75 処刑場にて2
アーネストのせいで内心小規模爆発くらいはしていたけど、その反対側では予想外のギロチンの登場に気圧されてもいた。
腹を立てながら慄くなんて我ながら器用だとは思うけど、見上げる程もあるギロチンのすぐ傍まで来ると尚更その無機質ながらも圧倒的存在感にじっとりと背中に嫌な汗が滲む。
出番を今か今かと待ち遠しそうにしている見るからにヤバいギロチン刃は、あたかも獲物を狙うギラギラと鋭い眼光のようによく研がれた刃先を光らせていて、私はごくりと唾を呑み込んだ。
ひーッあんなののお世話には絶対なりたくないーーーーッ!
もしかするとこんな傍で見る機会は初めてだったのか圧倒されていたのは一緒に来た一部の兵士達もだった。
「おい何をやっている、罪人を早く固定しろ!」
さっきから場を取り仕切っていた壮年の責任者、まあつまりは死刑執行人から指示されて我に返った兵士達は私の手から執行に邪魔な日記を取り上げて頭を強引に押さえ込んでくる。
しかも日記は雑に放られてゴトッと重い音を立てて壇上の床に落ち、バサリと中を開いたまま沈黙した。
「ちょっと! 日記に乱暴しないでよ! ねえ大丈夫!?」
そして黒い中身を晒したままにしないであげてー!
周囲は私の言動にやや引いた顔をしたけど完全に油断していた私は抗う暇もなく跪かせられたかと思えば、ギロチンの根元の台上に腹ばいにさせられてあっと言う間に首に板を嵌め込まれて固定された。
――そこの女はあの噂の悪女アイリスだろう? 生まれた家まで破壊しようとしたなんてなあ。それで終いにゃ国家転覆とは、とことん性悪め。ハハハだがついに年貢の納め時だな。
――聞いた話だとあの女、妹の婚約者を寝取ったらしいわよ。何て恥知らずなのかしらね。
――あんな恐ろしい女、捕まってくれて幸いだ。さっさと刑を執行してくれよ。
ふと、一部の人々の会話が聞こえてきて思わず唇を噛みしめる。だけど今は向けられる悪意ある言葉にいちいち凹んでなんていられない。
それよりもこの体勢じゃ唇を噛み切るしか血を出す方法がないわよね。
早くそれをしないと首チョンパだわ。
でも果たしてその血の量で足りるの?
そもそも私に空間転移魔法が使えるの?
急に大きな不安に見舞われた。
このままギロチンの餌食になったら血は出るけど魔法なんてまず無理でしょ。
この前みたいに命の危機に不死鳥が来てくれるかもしれないけど、その時にはもう遅いんじゃないの? アーネストに首を絞められていた時とは死への速度が違うもの。出て来てご主人大丈夫?ってやってる間にもう私の首と胴はさよならしちゃってるわよ。
それとも、瞬間的に危機を排除してくれる?
でもそんな賭けはできない。
「アイリス・ローゼンバーグ。この者を国家転覆を企てた罪で処刑する」
焦げ茶の髪に白いものが混じった壮年の死刑執行人が、いよいよ執行時間なのかギロチン刃を固定している縄を斬るためにその傍に立つ。
「は!? ちょっと待って! だから私はやってないってば! ちょっとホントマジで誤解の冤罪なんだってばーーーーっっ!」
もたもたしているうちにまずい状況になっていて、そのせいで余計に気が動転する余り唇を噛むのも忘れてしまった。恐怖と、そして人の死を望む観衆の狂気染みた期待と嫌悪の目に胸糞が悪くなって吐きそうにもなった。ああ、朝食抜きだったのは正解だったかも。恐怖に追い詰められた罪人が嘔吐する可能性も考慮に入れられていたのかもしれない。
ここまで逃げるチャンスはいくらだってあったのに、私は馬鹿だ。
脱獄しておけばよかった。
死刑執行人がスラリと腰の剣を抜いた。
ギラリと光が刃先を嘗め、ギロチンに劣らずよく切れそうな代物だった。
ああ、お願い、止めて。
いつかは死ぬにしてもこんな風にさよならも言えないなんて嫌よ。
もう何百人と処刑してきたのか、執行人は先の観衆を煽るようなやや芝居がかった発言をした人物と同じ人物とは思えない程に能面のような無表情を貼り付けて大きく剣を振り上げた。
「ひ……ッ」
イヤイヤイヤまだ死にたくないーッ!
