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悪役令嬢は安眠したい。  作者: まるめぐ
第二章
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86 酒場での一悶着

「はあ、染めるの面倒だしカツラにすれば良かった」


 今日も私はザックの奥さんが残したっていう小さな鏡台の前に座り、黒く染めた長い前髪を指先で抓んだ。

 横や後ろから少し前に持ってきて作った長い前髪は人相とそして薄紫色の瞳を隠すためで、余程傍で覗き込まれない限りは見えないはず。


「まあ、今の私の顔を覗き込もうとする相手なんて、吸血鬼くらいかしらね。バレて血を抜かれないことを願うばかりだわ~」


 一人気のない台詞を(うそぶ)いて、今はカーテンに閉ざされた窓へと目を向ける。

 きっともう夕暮れも進んでいる。


 今この街やその近隣は例の吸血鬼事件のせいで騒がしい。


 大した怪我や死人が出たわけではないためか、不安に駆られ嘆願しても王都警備隊は巡回を増やす程度で本腰を入れて捜査に取り掛かる気はないみたい。被害者の中に上流階級の娘がいない点も積極性を見せない理由の一つかもしれない。

 怠慢だと王都庶民が不満と失望を囁く中、犯人の性別や人相さえ未だわかっていないという気味の悪さも手伝って皆は挙って吸血鬼の仕業だ何だと騒ぐんだろう。


『しっかり化けておくんだ。お嬢さんはまさに狙われる特徴そのものなんだから』


 短期間で事件が誰もが知る規模にまで大きくなってから言われたザックからのこの指摘は、マルスもそう思っていたようで後で彼にも念を押された。

 確かにね。私の場合、朝と夕と一日二度変装のための化粧をするんだけど、手配書を誤魔化すためと吸血鬼事件への自衛っていう二つの側面からその必要性がある。まあでもこの事件、犯人が捕まってみればあらまあやっぱり私とは無関係でしたーって結末だといいと思ってるわ。


 だってねえ、今の段階だとアーネスト犯人説が消せないのよねー。


 そう考えるとあいつは私が王都付近に隠れ住んでいるのを察知している事になる。

 けどどこにいるかまでは知らないから手当たり次第って感じかな。

 ただ、彼は私の血以外を欲しているようには見えなかったし、近くで見れば人違いってわかったろうにそれでも血を取っていくかしらとも疑問に思うのよ。

 事件を発覚させたのだって不可解だし、手口も杜撰だわ。

 あの男ってこと魔法に関しては物事を終始スマートに運びそうだから、そもそも被害者から吸血の痕跡を消していくんじゃないかしらね。


 それらの点を踏まえると犯人は全くの別人かもしれないって線も捨てきれないのよねー。


「なーんて色々と考え過ぎ? とは言え警戒しておいて損はないわよね」


 昼間の買い物の時とかにお店の人に悪い魔法使いの噂がないかとかさりげなく訊いてみたりしているけど、未だに収穫はなし。

 彼をどう捜すべきかいい方法を思い付かない自分の無能さには呆れるわ。

 前アイリスは彼とどうやって連絡を取っていたのかしらねえホント。


 ……やっぱり一度本気で囮になってみる?


