58 惑いのアイリス・ローゼンバーグ
伯爵にはちょっと仰天しちゃったけど、まあ婚約の件は娘を想う親としては仕方のない選択だったって言えばそうなのかも。だけど親子間で言葉足らずだったのが笑えない事態を招いた。
双方に本気で同情するわ。
特にアイリスの方なんて、決して褒められない悪行の数々を成してきたけど、何だか、ねえ……。何かが違ったらこうはなっていなかったかもしれないって思うと……ほろ苦い。
私ってば令嬢らしからぬ余程変な顔でもしていたのか、じっとこっちを見つめた伯爵が眼差しを険しくした。
「しかし一つ大きな懸念がある」
私の顔に!? 確かに変顔をしてたかもしれないけど、それってあんまり。
「アイリス、一体どこの魔法使いに屋敷の仕掛けを頼んだ?」
「へっ?」
あ、ああそっちね。何だ。
「もう終わったことですし、そこは放っておいてもよろしいですわよ、お父様」
少々予想外の質問にやや焦って話題転換を促した。
だってそこについては全くわからないから、答えようがないもの。頼みの日記だって詳しく知らないみたいだし。
だけど伯爵は慎重だった。
「いや駄目だ。お前の血が解除の鍵だなどと、さも魔法具染みたふざけた扱いをしたくらいだ、血の秘密がその者にも知られているのだろう? 面白がって吹聴されても困るからな。わかるならこちらでも相手の素姓を把握しておきたい」
「それは一理ありますけれど……ええと……」
うーんどうしよう。下手に何か言うよりは言わない方がいいわよね。
「実は……大変に不甲斐ないのですけれど、怖い思いをしたせいかその辺りの記憶がきれいさっぱりと失くなってしまっていて、覚えていないのですわ」
あっやば、若干目が泳いじゃった。大丈夫かしら。
さすがに苦しい言い訳だとは思うけど、一番無難で追及されない理由はこれしか思いつかない。無い知恵を絞ったって逆立ちをしたって出て来ないものは出て来ない。
大袈裟に悄然としてみせる私へと、伯爵は身を乗り出すように近付いてガシッと肩を押さえてきた。
「アイリスお前……」
や、やっぱり無理目?
「余程怖い思いをしたのだな! もう気にするな、何かあればこの父がいる!」
「ほあ?」
「そうですよ姉様っ、もうお忘れになった方が宜しいのです。ぼくだっています!」
ニコルちゃんまで! よ、良かったこういうとこが単純いやいや甘い二人で……。
まあそんなわけでその件で何かあればすぐに知らせるよう言われて、加えて事後処理の方も伯爵に任せても大丈夫って話をされて、一先ずはホッとした。正直修繕とかどうしようって思ってたもの。
その後伯爵は件の事後処理案件で呼びに来た執事のトムソンと共に退室したから、部屋にはニコルちゃんと二人きりになった。
はあ、肩が凝るような緊張からやっと解放されたわ。
軽く首を回した私は次に居住まいを正すと、真っ直ぐニコルちゃんを見据え頭を下げた。
「ニコルちゃん、あなたにも色々と迷惑を掛けちゃったわね。一時は具合まで悪くさせちゃって本当にごめんね? それなのにこうして最後まで力になってくれて本当にありがとう」
「ねっ姉様、ぼくにとっては息を吸うより当然の行動なのですから、謝罪や感謝は一切要りません。早くお顔を上げて下さい」
「そういうわけには……」
「いいのです。そちらの件よりも、姉様、ぼくに教えて下さいませんか?」
「何を……?」
ニコルちゃんは腰掛けていたベッド端から内側に体をずらして私との距離を詰めてくると、身を乗り出して強い眼差しを寄越した。
「姉様……ぼくは……知りたいのです」
えっどうしようここに来てまさかのエロ百合展開?
姉様の全てをぼくに教えて下さいってくる!?
「あ、あのニコルちゃん落ち着いて? 私たち姉妹なのよ」
「はい。ですからぼくは知りたいのです。さっきは、ビル兄様と何があったのですか?」
「へ?」
あああ~私ってば何を勝手に勘違いしてるのよ~っ。美少女妹とのめくるめく萌え萌え展開かもって警戒とちょっとの期待をしちゃった自分が恥ずかしい!
