37 離れに漂う破壊魔法4
現在私はウィリアムと共に部屋を出て二人並んで夜の静けさとひと気のなさに沈んだ廊下を歩いている。建物内の灯りは私の部屋のある三階でも部屋の近くにしか点けられていないから廊下の奥は真っ暗だ。ランプは必須ね。
広い屋敷内はほとんどが真っ暗で、まるで幽霊屋敷みたいよ。
仮にも伯爵令嬢なのにこの待遇。真っ暗だなんて防犯上も宜しくないと思うんだけど……と何も知らなかったなら私も文句ぶうぶう言ってたわね。でも日記にはアイリスが自分の部屋以外は消灯するよう要望したと書いてあった。黒こそわたくしに相応しいとか何とか独特の感性が綴られていたっけ。だからこーんなに闇深い。
ただし現在は廊下でも部屋の近くは明るいわ。たぶん必要最低限の場所にだけ、とウィリアムかニコルちゃん辺りが点けてくれたんだと思う。因みに手持ちランプは彼が持ってくれていた。
日記はお留守番ね。ウィリアムもいるから会話できないし、会話できないなら同行させる意味がないもの。無駄に重い荷物を持って歩くのだって疲れるし、ごめんね日記。
だけど、やる気になって出て来ちゃったものの勇み足だったかもしれない。
ウィリアムも何かを見つけたとは断言していなかった。見つけていたら戻って来て真っ先に教えてくれそうなものだし、だからやっぱりまだ進展はなしと考えていいんだろう。
第二段階が何か判明しないと私の血だって使い所がなくて役に立たないのにね。ホントマジでこれは早まった……。
つくづく自分の考えなしが悔やまれる。まずは部屋で落ち着いて話を詰めるべきだった。
私を半歩分先導するように歩いている彼も、内心じゃ仕方がなく付き合ってくれてるんだろう。
向こうとしても出てきたはいいけどどこに行けばいいのか決めてなくて、とりあえずパトロールを兼ねて歩いてるのかもね。もうこれは健康的にウォーキングしてるんだって前向きになるべきかしら。
「何か突っ走っちゃってごめんなさい」
「突っ走る?」
「だってまだ魔法具も魔法陣も見つけてないのに部屋出てきちゃったじゃない、私が強引に誘ったから……」
反省を表して視線を下げれば、彼は横で足を止めた。一旦戻ろうって言うんだわ。
「――実は、魔法の正体は見えてるんだ」
ウィリアムがしれっとした声で言った。
「えっホント!? 何だったのってかどこにあったの!?」
彼同様に足を止めた私は純粋にびっくりして急いたように問い掛けた。
ウィリアムってばさっきは小難しいような顔もしていたし、てっきりまだわからないんだとばかり思ってたわ。
何よもう、出し惜しみしてたのね。ホント意地悪なんだから。
私は無意識に彼の方へと足を踏み出し身を乗り出していた。
「お願い、早く聞かせて」
ランプの位置的に、これは怪談を話す時の光の当たり方だってのにも気付かない私は、彼が一瞬竦んだように頬をヒク付かせたのを不思議に思ったけど、それよりも早く知りたかった。
「どうやってわかったの? やっぱりどこか見つけにくい場所にあった?」
私からの捻りのない問いかけに、彼は「いいや」と首を横に振る。
「正体は魔法陣だった。しかも、それは常に俺たちの目の前に漂っていたんだ」
「目の前に漂う? 魔法陣が?」
私は怪訝顔で辺りをきょろきょろと見回した。魔法陣が日記みたいにふよふよ浮いてるイメージしか浮かばないけど、それで合ってる? と言うか私にも見えるの?