 今は日記にも相談できないし、その日記を復活させる手立ても見出せない。


 日記の刺し傷は本来なら装丁屋さんに直してもらうとこだけど、めっちゃ足が付くから諦めて自分でどうにか修繕するしかないなって思っていたら、何とザックが直してくれた。

 手先が器用でその手の技術にも精通している彼は凄いの一言に尽きるわ。

 一部切れ目が入っちゃった中身の方は仕方がないにしても、そんなわけで日記は少なくとも外見的には元通りになった。それだけでも嬉しかった。


「ふう、さてさて準備完了~っと」


 全ての仕度を終えた私は一つ息を吐いて気を取り直す。

 袖や裾のぼてぼてした草色のブラウスに茶色のスカートという、お世辞にもおしゃれとも上等とも言えないとことん野暮ったスタイルで鏡台の前でポーズなんかを取ってみる。

 かつては絹の黒ドレスやレースのフリフリが当たり前だったけど、現在はこれが定番かつ無難な服装だった。

 鏡台のある部屋を出てすぐマルスが細い廊下の角をちょうど通りかかった。

 向こうも声を掛ける前にこっちに気付いて足を止める。


「どう? 今日の変装も完璧よね」


 得意げにふふんと鼻を鳴らしてひらりと一度その場で回ってみせれば、彼はいつもの如く頷いてくれた。

 二人で日課になった開店前の掃除をして、着ている服の上から丈夫な麻のエプロンを身に付ける。腰紐を蝶蝶結びにしようとして上手くいかず後ろ手に手古摺(てこず)っていると見兼ねたマルスが結んでくれた。


「ありがと。今夜も頑張ろ!」


 振り返ってにこりとすればマルスも返すように微かに口元を緩めた。


 会った当初はそうでもなかったけど、一つ屋根の下に暮らして早一月とちょっと。最近じゃこうやって柔らかく笑うのよね。


 気を許してくれてるんだってわかるからどこかほのぼのしちゃう。


 弟分への信頼って言うのか、そんなものが出来上がっていた。





 夜の帳が下り街灯には光が灯り、大衆酒場処刑どころは今日も仕事帰りの労働者達が次々と入店する。店内の照明はオイルランプの心許ない光源だけだけど、店内の活気は昼の太陽並みだ。


「ねーちゃんエールと唐揚げ四人前ねー!」

「こっちももう一杯追加で!」


 私もマルスも忙しく客で混む店内を歩き回ってオーダーを取り、出来上がった料理の皿やお酒を運ぶ。マルスは器用に沢山のお皿を重ね周囲にぶつからないよう注意しながらテキパキと厨房とを往復していた。


 ……いやもう曲芸の域じゃないのよそれ!


 私達がここで働き出してから店の回転が早くなって客も増えて厨房は忙しくなったってザックはちょっとボヤき気味に言ってたっけ。まあそりゃ今まで注文も料理も全部一人でやってたんじゃよく手が回っていたなって拍手ものだけど、お客としては遅いって不満を持って他の店に変えちゃう人だっていたと思う。客足にしてもそういう人達が戻って来たのかもね。

 ホールは私とマルス、キッチンは主にザックでお送りしているここ処刑どころは今の所概ね平穏だ。


「にーちゃんもっと酒酒酒! 酒持って来い注文追加だ。早くしろ~!」


 他を接客中だったマルスが「少々お待ちを」と淡々とした態度で酔っ払いに返した。


「はあ~? 何だあそのスカした態度はあ~? おれは客なんだぞ、もっと愛想よくしろや~」


 ううん、こうやって平穏が乱される日もあった。

 マルスの態度の平坦さは地だけど、中にはそれが気に食わない客もいる。ほとんど毎日常連で占められている中、中年男性ばかりのその御一行様は初めて見る顔ぶれだった。


「すみません」


 短く謝るマルスの態度には先と変わらず温度がない。


「おいそれで謝ってるつもりかあ~?」

「す、少し落ち着けよ。嫌なら他のとこ行こうぜ? な?」


 より剣呑な表情になる赤ら顔の男を同じテーブルの別の男が宥めた。

 同じ席に止め役がいると助かるわ~。一度乱闘でも起こされたら収拾を着けるのは骨が折れるもの。ザックには余計な手間を掛けさせたくないしね。

 ああ良かった良かったって安堵しようとした私だったけど、しかし予想に反して事態は収束しなかった。


「うるせえよ。調子こいてんじゃねえぞぉガキがっ。人に謝るってどういう事か教えてやるよ」


 よろりと席を立ってドタドタとマルスの方へ近付く男。

 体格は横幅がだけど少年のマルスより二回りは大きい。酔っ払って気が大きくなったのかマルスの胸倉に勢いよく手を伸ばし、だけど直前で別の誰かが割り込んでギョッとしたようだった。


