撃したとしてもきっとそれは威力を増した状態で跳ね返ってくる。賢者だからこそそう理解できてしまっていた。

 そして賢者がそう言うのであれば間違いはないのだろう。けれども、何故、という思いがよぎる。


 魔王を倒した勇者たちであってもどうにもできそうにない結界。それが、こんなド田舎の森の奥にどうして。

 この勇者が仮に異世界転生とか異世界召喚された日本人であったなら、あー、ゲームでありがちな最初の村とかに実は存在するクリア後の隠しダンジョン~!! とか言ったかもしれないが生憎勇者はこの世界の人間なのでそんな事は欠片も思わなかった。


「まったく……勇者、貴方には失望したわ」


 突然かけられた声に、一同即座に警戒態勢をとった。

 そして声のした方へ視線を向ければ、館の二階。テラス部分からこちらを見下ろす女が一人。


「…………は?」


 美女だった。

 それはもうとんでもない美女だった。


 勇者の仲間でもある彼女らもかなりの美人ばかりだが、女はそれを上回る勢いの美女だった。

 美というものを人の形にしたら、と言われたならばもうこの女の事しか浮かばない。彼女が女神であると言われたならば勇者はきっと一も二もなく信じただろう。

 これほどまでの美女、一体どこの国の王族だとすら。いや、聖女は一国の巫女姫だ。けれど彼女と比べれば女の方が圧倒的に美しい。清廉、といった雰囲気の聖女以上に浮世離れした神秘的な美しさがそこにある。

 そしてエルフである弓聖以上に人ならざる者の美、といった具合でもあった。

 賢者と比べると最早どちらが賢者かわからない……といえるくらいに女はまるですべてを見透かすかのような雰囲気を漂わせていたし、剣姫はバランスのとれたプロポーションだと思っていたが女と比べると真に均整のとれた肢体というのはああいうものかと思えるものだった。


 非の打ちどころのない美。


 勇者だけではなく仲間たちも思わずあんぐりと口を開けて女を見ていた。


 だってここにいるのは剣姫の幼馴染のはずだ。

 だからこそ出てくるのはうだつの上がらない、冴えない男だとばかり思っていたのだ。それがどうだろう。出てきたのはまさかの絶世の美女。うっかり外を歩かれたらそれこそ国が傾きかねない程の美人だ。ぽかんと間抜けにも口を開けてしまうのも当然と言えた。


「あ、あの、一体どうして……」


 けれども勇者はどうにか意識を振り絞って声を出した。

 聞き間違いでなければ勇者に向けて女は言葉を放っていたし、更には勇者に対して失望したとも言っていたのだから。この美人の不興を買うような事をした覚えはない。

 勇者は勇者となったその時から、魔王を倒すために精一杯やり遂げた。世界を平和に導いたのだから、称えられこそすれ失望されるいわれはない。


「女寝とるなら過去の男の存在なんてわざわざ出向いて決別とかいう以前に完全に女の中から忘れさせるくらいしときなさいよ。折角こっちは邪魔な女がいなくなって新居でいちゃいちゃしてるんだからそのブス連れてこられても困るの!」

「は?」

 ブス、と指さされたのは剣姫だった。


「は?」

 わたし? とばかりに自分を指さしもう一度聞き返せば女は「他に誰がいるのよ勘違いブス」とのたまった。


 剣姫は別にブスとまではいわない。街を歩けば十人中九人くらいは振り返る程度には整った容姿をしている。村にいた時だってだからこそ周囲の人たちから可愛がられていたのだ。田舎から出て都会に来て、まぁ戦いの日々であったとはいえそれでも大分垢抜けてもっと可愛く、そして美しくなったと自画自賛していた。


 だがしかし二階からこちらを見下ろす絶世の美女はそんな剣姫をブスと言い切った。

 これがまだ自分の目から見てもそこそこの容姿の者に言われたのなら「はあ? あんたこそ鏡見てから言ってくれる?」とか言えたけれど、誰が見ても美女としか言いようのない女に言われて反論できようもない。

 けれども言われっぱなしでいるわけにもいかない。剣姫にも最低限のプライドはある。正直そんなプライド捨てた方が楽になれるのでは? としか思えないようなものではあるが。