だってまた離れるなんて嫌なのッ、――――ウィリアム!!
「――――止めろっ!」
刹那、馬の嘶きと装備を纏った兵士が倒れ込むような派手な音が上がり、よく通る裂帛の声が響いた。
振り下ろされ縄を切るはずだった執行人の剣がギリギリの所で止まる。
声を聞いた瞬間に誰だかわかって思わず涙が出そうになった。
角度的に辛うじて見える救世主の姿を私はひたと見つめる。
葦毛の馬に乗った最愛の男ウィリアムを。
白馬じゃなく黒馬なのは定番の王子様のイメージと反対だけど、彼にはピッタリだって思った。かなり急がせたのか馬の息は荒く、乗り手に倣って気も立っているようだった。一気に安堵が込み上げる。彼が助けに来てくれて一番に心が救われた。
「すぐに彼女を放せ。処刑は必要ない!」
大きな黒馬の威容と共に邪魔な兵や民衆を押し退けてくるウィリアムは命令しなれた張った声で壇上の兵士達に鋭く言葉を放った。突然妨害行為を働いた闖入者を止めようと兵士達は武器に手を伸ばしたけど顔を見てすぐに誰だか気付いたみたい。剣は抜かずに腕で押しとどめようとする。彼はそんな兵士らをも盛大に突き飛ばして前進した。手加減なしだったのか中には派手に吹っ飛んで気絶した兵士もいたけど彼は気に掛ける価値もないかのように一瞥さえくれなかった。
何事かと民衆たちもどよめき始める。
「ウィリアム殿下、なりません!」
「退けっ」
「なりません!」
「退けと言っているんだ!」
「なりません。あの者は処刑されて然るべき大罪人なのです!」
「大罪人だと? 寝言は寝て言え。さっさと彼女を解放しろ!」
「殿下目をお覚まし下さい。あなた様はあの悪女に誑かされているのです!」
公然で感情的になる王子に兵達は明らかにたじろいでいる。
他方、普段冷風を纏ったような王子の余りの激変に民衆達が口々に囁き始める。
――何てことだ、王子が悪女のせいで愚か者になってしまった。
――こんな風に乱暴をするなんて王子失格じゃないの。
――きっと悪女に悪い薬を盛られたのよ。
――悪女のことだ、もしかしたら殿下に何かの悪い魔法を掛けたのかもしれないぞ。
「はあ? 勝手なこと言わないで。そんなじゃないわ!」
明らかにウィリアムにだって広場からの陰口が聞こえているはずなのに顔色一つ変えないのはさすがポーカーフェイスが板についていると言うべきか。
「聞こえなかったのか? 彼女を放せと言っている」
業を煮やしたのか直前から一転しやけに低く抑え込まれた声音が逆に彼の怒りの深さを物語っていて、今にも問答無用で斬り殺されかねない鋭いオーラにその場の兵士の誰もがひゅっと息を呑んで硬直した。
その様子を目の当たりにした民衆が恐恐としてウィリアムが凶悪だとか血迷ったなんて言葉も声にし始める。
ウィリアムは満足そうにふっと冷笑した。
「アイリスが悪女なら俺も喜んで悪党の名を冠しよう」
……っ、ウィリアム~ッ。あなたってばホント最高のパートナーよね!
