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透徹の青空  作者: 海底
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 風のない穏やかな日、ルディが引いてきた台車から最後の木箱を下におろして辺りを見回す。空になった台車を納屋に押しやるルディに声をかける。


「これで全部?」


 大きくうなずくルディを見て最後の木箱を保管庫に運び込む。あれから変わったことといえば、いままで家まで配達してもらえていたものはすべて、敷地の入り口までしか運んでもらえなくなった。そうなったのはクリスの出現が大きく影響している。法執行局まで乗り出してきたとなると、本格的に吸魂の魔女の力は本物だと信じてしまう人もでてきたようだ。これまできてくれていた中年の配達人も、いままでは無事だったとはいえ、家族に心配されて止められたのかもしれない。いつも以上に心づけを増やしているからまだ配達をしてくれてはいるけれど、金の切れ目が縁の切れ目になることは間違いないだろう。


「前に、この土地を離れようかって話したでしょう。本気で考えているの。行くあても伝手もないけど、どこか遠くへ」

「俺もついていきます」


 体格がよく上背のあるルディは、いつもぼそりと低い声でしゃべる。代々家守りをしてきた彼はここに残ると言うと思っていたのに、予想外の返事に驚いてしまった。


「邸はいいの?」

「父に話を通しておいたから大丈夫」

「ルディもきてくれるなら、すごく嬉しい」


 家守りは強制的にお願いしていたことでもないが、ずいぶんとあっさりと許可がおりたものだ。手際がいいのは彼なりに状況を判断して、以前から準備していたことだからだろう。優秀な使用人たちをまとめるのがこんなにふがいない主人で、とエイラは申し訳なく思った。

 棚の高い場所はルディが整理して、エイラは低い場所に買い足した備品を積み上げていく。横を見ると壁に打ち込まれた、複雑に折れ曲がる釘、そこには鍵束がかけられていた。ひっかかった髪をクリスが外してくれたことを思い出す。あのときのように、また彼がこの場所にふらりとあらわれるのではないかと戸口を見たり、考えないようにしているのにありえない妄想は止まらない。

 調理場に移動して、大鍋で煮沸しておいた陶器瓶を並べ、クリスが作った蜂蜜酒をそれぞれの瓶に注ぐ。あれだけ楽しみにしていた蜂蜜酒は出来上がったが、仕込んだ本人はここにいない。酒を飲むのはセルマとルディだけだから、いまある在庫が切れたら彼女たちがこれを飲み干してくれるだろう。


「これ全部飲んでいいわよ。セルマと晩酌でもしたら」

「誰が作ったんですか」


 言葉に詰まったエイラの表情を見て、なにかを思い出したらしいルディがわかりやすく、しまった、というような顔をした。同じように作ってもセルマが仕込んだ蜂蜜酒のほうがなぜか美味しいから、考えなしに訊いてしまったのだろう。留守のあいだにここで起きたことは、すべてセルマが伝えているからクリスのことも彼は知っているはずだ。ルディの焦り具合を見て、役人が来て家探しして帰っていった、それだけではないことまで事細かに伝わっているのがわかってしまった。

 普段倉庫に用はないけれど、前を通るたびに扉の奥にある棺を想像して目を向ける。外の作業小屋や物干場、どこへ行ってもクリスの姿がちらついて重苦しいため息が勝手に漏れる。そんな様子をルディが心配してか、なにもないときでも彼は会話に付き合ってくれるようになった。普段無口な人にまで気を遣わせるほど自分らしくない行動をしていることはわかっているが、日を追うごとに体のなかが虚空になっていく。水瓶のどこかにひびが入って水がすこしずつ流れ出ていくような、這い上がれない沼に沈んでいくような感覚、それを止める術をエイラは知らない。以前と同じ生活に戻っただけなのに、こんな気持ちになったのははじめてだから大いに戸惑って、そんな姿がルディにはぎこちなく見えているのだろう。


「そうだ、休暇ってほどでもないけど、セルマの気晴らしに付き合ってあげて」

「はい」


 町へ出かけさせてセルマに羽休めをさせたい計画を話すと、一応うなずきはしたけれど、あまり乗り気ではなさそうだった。

 見舞いを終えて戻る際、帰路の途中で町に用事があったルディは、最新のエイラのうわさを耳にしてしまっていた。ルディの顔はあまり知られていないから、魔女の手下だのなんだのと騒がれることはなかったようだ。町の外れだったにもかかわらず、人の口には戸は立てられないというように、エイラが王都の上級役人から取り調べを受けているとうわさをしていた。急いで邸に戻ったもののルディが戻ったときにはすべてが終わったあとだった。というのは、セルマを経由して聞いた。