「はぁ!? あんたがどこの誰かは知らないけど、そこまで言われる筋合いないわ! てかあんたなんなのよ!?」


 ここに来た目的は剣姫の幼馴染がいると言われたからだ。

 だからこそ彼がいるのであればそれは何もおかしな話ではない。けれども出てきたのは知らない美女。

 そりゃああの女からすれば世の中の女は皆ブスと言い切っても許されるかもしれないが、見知らぬ女に罵倒されるいわれはない。

 そう思ってどうにか反撃の糸口をつかもうとしたのだが、剣姫の言葉に女は鼻で嗤った。


「あらあらあら、忘れちゃったの? それとも覚えていない? 人の顔見るたびブスブス言ってたくせに? だったら、そのまま彼の事も忘れてくれてよかったのに」

「えっ、知り合いかよ」

 勇者は思わず口に出していた。


 だって今までの流れからすると、幼馴染の冴えない男に会いに来たはずだ。ところがそこに現れたのは絶世の美女。見知らぬ美女の登場、かと思いきやその美女は剣姫と知り合いであるかのような口振り。

 むしろこんだけの美人と会ってたら忘れたくたって忘れられないだろうに、剣姫はまるで初対面か、見知らぬ相手かのような反応――というところで人違いの可能性を勇者も考えたが、しかし村人の情報ではここにいるのは剣姫の幼馴染のはずである。

 一体どういう事だろうか? と思っていれば、美女のいるテラスの奥、室内から誰かがやってきたのであろう。窓が開けられ、そこからもう一人姿を現した。


「やぁハニー、なんだか騒がしいけどどうしたの? 新聞勧誘? それとも宗教勧誘かな? まさか訪問販売?」

「残念ながらどれもハズレよダーリン。ただのゴミが意識をもってわざわざこっちにやってきたの。ここはゴミ捨て場じゃないっていうのに困った物よね」


「あっ……あっ、あぁ……!」


 新たに現れた人物を指さして、剣姫は声にならない声を出した。

 そこにいたのは勇者が見ても納得の美貌の持ち主であった。美貌、という言い方はどうなんだろうと思いつつもそれ以外の言葉が思い浮かばない。どこか浮世離れした、本当に人間だろうかと思うような奇妙な美しさを持った青年。隣の美女と並んでもその美しさは何一つ衰えず損なわれていない。生きた芸術。そんな言葉さえ浮かんだ。


 剣姫が驚いたのはそこではない。確かにとんでも美形の登場に驚きはした。けれども、それだけではない。そうではないのだ。そこにいたのは確かに剣姫の幼馴染だ。かつての少年時代の面影が確かにそこにある。


 ふわぁ……と夢でも見ているかのような浮ついた声を上げたのは果たして誰だったか。

 正直に言おう。見た目だけなら明らかに勇者よりも美形である。思わず仲間の女たちは勇者とその青年とで視線を往復させた。青年の後に勇者を見ると、なんだか途端にすんっとした気持ちになる。


 いや、世界を救った勇者だ。これ以上の人はいまい、とすら思えるくらいにいい男だったはずだ。けれども、青年を見た後で勇者を見ると何だか途端にただの凡人にすら見えてくる。これはどう考えても比較対象が悪かった。そこらにいるただの冴えない村の青年相手であれば、勇者に圧倒的軍配が上がる……はずだ。



「あぁ、そういや魔王倒したんだったね。てっきりそのまま戻ってこないかと思ってたのにわざわざ何しに戻ってきたの? きみのご両親は二年前には亡くなってるし、ここに帰って来る理由はなかったと思うけど」

