最終話 変わること、変わらないこと
俺はいつも通り、今日も小百合を教室に迎えに行く。
「光くん!」
俺が姿を見せると、笑顔で駆け寄ってくる小百合。
俺たちが立ち去る後ろの方から、彼女のクラスメートたちの声が聞こえる。
「あの二人、付き合い始めたんだよね」
「うん。でも、変わらないね」
「そうだね。何一つ……」
意識してるわけじゃないけど、変わらないと言われるのがなぜか嬉しかった。
小百合もたぶん同じように感じてくれていると思う。
俺は急いで関係を進める気にはなれず、ゆっくりと深めていければと思っていた。
——そしてしばらく経った十月初旬。
俺の部屋で小百合とテストに向けて勉強をしていた。
背の低いテーブルに向かい合って黙々と問題集を解いていく。
俺は正直、小百合と同じ大学に通うのは難しいと思っていた。
それは小百合も同じで、互いに何も言わないけど春からは別々になって遠距離恋愛をするのだろうと、俺はぼんやりと考えていた。
距離に負ける話なんて山ほどある。
不安が無いわけじゃないけど、小百合となら乗り越えられるとそう思っていた。
進路はとうの前に決まっていて、それに向かって勉強するのみだと。
でも同時に、少し無謀なことも考えていた。
小百合と一緒にいるためには——。
「といっても厳しいかなぁ……」
後ろに倒れ天井を見つめる。
そんな俺を見て、正面に座っている小百合が声をかけてきた。
「ね、光君」
「ん?」
「私ね、やっぱり、光くんが好き」
「やっぱりって……うん」
小百合の声が震えている。
その様子にただ事じゃない様子を感じ起き上がり、テーブルの向こうの小百合を見つめた。
「私ね……遠距離恋愛は無理」
「えっ。いや、大丈夫だよきっと」
「そうかな? 自信ないよ」
彼女は俯き、俺の目を見ようとしなかった。
「想像するの。二人別々のところに住んで……時々会う、そんなことを……でもね、どう頑張っても私が寂しくて……光くんに会いたいって言ってしまうの。きっとそうなる」
「そしたら、いつでも会いに行く」
「うん。きっと光くんは会いに来てくれる。どれだけ距離があっても。無理しても……でも、そうやって光くんに迷惑をかけたくない」
「迷惑なんて思わない」
「うん……うん……。でもね……それじゃダメなの」
不安。
俺も感じていたこと。
小百合は、その何倍も大きな不安に苛まれていたのか。
俺のことを考えて遠慮するところも変わらない。
「光くんが好きだと言ってくれてとても嬉しかった。でも春になったら……別々になるって分かっていたはずなのに……とても軽率だった。でも、そうだとしても、諦めることもできなくて、ずっと泣くしかなくって」
「ふぅ」
俺は息をつく。
「小百合はバカだな。勉強は俺よりできるのに」
少しきつめに言った。
驚いて、潤んだ瞳で俺を見る小百合。
俺は立ち上がり、彼女の隣に座って肩を抱いた。
すると小百合は、俺に体重を預けてくる。
肩が触れ柔らかさと温かさを感じる。
「俺は、たぶん小百合が思っている以上に一緒にいたいと思っている。寂しいと言われたら、いつでも会いに行く。いつだってだ。それに……遠距離にならない努力を始めようと今決心した」
「努力?」
「同じ大学、受けてみるさ」
小百合の顔が一瞬ぱっと明るくなり、すぐ微妙な表情になる。
そうだよな……無理だって思うよな。
無謀なことかもしれないけど可能性が無いわけじゃない。
「……じゃあ私も志望校変えて——」
「低い方に合わせてどうするんだ。小百合はそのままで。でも、これから春まで……頼りにしてる。かなり頑張らないとな」
小百合と向き合う。
ぼんやり考えていたことをやっと言えた。
「わかった。私も協力する。そうだね……でも光くんならきっとできそうな気がする」
「小百合が言うなら間違いないかもな」
やっと小百合に笑顔が戻りほっとする。
はあ、よかった。
勉強もちょっと休憩しようと俺は気が緩む。