よくよく続きを聞けば、彼女は私が目を赤くしていた理由がやっぱりどうしても気になっていたみたい。
「ビル兄様達はぼくの姉様を泣かせたのでしょう? 少々腹に据えかねます」
「ニコルちゃんあなたって、何て良い子……!」
一人感涙に噎んだ私にねだるように、知りたがりのニコルちゃんてば神秘的上目遣いで訊いてきた。
さっすが銀髪美少女! 効いた~っ。
まあ隠すことでもないから、そういうわけでドッキリを仕掛けられた経緯を話したんだけど、話すうちに怒りが再燃して、とりわけウィリアムに対して怒る私へと、彼女はここには居ない彼に呆れたような顔で重要な情報も教えてくれた。
その話を聞いて私は彼への怒りを半分くらいは解いたけど、その代わり、別途生じた憤りが空いた怒りスペースを埋めた。
その場に居たらきっと蹴っ飛ばしてたわー。
とにかくそんな機嫌の悪さも相まって、暫ししてニコルちゃんが退室してからは不貞寝した。
彼女は私の体を気遣って滞在時間を短めにしてくれたみたい。もう全然平気って告げたんだけど、災難続きの私には体だけじゃなく精神的にも休養は必要だって言われたわ。確かにそうかもしれない。とは言っても、去り際は随分と名残惜しそうにしていたけど。
そして、不貞寝って言っても寝るには違いなく、ちょっとだけのつもりだったのが気付けばいつの間にかまた爆睡していた。
目を覚ましたら、窓外の日射しがやや黄色味掛かっていたものね。
さっきはまだ午前中だったから、お昼も食べずに結構長く寝ちゃったみたい。
ベッドの上で半身を起こした私は、盛大な背伸びでもしようかと両手を真上に突き上げたところで、ふとベッド脇を見やった。
――ふぁ!?
いつの間に戻って来たのか、傍の椅子じゃ腕組みしたウィリアムが疲れたような顔で居眠りをしていた。
私の体調が平気かどうか確かめにきたのかも。この人意外と心配性だから。
彼のすぐ後ろのテーブルには、たぶん私の昼食だろう食事がトレーに載せられ置かれている。冷たくして食べる用の料理でもない限り、どこの世界でも冷め切った食事は美味しくないけど、勿体ないから後で食べよう。
部屋の中を見回したけど日記も不死鳥も見当たらない。
この静かな部屋にはこの人と二人きりなんだってわかったら、何だか急にそわそわした。
今は金の睫が伏せられた端正極まる顔をじっくり眺めたい衝動に駆られたけど、そこは頭を振って煩悩を追い出した。さっき自己治癒魔法を使ってたしある程度は体力も戻ったみたいだけど、体の芯から絶好調ってわけじゃないのはわかる。例えば人間栄養ドリンクも良いけど、やっぱり体調回復の一番のカギは体をゆっくり休める事だもの。
今は無理に起こさず眠らせておこうかしらね。
言いたい言葉は幾つもあったけど後で良いわ。
よし、庭に出よう。
このままじっとしているのも退屈だし、それに何よりこんな静けさの中だと空気を超えて感じ取れちゃう彼の存在が妙に際立って気になって、心臓が五月蠅くて仕方がないんだもの。
もうっ、嘘でしょ?
私ったらいつの間に落ちたの?
ううん、いやいやまだ落ちてないわ、落ちてない!
せめぎ合う自意識が、そもそもこんな恋愛事を考えている自分への羞恥を生んで混乱に拍車をかける。
ふー、ふー、ちょっと冷静になろうや私。
早く頭を冷やした方が良さそうってわけで、私はウィリアムが居るのとは反対側から音を立てないよう気を付けてベッドを降りた。
着替えたりしてごそごそやって起こしちゃっても悪いから、フリフリの薄い寝間着の上にちょうどチェストの上に畳んで置いてあったショールを一枚羽織って、足元は室内用のサンダルを突っかけただけにして抜き足差し足で部屋を出る。
屋敷の誰かに見つかればはしたないって眉をひそめられるのは確実だけど、一度貼られた悪女のレッテルはそう簡単には剥がれない。故にどうせ離れには彼以外誰も来ないだろうから別にいいわよね。夕方近くだしニコルちゃんや伯爵だって今日はもう来ないでしょ。
そうして一人庭に出て、どうせならと噴水のある方に行こうとした時だ。
遠目にニコルちゃん付きのメイド達がぞろぞろと歩いてくるのが見えた。
げっ! よりにもよって何で今!
こんな姿で庭に出ているのを見つかったらまた何を言われるか。別に内容に一喜一憂するわけでもないけどピーチクパーチクと喚かれると耳が痛くなるから遠慮したかった。
そんなわけで、サッと回れ右をして長い裾を翻して見つかる前に退散する。
屋敷に戻るのはやめておいた。
だってメイド達は建物の方に歩いて行ってるんだもの。会いたくないしね。あと廊下や窓から見下ろされたら見つかる場所に居るのもまずいわよね。
うーんどうしようかしら。少し考えて、庭の死角にしばらく身を潜めてるのが無難だって結論に至った私は、以前散策で見つけたいくつかの内の一つに向かい、木と茂みに囲まれた芝生の上に腰を下ろした。
「はあ、厄介な……」
そう小さくボヤいて、しばらくはのんびりと木漏れ日に当たった。