「なんっ……どうして、じゃなくて、誰よその女! まさか裏切ったの!?」


 剣姫の言葉に、他の仲間たちも察する。

 あぁ、彼が村で待ってるはずの幼馴染かと。

 いやしかし、それにしてもだ。

 だとしたら剣姫は彼を捨てて勇者を選んだというわけで。


 えっ、流石にそれはどうなの? と聖女は思った。

 だってどう見ても彼の方が見た目だけで選ぶなら勝ってる。

 弓聖は思った。むしろ圧倒的美貌の前に自分が居た堪れないから平凡な勇者を選んだのでは? と。

 今の今まで世界で一番カッコイイのは勇者、と思ってたくせにナチュラルに見た目は負けてると判断してるあたり弓聖も大概である。

 賢者も弓聖と似たような事を考えた。

 あの美貌と並んでる光景を想像したら自分なら無理だわ、と。

 そりゃあ、自分たちだって周囲と比べれば容姿端麗である自覚はある。あるけれどあの青年と並んだらどう頑張っても自分が引き立て役になるのがわかりきっているのだ。

 なので隣に並んでいるあの美女にいっそ感心すら抱き始めている。

 世の中に美人っているところにはいるんだな……とどこか現実逃避した思考。


 あの美男美女と比べれば自分たちなんてとてもとても。


 自分の身のほどを知らないままでいられたら、もっと強気にいけたかもしれないがいかんせん弓聖も聖女も賢者もそこまで理性を溶かしてはいなかった。


 ただ、この場で一番理性を溶かしているのは剣姫だった。


 旅の途中、お互い色々な事を話したりもした。故郷で待っていてくれる幼馴染であったり、戻ってきたら結婚の約束をした相手の話であったり。

 けれども旅の中で育まれた絆は、故郷で待つそれらよりもいつの間にか大きく育っていて。


 むしろ自分たちがこんなにも苦労して戦っているのにぬくぬくと安全な場所でただ待つだけの男に何を思えというのか。そんな気持ちもいつしか芽生え始めていた。確かに与えられたスキルによって魔王と戦えるだけの力を得ている。けれども元々自ら望んだわけじゃない。今の今まで戦いとは無縁の場所にいたのに、それでもスキルのせいで最前線に出る事になったに過ぎない。

 けれども故郷で待っていてくれた相手は心の拠り所でもあった。それこそ最初のうちは、という言葉がつくが。

 だがそんな気持ちもいつしか薄れていって、だからこそ、捨てたのだ。


 最初のうちは手紙だって出していた。こんなことがあったあんなことがあった、そんな、旅の出来事を記して故郷へと送っていた。故郷で待っていてくれた相手も返事を出していた。最後に君の旅の無事を心から祈っている、そう締めくくられた手紙は最初のうちは宝物だった。

 だがそれもやがては重荷になっていった。

 もしかしたら本当に彼にとっては心からのものだったかもしれない。けれども安全な場所からそんな事を言われても……と思ってしまったのだ。戦いが激しさを増し、負った傷も一つや二つで済まなくなってきてからは特に。怪我は聖女や賢者の魔術で治せる。けれども、傷を負ったという事実までなくなるわけじゃない。痛い思いを沢山した。怖い思いも一杯あった。

 どうしようもなく泣きたい日だって数えきれないくらいに存在した。


 けれど、故郷で待ってる男に何ができるというのだ。君の無事を祈ってる? その祈り何の役に立つの?

 そもそも本当に祈ってる? そんな事言って故郷ではもう別の新しい娘と……なんて黒い思いが無かったとは言わない。信じられなくなったのだ。手紙だけでは相手の顔もわかるわけがない。綺麗ごとを並べ立てて、実際はもう他の誰かとくっついているのではないか、なんて考えてしまうくらいには心が荒んでいた。


 そうして分かり合えたのは結局のところ身近な仲間だ。時として身体を張って守ってくれた勇者と、手紙だけの男。天秤が傾くのは仕方がなかった。


 魔王との戦いは本当に死闘であった。生きて帰ってこれたのは奇跡にも等しい。


 けれど、自分たちがどんな思いをしていたとしても、故郷でただ待ってる男たちは帰ってきた自分を見て「心配した」「信じてた」「無事でよかった」なんて、言うだけだった。

 心配した。そう。だから?

 信じてた。へぇ? それで?

 無事でよかった。はぁ? 全然無事じゃありませんけど。怪我こそ治ってるけど、だから何もかもなかったわけじゃない。何も知らずにのうのうと。一体こっちがどれだけの苦労をしてきたと思ってるの……!?


 そんな、故郷で待っていた男たちからすれば八つ当たりにも似た思い。

 けれども女たちからすれば正当な感情。


 勇者はそんな仲間たちのお相手の男が捨てられる様を凪いだ瞳で眺めていた。

 いきなり世界の命運背負わされて、人生で一番楽しい時期を戦いに明け暮れて。魔王倒したあとは勇者様ばんざーい、なんて担ぎ上げられてるけれど、この先の人生のすべてを保証されてるわけでもない。