「だがそもそも彼女は国家転覆など謀っていない。これは彼女が何者かに仕組まれた陥計だ」
そう高々と告げる彼は厳しい顔付きを崩さないまま邪魔者達をやっぱり次々と押し退け時に飛ばし、下馬するととうとう壇上に上がった。飛ばされたくないからか壇上の兵士達は動けないでいる。
彼らを尻目にウィリアムは兵士とは異なるお仕着せを纏った死刑執行人へと真っ直ぐに向かっていき一通の書状を手渡した。
訝りながらも受け取った執行人がその上に忙しなく目を走らせる事暫し、大きく瞠目する。
「これは……」
「もう一つ、処刑中止の理由だ。これだけでも十分だろう?」
「た、確かにそうですね」
頷いた壮年の男は広場をぐるりと見渡すと大きく息を吸い込んだ。
「本日の処刑は中止とする!」
人々がざわついたのは言うまでもない。
中には不満を叫ぶ者もいて広場内は徐々に騒がしさを増していく。
「――皆、静まれ!」
大喝したのはウィリアムだった。
彼の魅力的な声はどこにいても響くのか観衆は次第に静かになっていく。
舞台上の人物がこの国の王子である事は王子様ルックもあっていつしか広場内に波紋のように伝わっていた。
自身の悪役上等宣言までしたご機嫌斜めの麗しのウィリアム王子殿下が一体何を話すのかと興味津津で、観衆から聴衆に早変わりと言った集い手たちは一斉に耳を欹てている。
私を解放するのを忘れたように兵士も執行人も皆がウィリアムを見つめた。
勿論、私も。
だけど彼は私を一瞥もしない。
急いで来てくれたんだろうにただ前を向いて毅然としている。
その様子はいつもの自信に溢れた俺様ウィリアムなんだけど、私には彼が敢えていつも通りであろうと努めているように見えた。……まあ直前までは結構な暴れ馬だったけどね。
何かあったの……?
言い知れない違和感にどくどくと鼓動が速まっていく。
私が微かに揺れる瞳で見つめる先で彼はゆっくりと一度目を閉じた。
それはまるで胸中の暴風を抑えるのに必要な動作のようでもあった。
一拍後、青灰色を宿す両の瞳が開かれる。
「この場を借りて今日ここに宣言する。私、ウィリアム・マクガフィンは、アイリス・ローゼンバーグ伯爵令嬢との婚約を解消すると」
その声は聴衆の上を、彼が現れた時以上に滑らかに駆け抜けていった。
「え……?」
私はと言えば、一瞬思考が止まった。
聞き間違い? だってこの前婚約したばっかりでもう解消って、まさかねえ?
今さっきは私のパートナーとして悪役王子にだってなってやる的に勇ましく豪語してもいたわよね? ねええ? あの時かなりときめいたのに!
だけど一人称は俺じゃなく畏まった場とかで使う私だったし、今のは王子としての立場からの公式な発言だろう。
……ええと、本気なの?
完全に予想もしなかった宣言に私は戸惑いと共にウィリアムを見つめるしかない。
もしかしたら本当に聞き間違ったのかもしれないと、もう一度はっきり言ってほしいって気持ちを眼差しに込めた。
その視線を感じ取ったのか彼がようやくこっちを向いた。
「聞いての通り、アイリス、君との婚約を解消する」
彼は願い通りもう一度告げてくれた。
今度は聞き間違いだなんて思う余地もなく。
「……どうして?」
「託宣が変化したんだ。故にもうローゼンバーグ家の娘を娶る必然性が無くなった」
「変化……? あ、そうなの……」
言っている事はわかる。
だけど意図がわからない。
だって託宣なんてなくても私達は互いの意思で一緒になるんじゃないの?
でも王子としてこんな場所で堂々と婚約解消を告げた辺り彼は本気なんだわ。
だけど、私を嫌いになったとは思わない。
こんな一方的に婚約解消――ってか最早婚約破棄よね――くらいの何かがあったのよね?
それともこれは私を助けるための何らかの方便?
そうだとしても不思議じゃない。現に私は助かったもの。何であれあなたが抱えるそれは一体どんな正当な理由なの?
これ以上の説明も弁解もなく静かな目をしたウィリアムが再度兵士に命じる。
「処刑はなしだ。早くアイリス嬢を解放して差し上げろ。彼女は――……いや、後でいいか」
私の未だ混乱する眼差しに気付いてか、彼は言いかけた言葉の続きを飲み込んだ。
喧騒の中、断頭台から私を下ろそうと兵士達が近付いてくる。
そんな時だった。
「――これじゃあ詰まらない」
やや放心していた私の耳元で笑い含んだ声がした。
ハッとして視線を動かしたけど誰もいない。
でも絶対に空耳じゃない。
まるで私の耳に声を飛ばす魔法を使ったみたいだった。
しかも聞き覚えがあった。
――アーネスト。
確かに彼の声だった。




