親孝行な殺人
「世の中には色々な殺人事件がある。でも、これほど珍しい事件はそうないのではないかな」
と、彼はガムをクチャクチャと噛みながら言った。先日禁煙を始めたため、口が寂しいらしい。
「どんな事件ですか?」
私は思わず身を乗り出した。
「三十半ばの男がいてね。それが、両親を殺したんだ」
「どんな方法ですか?」
身の毛もよだつような、残虐な殺人だったのだろうか? それとも、なにか特殊なトリックが使われたのだろうか?
「紐で首を絞められた」
「それで?」
「それで、自首した」
「それで?」
「それだけだ」
「は?」
私の目は丸くなった。これのどこが、珍しい事件なのだろう?
「珍しいのは、動機だ」
私の気持ちを察したのか、彼は続ける。
「その男は、親孝行で評判だった。常に自分のことより親のことを優先して、いまどき珍しい若者として評判だったんだ」
「……しかし、心の奥でくすぶっていた、両親への不満がついに爆発し……」
「なんて、ありふれた理由じゃないよ」
「じゃあ、遺産の相続問題ですか?」
親を殺す理由で、一番多いのはこれだろう。
「そんな財産はまったくないよ。それに、そんなありふれた理由じゃない」
「じゃあ、両親は寝たきりで、介護の疲れから……」
「それも違う。くどいようだけど、そんなありふれた理由じゃない」
「じゃあ、実は自分がほんとうの子どもでないということがわかって……」
「実の親子さ。なんども言うけど、そんな」
「ありふれた理由じゃない」
私は、彼のことばを受け継いだ。しかし、それ以外にどんな理由があるというのだろう?
結婚を反対された。愛情高まり、憎しみに。強盗と間違えて……。
どれもありうる。しかし、どれもありふれている。
「答えを言おうか?」
私は首を縦にふった。悔しいが仕方がない。
「彼はね、病気だったんだ」
「は?」
心の病だろうか? しかし、それのどこが珍しい理由なのだ。
「心じゃない。体さ。相当悪くて、あと一年もつかどうかだったらしい」
「それで?」
「そこまで言えば、わかるだろ?」
私は首をひねった。それがどうして、殺人の理由になるのだ?
「彼は親孝行だった。親孝行するのが生きがいだった。逆にいえば、親不孝な行為をすることを極端に嫌っていた。いや、恐れていたといっていい」
「親不孝……」
ふと、遠い昔の記憶がよみがえった。子どものときのものだ。
よく、母に言われた。
『できがわるくてもいい。元気でいてさえいてくれれば』
「そういうことか」
「やっとわかったようだね」
子どもがおかす最大の親不孝。それを回避するには、どうしてもその殺人は必要だったのだ。
「親より先に死ぬ。それ以上の親不孝は、この世にはないからね」