 だったら、近くでそんな誰かの不幸を娯楽としたっていいじゃないか。自分が唆したわけじゃない。女は自分の意思で捨てたのだ。

 心変わりをしたのか。なんでそんな男に。裏切り者。

 まぁ色んな言葉が飛び交った。


 けれども別に勇者は積極的に女たちを寝取ろうとしたわけじゃない。

 ただ一番つらい時に身近にいた異性であるというだけだ。

 そして、仲間なのだから助け、支え合うのは当然だった。それだけの話だ。ただ故郷で無事を祈るだけしかできない相手にはできない方法で慰め合った。それだけの話。


 そうなるのが嫌だったなら、何がなんでも女の旅に同行でもすればよかったのだ。スキルが戦い向きじゃなくたって、荷物持ちだとか後方支援だとかの方法はあったはずなのだから。そうすれば、彼女たちがつらい時にそれでも近くで支えられたのは確かなのだから。


 一番いて欲しい時にいないくせに、よくもまぁそんな事が言えたな。

 とは、賢者が捨てた男に向けて言い放ったセリフでもある。賢者の故郷で待っていた将来を誓い合った男は魔導士のスキルを持っていた。賢者には劣るが、それでも戦えなかったわけじゃない。きっと、旅に同行していればこちらの助けになっていた。

 弓聖が捨てた男は剣豪。剣聖などに比べれば劣るがそれでも旅についてくる気概があれば可能だったはずだ。

 聖女に関しては元々決められてたはずの婚約者であったしスキルは戦闘にも後方支援にも向かなかったが、まぁこいつに関しては戦いの中で傷物になった、なんて言いがかりで浮気していたようなので捨てられて当然でもあった。いや、自分は捨てられるはずがないと思って思い上がった結果がそうなった、ともいえる。どちらにしても自分の立場が失墜して最早聖女に縋るしかないとなった時の元婚約者は大層滑稽であった。


 さて、それらを思い返せばこの剣姫の相手だと思われる青年は……


 そういやこいつのスキルはなんだったんだ?

 今更のように勇者はそんな事を疑問に思う。

 旅の中でも剣姫の口から相手のスキルを聞いた覚えがない。

 それに、思い返せば故郷に送った手紙に関しても剣姫の口からはあまり出てこなかった。


 あれ? と今更ながらに勇者は違和感を覚える。

 二年前に確かに剣姫の両親が死んだという報告が故郷から手紙で届いたというのは勇者の記憶にもあった。剣姫の両親のうち父親の方が年をとっていて、そちらは恐らく寿命で。母はその後病気で、との事だったと思う。それは剣姫の口からもきいている。


「あー、すまん。ちょっと聞いていいか」

「何かな。普段は下半身が活性化してる勇者くん。今日は上半身もちゃんと活動してて偉いね」


 のっけから最大威力で煽られた感があるが、ブチ切れるわけにもいかない。というか切れて攻撃仕掛けようにも結界が阻んでいる。


「いや、その……まぁ否定はしねぇよ相手のいる女寝取ったのは事実だし」

「おっと自己弁護なしか。いいね中々に潔いじゃないか。聞いてもいないうちから俺は悪くねぇとか言い出されたらどうしようかと思ったよ。まぁそこの女に関しては悪くないと言っておくけど」


 そこの女、というのは間違いなく剣姫の事だ。


「付き合ってたんだよな……?」

「違うよ」

 即答だった。

「な、ど、どういう事よ!? だって私村出る前に言ったじゃない! 魔王倒して戻ってきたら一緒になろうって!」

「それ了承してないけど。そもそも、君がこっちに付きまとってただけでこっちは君の事なんて最初から何とも思ってないんだけど」

「えっ……」


 咄嗟に食って掛かった剣姫だが、あまりにも淡々とした言葉に声を失う。


「むしろ昔から人の恋路の邪魔してくれて目障りだなとは思ってた」

「えっ……!?」

「だから剣姫になって勇者と旅に出るって聞いた時は邪魔ものが消えてやったねとすら思ってたけど」

「えぇ……!?」

「たまに村に手紙送ってたみたいだけど、それは村の人が返信してたし、それもいつからかすっかりなくなったっていうから旅先で勇者とくっついたか別の男でも見つけたんだなと思ってたくらいなのに。

 なんでわざわざ呼んでもいないのに帰ってきたわけ?」

「ぇ……」


 例えばこれが、好きだけどその思いが届かなくて負け惜しみのようなものが含まれていたならばまだ剣姫も別の反応ができただろう。

 例えるならナンパしたけど失敗した結果相手に向かってブスと負け惜しみで吐き捨てるようなものであったなら。まだ剣姫も言い返す事ができたのだ。


 だが青年の言葉はあまりにも淡々としていてしかも向ける目は剣姫の事など何とも思っていませんというのがハッキリと浮かんでいる。さながら道端に落ちてる犬の糞でも見るような目だった。