体に流れる血が魔法的でも、ウィリアムやニコルちゃんみたいに魔法を使えるってわけじゃないみたいなのよね。期待せずに目を凝らしてみたけどやっぱり暗い廊下がただ伸びているだけだった。
ウィリアムはそんな私をくすりとして見つめたわ。何よちゃんと説明しなさいよ憎たらしいわねっ。向こうは私がムッとした所で口を開いた。
「端的に言って、この離れは庭も含め敷地全体が魔法陣の中に置かれているんだよ」
「魔法陣の中? ……ってどんだけ大きい魔法陣なのよ!?」
彼を疑うわけじゃないけど冗談かと思った。でも少し考えれば真実なんだとわかる。
アイリスは死ぬ事に本気だった。
離れを破壊しようなんて正気じゃないやらかしをするつもりなら、そのくらいの大掛かりな魔法を依頼しても不思議じゃない。
それにしても、常人じゃ中々仕掛けられない大がかりな魔法を一人で易々と仕掛けられちゃう謎の魔法使いの存在を思うと、魔法ってすごく怖い。それが大きければ大きいほど善悪と使い所の正誤を慎重に判断しないと大変な事態を招くもの。
「でもそっか、内部にいたから特定の場所がなかったのね」
「その通りだ。陣の内部は多少流動はしているが、ほぼ一定濃度の魔力で満たされているから魔法の有無はわかったが、霧の中で雲を探すようなものだった。だから気配が曖昧で全容が掴めなかったんだ」
でも魔法陣に覆われているだなんて防護障壁みたいな感じ? 私の想像力じゃドーム状とか円筒状のしか思い浮かばないけど、そういうのって外から見たらわかり易かったりして?
「あ、ねえもしかして本邸に行ったから気付いたの?」
「それもあるな。より意識して動いていたし、離れの他の魔法具を全て取り除いた後だったから、残った魔法の気配だけを純粋に感じ取れたんだ。そのおかげでここの魔力の流れや濃度なんかを外と比較できた」
「そうだったの。何かごめんなさい。私を看病してなかったらもっと早くに気が付いたかもしれなかったのに」
「そこはいいんだよ。君が心配で離れたくなかったんだ。俺が。大丈夫だと思っていても、時に魔法は予測し得ない何かが起こる事もあるからな」
「私のため……?」
「不満か?」
「どんなに心配してくれても、婚約はしないわよ」
「安心しろ、君の命を盾にして婚約を迫ったりはしないから」
「そ、それならいいけど」
改めて不思議に思う。興味があるとは言われたけど、何日か一緒に過ごしただけなのにそこまで案じてくれるくらいの好意に変わるもの?
前に吊り橋効果がどうとか言ってたけど、もしや本人がそれに引っ掛かったとか?
でも、私もほんの少し、吊り橋効果はあったのかもしれない。
「ええと今更だけど……色々と助けてくれて、どうもありがとう」
「ふっ、素直じゃないのに、素直」
「んもうっ、感謝を取り消そうかしらね!」
どうしたことか、ウィリアム・マクガフィンという男からの思いやりが素直に嬉しいの。
「現状はわかったけど、そんな大きな魔法陣をどうやって解除するの?」
するとウィリアムは天井を指差した。
「一度上空に上がって全容を見極めてから、陣の一部を破壊する」
「破壊? 庭なり建物なり、離れのどこかを壊すの?」
「心配は要らない。物理的にじゃなく魔法的にだから」
「え、どう違うのよ?」
「普通に魔力だけでは物体にはほとんど影響しないんだよ」
「へえ、そうなのね。じゃあ目には目を、魔力には魔力をってわけね」
「その通り。俺の魔力をぶつけて一部を相殺する。おそらくはそれで自ずと陣は崩壊して消滅するだろう」
「なるほど。ならあなたの魔力は必要ないわ。私の血があるからそれを霧状にして降り掛けるとかすれば解除出来るんじゃないかしらね。大体、あなたってば魔法使ってばかりで疲れてるでしょ。ここは私に任せて頂戴よ」
