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悪役令嬢は安眠したい。  作者: まるめぐ
第二章
64/133

63(間章あるいは第二章プロローグ) 崖下のとあるアジトにて

 とある山奥に、一人の少年がいた。


 闇に溶け込むような黒髪と、どこにでもある青灰の瞳をした少年が。

 周囲からは年齢の割に少し大人びていると言われていた。


 そんな彼は山賊の首領の息子だった。


 人から金品を奪い、時に命さえも奪い、それで生きていく。父親は勇猛果敢にして獰猛、残忍だった。それでも彼には特大の愛情を注いでくれていた。

 父親は伝説のエルフのように美しい少年の母親を溺愛していたから、その息子である彼の事もとても大事にしていたのだ。

 日々殺伐とした山賊生活の中で、極々一般のどこにでもあるような温かな家族の幸せを知れたのは少年にとって幸運だったのかもしれない。

 しかし、不幸にも彼の身分は下等民と蔑まれるもので、しかも人々から恨まれ憎まれる山賊だ。山を下りればそんな幸せになどありつけないのはわかり切っていた。


 ただ、今は山賊の奥方として暮らしているが、母親の元の身分は知らない。


 きっと父親でさえ、知らない。


 彼女の身分によっては生活改変も不可能ではないが、母親は語ろうとはしないし、問えば悲しげにするのでいつしか少年は口にしなくなった。家族で過ごせるこの幸せには影響はないし別に知らなくとも構わないと思っていたのだ。しかし、ある雪の降る寒い夜、母親の秘密は永遠の秘密になった。

 風邪をこじらせての呆気ない別れだった。

 元々感情が乏しかった少年だったが、それでも葬儀の後は人知れず涙を流した。


「――あの時、母上は一体何を仰りたかったのだろうか……」


 三年が過ぎ、十四歳になった少年は一時過去へと思いを馳せる。


 シャクリシャクリと前日の雨でやや湿った腐葉土を踏んで進みながら、日課となっているアジト周辺の巡回に一人で赴く彼はついつい小さく呟いていた。


 ――何の話だよ?


 やんちゃそうな声がして、少年はそちらに目を向ける。

 そこには姿が透けて見える五歳くらいの少年が浮かんでいた。しかも大きさは人間のそれではなく童話の中の小人のように掌に載るサイズだ。


 古代の神官服のような裾の長い服を纏い、頭髪も瞳も薄い緑色のこの子供は精霊だった。


 話を聞くに、どうにも自力では精霊世界に戻れずにずっとこの山に居たんだとか。

 戻れないから精霊としての力もじり貧で、今ではそよ風を起こすのが関の山だなんて愚痴ってもいた。

 その時は精霊も精霊で生きるのに大変なんだなあと思ったものだった。


「……何でもない」


 声変わりを終えたばかりの声で少年は緩く首を振った。しかし疑問は疑問としていつまでも心にある。

 三年前の離別の夜、あの時を思い出すと今でもよくわからない。

 今わの際に少年の顔を見ながら母親は奇妙な事を言ったのだ。


『お前は風の子が見えているのね』


 そう言われた時は、正直ぎくりとした。

 母の言う風の子とは、きっと少年が今現在接しているこの小人のような風の精霊を指していた。

 確かに子供のような幼い姿をしているが、果たしてそれが真実の姿なのかは少年にはわからない。

 加えて、この精霊は口数の少ない少年がポツポツとだが唯一長時間会話を交わせる相手でもあった。同年代の友人がいない中、たった一人の友と呼べるのかもしれないと彼は思っていた。

 精霊としては最早微弱過ぎて普通の人間には見えていないようだったのに母親にも見えていたのには驚きだった。

 実際、父親や仲間達には見えていないようで、度々自分は独り言を言っていると思われているらしかった。

 紹介すべきか悩んでいると『もしも』と母親は続けた。


『もしも、風の子が助ける誰かに出会えたら、何があっても決して投げ出しては駄目よ』

『どうして?』

『それがお前の良くも悪くも、人生の重要な人だから』


 そんな予言めいた謎の言葉を遺し、母親はそのすぐ後に父親と少年と一味の皆に看取られて逝った。

 父親は遺言の内容に当然首を捻っていたが、それは少年も同じだった。


 風の精霊が助ける誰か。


 重要な相手。


 これならまだ難解な暗号を解読しろと言われた方が容易(たやす)かったかもしれない。少年はそもそも人と接するのが苦手だ。だからきっと山賊仲間以外には会わないだろうし、風の精霊だっていつまで自分といるつもりなのかもわからない。