「そういえば剣姫だけ故郷に送る手紙の量少なかったよね」

「返信も普段あまりなかったかと……」

「薄情な男って思ってたけど、そもそもあの人の返信じゃなくて村からの、って事?」

「じゃない? だとしたらそりゃまめに返信もできなくて当然かと」


 弓聖と聖女、そして賢者がひそひそと小声で話し合う。

 自分たちは最初の頃故郷に手紙を送っていたし、それに対しての返信も待たせていた男からちゃんとあった。けれども剣姫だけはそういった手紙の回数がまず少なかった。元々手紙を書くのが苦手だったというのもあるが、けれど相手から大丈夫か? なんて近況を尋ねるような手紙も来た記憶がない。

 村の――例えば両親だとか村長だとかからの返信であったならば、確かにそこまでマメに届いたりはしなかっただろう。剣姫からその手紙をみせてもらった事はないが、普段通りだって、なんていうのは聞いた。

 けれどもそれはつまり、村の近況でしかないのではないか。

 そりゃあこんなド田舎だものそんな毎日が色んなハプニングに見舞われる事もないだろうし、返事を送るにしてもそう頻繁には無理だろう。

 勇者たちのように旅に出ている者に送る手紙は配達人スキルを持つ者が届ける場合と、魔術での転送ができる場合だとかに限られる。普通の手紙よりも料金がかかるので、村の財政状況によってはそりゃマメに手紙を届けるなどできようはずもない。

 故郷で待っていた男たちはそれでもせっせと働いて金を稼いでそれらで手紙を送ってきたわけだが。


 そっと剣姫に一同が視線を向ける。

 彼女は何かを言おうとして、けれども言葉が出てこないのかただ口をパクパクと開閉するだけだった。



「各地の連絡で勇者が仲間と乳繰り合ってるのは聞いてたけど、だからこそ安心してたんだ。これであの女が戻ってくる事はないだろうな、と。なのにわざわざやってくるんだから、物好きというかなんというか……」

「ですよねぇ。今更戻って来ても貴方の居場所なんてないんだから、素直に勇者と竿姉妹たちとよろしくやってりゃいいものを」

 絶世の美女の口から竿姉妹とかいう上品とは言い難い単語が出てきて仲間たちは思わず顔をひきつらせた。いや言い方。そりゃ確かに事実かもしれないけど、それにしたって言い方。


「なっ、なんっ……!」


 剣姫など最早完全に語彙力が消失している。言葉にならない言葉はただの鳴き声のようにしか聞こえなかった。


「……すまない、事情を説明してもらえないだろうか」

 この時点で勇者は大分冷静さを取り戻していた。ここに来るまでは故郷でただ恋人を待つ男が無様に振られる様を見物しようというとても悪趣味な気持ちだけで動いていたが、どうも雲行きが怪しい。

 魔王軍との戦いで高潔な精神だとかマトモな倫理観だとかが大分すり減った勇者ではあるが、それでもまだ多少の常識は持ち合わせていた。


「事情。事情ねぇ……」



「――認めない! 認めないわよ!! そんなの! だってそしたら私なんだったの!? ただの馬鹿じゃない!」


 勇者に説明をしてほしい、と言われて説明した結果、剣姫の絶叫が響き渡った。


 剣姫視点だと幼馴染とは将来を誓い合った仲だという話だったが、実際は全然違う。

 その幼馴染であった少年、現青年は元々別の娘と恋仲になっていたし、それに付きまとう邪魔者が剣姫だった。恋仲の娘は以前は地味で目立たないようにしていたが、それも自衛のため。

 幼馴染と相思相愛だと勘違いしていた剣姫はそれでも幼馴染に近づく他の女の存在を許さなかった。それがちょっと可愛かったりすると尚更。

 だからこそ本来の幼馴染の恋の相手であった娘は目立たず地味な装いで剣姫の目を誤魔化していたのだ。そうでなければ最悪危害を加えられかねなかったので。

 剣姫が村を出ていったからこそ、ようやく邪魔者がいなくなったと二人で暮らし始めたのだ。

 道中で勇者かそれ以外の男に目移りすれば良し、そうでなくとも普通に村に戻ってきたとしてもその場合、既に家をこちらに移していたので剣姫が乗り込んでこれないように対策済み。