 セルマから朴念仁と呼ばれるルディにさえ心配させるほど、邸の主人はから元気でいる。いつまでも腐っていてはいけないと、雇い主らしく働き手が今抱えている不満などを聞いてみようと気持ちを改めた。


「なにか困っていることはない? なんでも言って」


 質問と同時に首を横に振られ、意気込んだ主人としての気概は一瞬で終了した。一番困っていることがあるとしたら、主人の体たらくだろうが、ルディがないと言ったら本当にないのだ。元から意見や要望がまったくない人なうえに、仕事は一任しているから困ったことがあれば自力で解決する。そもそもエイラは行動規範を設けていないから実家と比べても自由は多く、なにも言わなくてもセルマもルディも文句のつけようがないほどすべてを完璧にこなしてくれている。


「じゃあ、私に言いたいことは?」


 ルディという人は主人であろうと問題があれば臆せず進言できる人であるが、細かいことにはこだわらない人でもあるから、よほどのことがなければ文句ひとつ言わない。ふたたび、ない、と即答されるかと思ったら、瞳を動かして珍しく考え込んでいるからなにか言いたいことがあるのだろう。期待と不安が入り混じりながらルディに詰め寄ると、彼は考え込んだまま調理場から出て行ってしまった。




 洗濯室へ向かうと部屋へ入る前から芳しい精油の匂いがした。詰んだ季節の花を蒸留してできた精油を調合し、洗剤にも混ぜているから洗濯物からは花の匂いがする。クリスがいい香りだと言って、よく洗い立ての服の匂いを嗅いでいたのもこの精油だった。

 広い室内に入ると、作業台の上で額にうっすら汗を浮かべながらセルマが洗濯物のしわを伸していた。まだほんのりとあたたかい洗濯物を掴んで畳むと、セルマが話しはじめた。


「ルディが心配していましたよ」

「なんて言ってた?」


 直接本人に言えず、セルマに相談するほど気にさせてしまっているのかと、あらためて反省をする。ため息をつき畳んだ洗濯物を積み上げていると、手を止めてこちらを見ているセルマが横目に映った。


「病のようなものだろうと」

「人にうつしてしまうもの?」

「それはありませんが、残念ながらお医者さまにも治せないものなので、時間は気にせずゆっくり養生してください」


 夫が死んだり行方知れずになって魔女と呼ばれても、気分が落ち込んだことはなかったから、自分は心の冷たい人間なのだと思っていたけれど多少は傷ついていて、それがすこしずつ蓄積していま容量を超えてしまったのかもしれない。


「ごめん。ちゃんとするから、もう心配させないから。みっともない姿を見せてごめんね。まだそばにいてね」


 セルマに言うというよりは、自分に言い聞かせるように繰り返す。反省は十分にした。気を病んでいるだけなら心の持ちようでなんとかなる。

 熱湯を扱ったあとの室内は湿度高く、動いているからよけいに肌がしっとりと汗ばんでいく。セルマはエイラが畳む何倍も早く手を動かして洗濯物を畳んでいる。静かな部屋でセルマがゆっくりと言う。


「外国のお土産にいただいたお人形、覚えていますか?」

「急になに? もちろん覚えているわ」


 おさないころ、父親が仕事で外国に出かけて長いこと家を開け、たくさんのお土産を持って帰ってきたことがあった。見たことのない珍しいものばかり、そのなかにとてもうつくしい人形があった。名高い人形師が作った高価な人形で、衣装も小物もすべて精巧に作られていて、妹たちが叫ぶほど喜んでいたからよく覚えている。一体だけでも相当な値段だったのに、父親は娘たちが取り合いでけんかをしないようにと気遣って、人形は娘の人数分そろえられていた。


「素晴らしい人形だったけど、長旅のあいだに落としてしまったのか、一体だけ汚れて壊れているものがあったんです。エイラ様は真っ先にそれを手に取った。父親を満足させるよう、妹たちにいいものが渡るよう、あなたは壊れた人形を嬉しそうに選ぶ。あなたはそういう人」


 壊れた人形をあえて選んだことは覚えているけれど、誰かがそれに気づいていたとは思わなかった。壊れているといっても遊べないわけではなかったし、妹の悲しむ顔が見たくなかっただけで、それ以上の深い考えがあったわけでもない。


「それを見たとき、エイラ様が自ら本当にほしいものを掴み取るまで、絶対にそばにいると心に決めたんです」

「変わってるのね」


 積み上げた洗濯物を持ち、セルマは笑顔で振り返る。あのころ宝物だった人形はおさなかった妹に貸したときに完全に壊されてしまってもう手元にはない。父親からもらったものがなくなって悲しくはあったけれど、あの人形よりも大切な人ならいま目の前にいるからと当時もそれほど傷ついたりはしなかった。そんなことを思い出しながら、洗濯物を片手に、大切な姉のような人のうしろをついていく。

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