 数多いるという精霊の中でも弱い精霊なので知らない間に消えてしまうかもしれないのだ。

 それでも母親の言葉は忘れかけては思い出し、思い出しては忘れかけるを繰り返して今日まできた。

 考えた所でどうせきっと今日も答えなんて出ないだろうと巡回を続けていた時だった。


 風の精霊が鋭く顔を撥ね上げて崖のある方向を見た。


 因みに、自分たち山賊のアジトは崖の下に隠れ家のようにひっそりとあり、上からでは分厚い枝葉たちに遮られて見えないため崖下まで下りないと存在を気付かれる心配はない。

 小屋は元より崖下の岩場に入口を隠すようにして造られた洞窟仕様の居住空間などは、もっと見つかりにくいだろう。

 洞窟は暗く不便だとしてあまり使われてはいなかったが。

 まあそれ以前に、これまでだって危険を冒しこんな一見何もなさそうな場所までわざわざ下りてくる者は皆無だった。

 何事かと様子を窺っていると、精霊は少年を置いて飛び出して行ってしまった。


「何だよ……」


 拗ねた気分で呆気とした刹那、崖の上の方で何かが爆裂したような音が上がり、びっくりした鳥達が五月蠅く甲高い声を上げて一斉に枝から飛び立った。


「何だ今の……?」


 目を瞠って首をもたげ重なる木々の向こうを凝視した。そんな事をしても崖上の何も見えはしないのだが。


 何故か予感がした。


 人生が大きく変わるそんな予感が。


 見えない手に背を押されるように少年は急いで精霊の後を追った。

 心許ない気配を頼りに、積年の落ち葉の積もった柔らかな斜面を駆けて駆けて駆けて駆けた。

 そして、目撃してしまう。

 辿り着いた断崖絶壁のその下で、今まさに風の精霊が渾身の力を使っている場面を。


 それは命そのものさえ削る行為で、崖上から降って来た何かを風の渦で受け止めた小さな精霊は、その直後に少年を見て、ふふんと満足そうに笑って、存在ごと――弾けた。


「あ…………?」


 消えた。


 完全に、完膚なきまでに、気配が。


 この世界から消失した。


 友が、死んだ。


 それだけはすぐに理解した。

 少年は暫し呆然として視線を下げていき、精霊が命を賭したものが人間のようだと悟った。

 同時に、感情が爆発するように駆け出して腰から短剣を引き抜いて狂乱にも似た凶暴さで地面に横たわる人物へと跳びかかっていた。


「コノオオオーーーーッ!」


 誰だか知らないが殺してやると思った。

 大事な友を奪ったこの人間の命を屠ってやると母親の死以来の涙さえ滲ませて激高した。

 激しく感情を露わにする事自体滅多にないが、一度そう短気を起こすと冷静にものを見られない気性は父親譲りなのかもしれないなんて頭の片隅で思いながら、彼は短剣を握りしめた両手を振り上げた。

 襤褸(ぼろ)の塊のようなその相手へと。


 その時、動かなかったその人間がもぞりと身じろぎした。


 夕べの雨にでも濡れてそのままなのか、ボロボロのフードマントは泥濘に塗れ湿っていて、同様に汚れた中の服も無残に裾や袖が破れている。

 まるで囚人のような、いや囚人そのものが着る貫頭衣を纏っていて、袖や裾から覗く白く細い手首足首には枷の跡が赤く残っているのが見えて痛々しかった。


 思わず手を止めてしまっていた。


 まじまじと観察すれば、長い薄茶の髪の少女だった。その髪も今は薄汚れ木の葉が絡んでいる。

 おそらくはさして年の頃も変わらないだろう。強いて言うなら一つか二つ上だろうか。

 肌も泥なのか垢なのかで黒く汚れてはいるが、元は服から覗く腕のように白いのだろうと思われた。


「女の細い体でここまで脱走してきたのか?」


 どこの地からだろうと、こんな山奥くんだりまで来るのは並大抵ではない。

 一時、怒りも忘れて同情し、彼女に一体何がと考え込んでハッとした。


「同情は禁物だ」


 だってそうだ、ここで見逃したらアジトをバラされるかもしれない。

 命惜しさに、司法取引とまでは言わないがここの情報をべらべらと喋るかもしれない。

 一味の皆の命運にも関わるのだ。そんな危険を冒してまで助ける義理はないと思った。だからさっさと殺して埋めてしまおうと思い直した。


「うぅ……」


 小さく呻いた少女が薄ら瞼を開けた。

 人見知りが勝り緊張に我知らず息を呑んでいると、潤んだようにどこか今にも泣きそうで、けれども不思議と強気そうで、不意を打たれるくらいに印象深い菫色の瞳が、暫し彷徨ったのち少年をぼんやりと捉えた。

 青灰色の少年の瞳だけをじっと見つめた少女は、何を思ったのか安心したようにふわりと微笑んだ。


「……ィリ…ァ……ム……?」


 ハッキリとは聞き取れなかったものの、誰かの名なのだろうとはわかった。

 見える部分だけでもたくさんある擦過傷のせいか他の要因か、具合が悪そうにすぐにまた気を失ってしまったが、少年はこの時になってようやく思い至った。


 この人間は友が命を賭して助けた相手なのだ。


 加えて、ふっと耳元に囁かれるように母親の遺言を思い出す。


「……この女が、僕の重要人物?」


 まさか、と一笑に付したかった。

 こんな場所で死にかけているような女が、と。

 しかし笑いたいのに笑えずに立ち尽くした。

 ふと、少女が大事そうに胸に抱える物に気が付いた。

 随分な高さから落ちてきたと言うのに、絶対に離すものかとでも言うように両腕で一冊の書物を抱え込んでいる。


「アイリス日記……。この女の名前が、アイリス?」


 それはちらりと読んだ表紙の文字を信じる限り、日記のようだった。

 母親からの教育の賜で、少年は字が読めるのだ。

 自分が生まれる前は山賊団の半分以上がほとんど字を読めなかったというが、母親が入ってからは団員の識字率が随分向上したと聞く。


 とにもかくにも、先の無害な笑みを見てしまった彼には、もうこの少女を害せそうになかった。


 ――そして物語はやや時を遡る。


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