 むしろ勇者であってもどうにもできないレベルの頑丈な結界が張られてるとか、どんだけ拒否したいんだと勇者は思ったが……最早マトモな言葉にならない叫びをキィキィ喚いているだけの剣姫はそんな勇者の視線にも気づかない。

 ついでに他の仲間たちが向ける剣姫への視線もとても生温かかった。無理もない。


 だって他の三名は故郷にいる男の事で散々盛り上がっていたし、そこに剣姫も当然話題に乗っかっていたけれどふたを開けてみれば剣姫だけ実はその男とは何の関係もなかった、というオチだ。

 コイバナだとか故郷の男たちへの不満や悪口で盛り上がる中、一人だけエア彼氏。

 その事実も知られなければどうという事はなかったが、バレた流れが最悪すぎた。


 じ、実は私本当はそういう相手いなかったの。でもみんなの話題に入りたくて……とかカミングアウトされるのであれば、まだ良かったのかもしれない。見栄を張りたいお年頃だったのね~とかまだ多少どうにか良い方向に見る事もできたかもしれない。

 けれども彼氏の存在が虚言でした、しかも相手は実在するけど実際は相手にされてませんでした。とか色んな意味で無様が過ぎる。



 ちなみに、勇者たちの動向を青年も美女も把握していた。


 聞けばなんと青年も美女も、本来の成人の儀のようなものでスキルが判明する前に既に知っていたのだそうだ。女神の祝福を授かる前にどういうものか知っていたからこそ二人はスキルを使い細工をして当たり障りのないものにして偽装工作をしておいた。

 そうしなければ剣姫以上に注目を集めてしまうのがわかりきっていたからだ。


 ちなみに美女のスキルは森の魔女王。

 森の中にいる限りは絶対的な力を発揮する、賢者と似たスキルだ。けれども森を出ると一気に弱体化するので、魔王軍との戦いに行くにしても自分から移動するのではなく拠点を築いて防衛に回る方が向いているものだ。


 そして青年はというと。

 なんとまさかの精霊王である。


 こちらも魔法使いに近い系統のものではあるが、精霊使いとは違い王とついているので勿論精霊を思うがままに使役できる。精霊使いが使役できる精霊に限りはあるが、精霊王にはそれがない。むしろ勇者の仲間としてこちらもいたら限りなく有用であっただろうけれど、もしそうなっていたら剣姫と四六時中望まないいちゃいちゃを強要されていたに違いない。

 更に恋人は森の魔女王。森から出ると弱くなるので勇者との旅には向かない。

 好きな女と離れて好きでもない女に言い寄られる可能性を考えれば、そりゃあスキルを平凡なものに偽装してでも……と考えるのも無理からぬ事だった。


 ちなみにどうやって偽装したかなんてのは言うまでもない。ちょっと精霊に頼めば事足りた。


 そうして世界各地に存在する精霊たちに勇者の旅の動向を定期的に知らせてもらい、無事勇者が仲間の女たちに手を出した事で安心していたのだ。

 いや、そんな安心の仕方ある? と勇者は思ったが。


「まったく……勇者も勇者だ。世界を救った事には素直に称賛するけれど、女寝取るならきっちり寝取れよな! 何? わざわざお前の好きな女はもう俺の虜でお前の事なんてなんとも思ってねーんだよ、とかやらかすつもりだったの? 生憎だけど自分その女頼まれてもいらないから。最初からお断りしてるから。その状態でそんな茶番見せられてもお互い時間の無駄でしかないわけだよね。

 っていうか何、わざわざ過去の男のところにのこのこ姿見せにいく暇とかあるの? 便女……じゃなかった、肉便器……でもなくて、あー……まぁいいや、とりあえず性欲処理の相手が複数いるんだからお前はわざわざ他の事に時間とるより素直に女といちゃついとけばよかっただろうに」


「ちょっと! 言うに事欠いて何よそれ!」

「流石にひどすぎる!!」

「……ッ、いやあの……」

 瞬時に食って掛かる弓聖と賢者、そして唐突に出てきたワードに言葉を失いかける聖女。

 けれども青年――精霊王はしれっとしたものだ。


「でも、実際性行為なんて男からしたら出すもの出すわけだし一種の排泄行為だろ。何か間違った事言った? いくらお互い思い合ってても故郷に置いてきた男に筋を通すでもなくクソみたいな茶番やらかしてる時点でそういう風に見られても仕方ないって事理解できない? 客観的視点ってわかる?」