 その上勢いを殺せず、その誰かを突き飛ばす形になった。


 空いていた椅子を倒し人が床に倒れ込む派手な音が上がる。


 予想外に大きかった音に驚いたのか店内客の視線が集中する傍らで、男もマルスも揃って凍り付いていた。


「お、おいおいおい何で割り込んでくるんだよ! 女に用はねえぞ! ったくもういい!」


 酔漢は全く違う相手に危害を加えたせいか急に我に返り、怒りが霧散したのかバツが悪そうに吐き捨てるとよろよろと席に戻って飲み始めた。もうマルスに難癖を付ける様子はない。


 きっと女相手に乱暴してちょっと良心が咎めたのね。しめしめよ。


「だ、大丈夫かいリズ?」

「うん、平気平気」


 倒れた椅子をどかしながら年配の常連客に手助けされつつゆっくりと身を起こすのは、そう、何を隠そう、この私アイリス・ローゼンバーグよ! オホホホホ!


「すみません。お騒がせしました」


 私は立ち上がると愛想よくその一行と周囲に頭を下げた。だってこうすればたぶんきっと事態は悪化しないって思ったのよね。そして目論見通りだった。


「……リズ、どうして」


 マルスは珍しく動揺も露わに棒立ちになっている。

 かと思えば傍のテーブルに下げるはずだった皿を置き、私の手を掴んで奥へ歩き出す。


「えっちょっと注文は…」

「そんなのは後でいい」


 いやいや良くないでしょっては思ったけど有無を言わせない雰囲気だったから口を噤んだ。


「アイリス嬢……」


 奥に入るとマルスが私の本当の名を呼んだ。

 ええーっと怒ってるわねー。まあちょっと他のお客さんにも迷惑掛けちゃったもんねー……。

 だけど予想に反して彼は説教をするでもなく傍の椅子に私を促した。

 一旦どこかに行ったかと思えば、すぐに薬箱を手に戻ってきて私の前に跪く。


「膝」

「へ?」

「擦り剥いただろ?」

「あー……」

「見せて」


 ヒリヒリして痛むから血が出たかもって思ってはいたけど、酷くないし後で手当てするつもりだったのよね。でも早々に気付かれていたみたい。山賊の嗅覚なのか鋭い。

 私が巷の淑女だったら足を出すなんてもってのほかだって騒ぐだろうけど、マルスはそういうのに余り抵抗がない環境で育ったみたいだし、私も膝小僧を見せる程度はどうとも思わないから素直にスカートをたくし上げた。

 見立て通り膝には血が滲んでいる。

 それを見たマルスは少し険しい顔のまま手際よく手当てをしてくれた。


「ありがと。血が垂れてスカートに付く前で良かったかも」

「……どうして僕を庇ったりなんて」

「だってその方が早く収拾つくかなって」

「……」


 暫し沈黙があった。

 私の言い分は理解できるけど納得は行かないって顔ね。


「あーなあに~? 男なのに女に護られて不本意とでも思ってるの?」

「違う。僕のせいであんたが怪我を……本当なら僕が……っ」

「ハイハイわかったから。全くもう」


 やや俯いてぐっと唇を噛んで自責と後悔を見せるマルスの鼻先を抓んでやった。


「んぐッ!?」

「ほらほら仕事に戻るわよ。過ぎたことは気にしないの。大した怪我じゃないからホント。それでも気になるなら、手当てしてくれたのでチャラよ」


 鼻から手を離し、それでも不納得顔のマルスを立たせて背中を押してホールへと促してやる。


「…………ごめん……ありがとう」


 途中、ボソリとそんな声が聞こえて、私は思わずくすりとしてしまった。


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