しかし、小百合はそれを許さなかった。
「じゃあ、今から。頑張ろう?」
「い、今から? テスト勉強は?」
「テスト勉強して、その後も勉強だよ?」
「えぇぇ……」
なんだか俺と小百合の表情がさっきと逆転してしまっている。
まあ、でも……言い出しっぺだし頑張るしかないか。
「じゃあ、その前に……光くん、目を瞑って?」
「お、おう」
何か思いついたのか、小百合が笑顔で言う。
俺は言われたとおり目を瞑り……。
「動かないでね」
しばらく目を瞑ってしばらく待っていると、俺の唇に温かくて滑らかな何かが触れた。
それは最初はちょんと軽く、そして次に密着するように——。
「んーーっ!」
びっくりして目を開けると、目を瞑った小百合の顔が見えた。
そっちがその気なら……。
俺は反撃する。
子供のようなキスをする小百合に比べ、経験値なら俺の方がある。
俺はより深くキスをした。
「んっ」
小百合が可愛い声を上げる。
俺は小百合に押されるように後ろに倒れてしまい、唇に触れていたものが離れてしまう。
「もう……。そんな……舌とか反則だし……目を開けたらいけないのにー」
イタズラをした後の子供のような顔で小百合が俺の上で抗議してくる。
「小百合、びっくりしたよ」
「うん……ごめんね。ずっと待ってたのにしてくれないから……」
そう言った小百合は耳の先まで真っ赤にして、後ろに倒れた俺の上から離れる。
これが、付き合ってから初めてのキスだった。
小百合に先手を取られたのはいつぶりだろう?
「俺、頑張るよ」
「うん……もし……願いが叶ったら——」
「叶ったら?」
小百合は、さっきよりさらに顔が赤く染まっている。
「もう……言わない!」
その答えを知るために、俺は必死に勉強を続けたのだった——。
☆☆☆☆☆☆
——季節は流れ、次の春。
冬を越え、暖かな陽差しが窓の外から差し込んでいる。
「よし、荷物はこれだけか?」
「うん」
俺と小百合は部屋に並ぶダンボール箱の山の前にいた。
入学が決まった大学近くの部屋に、俺と小百合は引っ越したのだ。
「これから夢の大学生活か」
「うん……本当に夢みたい。光くん頑張ったね」
彼女の進学先に合わせて俺は猛勉強を始めた。
少しハードルは高かったけど小百合が勉強を手伝ってくれたおかげで、無事俺も同じ大学に入学できたのだった。
「小百合があんなに鬼だとは思わなかった」
「そ、ソウカナ……ごめんね?」
「いや、ありがとう。おかげでこうやって一緒にいられるのだし」
「うん!」
小百合を見つめると、相変わらず頬を染めて俯く。
この様子はつきあい始めた頃と……いや、小百合と再会した頃からまったく変わらない。
「これからも一緒にいられるんだよね?」
「もちろん。ずっと一緒だ」
俺は小百合を抱きよせ、キスをする。
「光くん、こんなに幸せでいいのかなって思う」
「まだまだ、これからだよ?」
俺はそう言って改めてダンボールの山に向き合った。
「ほんと……バカみたいだったね、私」
「そう?」
「うん。あの時、遠距離恋愛を心配していたのが——」
「バカだったのは俺の方だ。もう不安にさせないから。頑張るから」
「うん。私も」
付き合っていても、気持ちがすれ違うことだってある。
好きだからこそ、言えないことがある。
互いの気持ちが永遠に続くなんていう保証はどこにもない。
でもだからこそ、大切なことがある。
それは変わらないことではなくて——。
「じゃあ、まず最初の頑張りで、この山を片付けますか」
「うん、光くん!」
こうして俺たちの新しい生活が始まった。
人はいつでも変わっていく。でもそれは、きっと悪いことだけじゃない。
俺は、改めてそう思うのだった——。
最後までお読みいただきありがとうございました。以上で、完結となります。
番外編として幼馴染みと結ばれる様子など投稿しています。
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