「まぁ、わからなくても無理はないでしょう。一夫多妻なんて認められてるの極一部の限られた国でしかないのにそうじゃないところでわざわざそういう事をしでかすような人たちです。本当、元気な下半身だこと。上半身、もっと言うなら脳みそもそれくらい元気に活動してほしいものなのだけれど」


 精霊王に続いて魔女王もさらっと煽る。

 見下ろしてくる二人の視線は完全に人間ではなく動物を見るそれだった。

 二人とて、勇者が別にどれだけの女に手を出そうと自分に被害がなければどうでもよいのだ。他の弓聖だとか賢者あたりの伴侶予定だった男に関しては可哀そうだなーと思わなくもないのだが。


 だがそれだけだ。自分たちのあずかり知らぬ場所で勝手に幸せに暮らしている分にはどうでもよかったのだ。わざわざ姿を見せにこられたからこちらとしても不快感を隠せないだけで。


「とりあえず、そこの勘違い女連れて立ち去ってくれるならこっちもこれ以上の事は言うつもりもするつもりもないけど……どうする?」

 気付けばぼたぼたと涙を流して泣いている剣姫を指さして精霊王が勇者へと問いかける。

 悔しさと、実は付き合ってすらいなかったという事実に羞恥と、あとは何だろう。恐らく色んな感情がないまぜになっているだろう剣姫を、流石に憐れに思って聖女はそっと泣いてる剣姫の背中をさすっていた。慰めようにも下手な事は言えない。今の彼女に何を言ってもなんだかトドメを刺してしまいそうというのもあって、言葉一つかけるのも躊躇われた。


 勇者としてはここで戦うのは得策ではないと理解していたし、それは他の仲間たちもそうだった。

 確かに態度は酷いものではあるのだが、そう言われても仕方のない事なんだろうな、とわかってはいるのだ。面と向かって言われた事に対してそりゃあムカつかないと言えばウソになるが、ここが他に誰もいない場所だからこそお互い冷静になれた。

 下手に村の中で他の村人も見ているような状況だったら間違いなく自分のプライドを守るためにこいつら見せしめにボコボコにする、とか思っていたかもしれない。


 仮にも魔王を倒した勇者一行ではあるが、相手が精霊王と森の魔女王、しかもここは森の中とくれば余裕で勝てるとは言い難い。例えば賢者が圧倒的な火力で森を焼き払って森でなくしてしまえば森の魔女王の力は削げるが、その前に森を守るための方法を向こうだって施しているだろう。相手の縄張りに何の対策もなしに踏み込んだこちらがそうなると不利だ。


 それに精霊王。

 彼自身の戦闘能力は未知数だが、彼は精霊を、世界に存在している精霊を使役できている。旅の動向を精霊に聞いて知っていたという事はつまり、旅の途中であったあんなことやこんなことを知っているという事でもある。


 ちょっと周囲に知られたくないアレそれもある勇者からすれば、敵に回すのはできれば避けたい。

 いくらなんでも剣姫が可哀そうとは思うけれど、彼女一人の為に自分たちの周囲に知られたくない情報をばらまかれる危険性を考えれば穏便に済ませるのが一番だろう。

 何が不味いって夜のアレコレも精霊には筒抜けという事だ。そんなの周囲にばらまかれてみろ。社会的に死ねる。

 現状積極的に勇者の敵に回ろうという気がないのが救いだった。


 精霊王の目を見る。

 勇者はその時点で既に察した。

 こいつ、やると言ったらやる奴だ……! と。旅のさなか、魔王軍との戦いで様々なものを見てきたのだ。それくらいはわかる。


 マジでやるのか……冗談だろ? という思いも捨てきれないが、けれども考える。

 村で生活していた時からお互いに思い合っていた相手の間に割り込むように邪魔してきた女。しかもその女は思い人に嫌がらせや暴言を吐いた可能性が高い。ちょっとした会話の端々でそう勇者にも感じられたのだ。実際はもうちょっと問題のある展開になっていた可能性も高い。

 しかも一度や二度の邪魔で済むはずがない。数年。それこそ剣姫が村を出るまでそれが続いたと考えれば。

 好きでもない相手にしつこく言い寄られ、挙句本当に好きな相手との邪魔までされる。それが数年。


 まぁ、ちょっと考えればこれ以上関わるならそりゃ潰しておくかとなってもおかしくはないわな、と勇者ですら思うのだ。

 そして言い寄ってきた――というかかつて恋仲であった故郷で待っていた男たちを捨てた側の仲間たちも彼らを捨てた時にしつこいだの鬱陶しいだの散々罵ったのでわかる。

 精霊王が剣姫に向けている感情を。


 男だからとか女だからとか関係なく、そこにあるのはただただ嫌いな相手に対する嫌悪の感情だ。


「…………」


 だからこそ勇者は。

 そっと両手を軽く肩のあたりまで上げて降参の意を示し、仲間たちに「行くぞ」と告げる。

 仲間たちもそれに反対はしなかった。


 とんでもなく惨めを晒した剣姫は可哀そうだけれど、とりあえずは戻ってどこか適当な店で慰めようと思い他の仲間に目配せすれば彼女たちも同じように思っていたのか頷き返される。

 お互いにこれ以上ここにいても何も良い事なんてない。ならばとっとと撤退するべきだ。


 そもそも勇者たちは旅の途中、何度か精霊たちに助けられていた。あの時は女神の加護かと思ったけれど今にして思えば……剣姫をそっちで面倒見ろよという精霊王の思惑もあったのかもしれない。ならば余計にこの場からさっさと立ち去るべきなのだ。


 もし。

 もしも旅の仲間が剣姫ではなくあの精霊王であったならば。

 そう考えてもみたが、そんなもしもはもう意味のないものであった。



 ――遠ざかっていく勇者たちの背を見送って、魔女王は夫でもある精霊王を見た。

「うーん、でもあれで本当に良かったの?」

「さあ? あいつの独占欲は無駄に強いからもしかしたら他の仲間と一人の男共有してるとかそのうち嫌気が差す可能性もあるけど、でもまぁ、自分から離れるまでは多分勇者とその仲間たちがそれなりに面倒見てくれるだろ、とは思ってるよ」

「どうかしら。ここであれだけの惨めを晒したのだから、陰で仲間にひそひそされてる、とか思いこんで上手くいかなくなる可能性もあるわけでしょう?」

「そんなのあいつ次第だろ。とっとと別れてどこか他の土地で新たな恋に落ちるもよし、恋なんてもう二度としないと思って生きてくもあいつ次第。これから先幸せになるも不幸になるも、こっちは無関係だ」


 勇者たちに関してはどうとも思わないけれど、剣姫に関しては一応幼馴染というのもあってそれなりに思う部分はある。

 とはいえ、確かに色々邪魔をされたりもしたけれど、別に死ねとまでは思っていないのだ。

 魔王との戦いに行くとなった時だって、戻ってこなければいいとは思ったが死ねばいいとまでは思っていない。

 どこか遠い地で不幸になっていてもあー、やっぱりなーとしか思わないし、逆に幸せになっていたとしてもそっかー、良かったね、くらいの感想で終わる。

 好きか嫌いかのどちらかでこたえろ、と言われれば嫌いとこたえるが、正直な話どうでもよいのだ。関わってこなければ本当に。


 そんな程度でしかなかったので、勇者たちの背もすっかり見えなくなった頃には。


「あぁそうだ。フィナンシェが焼けたからお茶にしようと誘いにきたんだった」


 なんて、勇者たちの来訪がまるでなかった事のように、精霊王たる青年は自らの妻である魔女王にそう告げたのである。


「あら? 今日のおやつはブリオッシュじゃなかったの?」

「……失敗した」


 気まずそうに視線をそらした精霊王に、魔女王も「まぁ」なんてころころと笑う。


 お互いに、その時点ですっかり勇者たちの事など無かったことになっていた。

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[良い点] 精霊王と森の魔女王の邪悪さが引き立っていて、田舎の森に引っ込んでくれているのが裏ボス感ある所 勇者の仲間の元婚約者に対する復讐に同情できる所 [気になる点] 裏ボスが結局倒されないまま中…
[良い点] ・森の魔女王に、ちゃんと魔王退治に行けない理由があった事 ・剣姫以外の勇者達の行動に、納得できる理由付けがなされていた事 [気になる点] ・精霊王と勇者一行のどちらが主役なのかはっきりしな…
[一言] まぁ精霊王カップルと聖女の元婚約者以外は愛と命で命を取ったみたいなとこあるからなー 勇者が若干ゲスいのは確かだけど、 そんなの貴族連中でもやってるしそもそも故郷に凱旋するの自体は国威掲揚とか…
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