彼はちょっとカッコ付けっぽいから、無理してでも私には弱い所を見せないんじゃないかしら。そう思ったら少しでも自分が頑張らなきゃと思った。
何せ私の血は解除に有効なんだし、堂々と選手交代よ。
両手を打ち鳴らして得意気に提案した私の顔を無表情に見つめ、ウィリアムは私を連れてどう飛行魔法を使おうかとか血をどう噴霧しようかなんて思案しているのか、うんともすんとも言わない。
「ねえってば、黙ってないでよ。さっきも言ったように解除に有効な私の血を使いましょ」
「……何を言っているんだ?」
「だぁから~、私が張り切ってた理由はそこだもの。使わない手はないわ。私が血を出すからそれでどうにか…」
「――ふざけるのも大概にしろ」
ピシャリとした声だった。
「え、ふざけてなんかな…い……けど……」
反論したけど尻すぼみになった。
本気の不愉快さを滲ませたウィリアムから叱られて、気持ちが消沈する。
「何でそんなに怒るのよ……。私の身の上の災難なんだから自分で出来る事は出来る限り自分でやりたいの。あなた達にばっかり負担を掛けたくない」
「だからと言って君自身の体を傷付けるのは違うだう」
「い、痛いのは我慢するわよ」
「そういう事じゃない。俺が容認するとでも?」
ウィリアムの感情を抑えた低い声がやけに耳に刺さる。
「してもしなくても、私が少し痛いのを我慢するだけで済むなら、全然構わないわ。噴水では少し我慢しろ的なこと言ってたくせに何よ」
「あれはあれだ。君は自己犠牲が美しいとでも思っているのか?」
「時と場合によるわ。そもそも美醜の問題でもないしね」
上手い言葉を見つけられないのか、ウィリアムはピリピリとした雰囲気を隠そうともせずに荒っぽい短い息を吐き出した。
しばし押し黙って考え込むようにしていたけど、私に何も言わずランプを持つよう押し付けてくると長い脚を翻して一番近い廊下の窓を押し開ける。
「え、急に何よ?」
「君が変な気を起こさないうちにさっさと片付けてくる」
「は!? ちょっと待って! 一人で行く気? まだ話は終わってな…」
「――君が大事なんだよ! 俺にとっては魔力消費で疲れる程度、大した問題じゃない。全然負担じゃないんだ!」
駄々を捏ねる子供のように言い放つと、彼はもうこっちを見もせずに言い逃げした方が勝ちと言わんばかりに、さっさと窓枠に足を掛けてそのまま颯爽と外の闇へと飛び出していった。
「ここ三階……」
止める間もなかった。
びっくりはしたけど魔法で飛んだんだろうとはわかるから落ちて怪我がなんて心配はしてない。だけど展開が些か衝撃的かつ予想外過ぎてやや呆けたように見送ってしまった。そうやってポツンと一人廊下に残されていると、じわじわと湧き上がるものがある。
「何よ……何なのよ、もうっ!」
薄らと涙が滲んで泣きそうになった。
右も左もわからない異世界に中途半端に放り込まれてホントのホントは心細かった。日記は全然頼りにならないし、誰も気持ち的に頼れる相手がいない現実に内心じゃ怯えてたの。
でも、この世界でも自分を気に掛けて懸命になってくれる人がいるって嫌でも悟らされた。
それは一人二人かもしれなくても、たったそれだけで救われる。
逆境を生き抜く活力になる。
結構ちょっと、気付けば葵に次いでウィリアムの存在が心の中で大きいんだけど、どうしよう……。私ってこんなに絆されやすい女だったんだ?
恋にならないように気を付けないと。でも、友人としてなら頼りにしてもいいのかもしれないなんてどこか卑怯な考えも浮かんだ。
ただね、恋にしろ友情にしろ親しみを感じているからこそ結局は彼任せになっちゃったのが気に病まれる。自分こそ自己犠牲してるじゃないのって苛立たしさも胸中でぐるぐるしていた。
廊下に突っ立っていても仕方ないから窓を閉めてやって部屋に戻った。彼が一仕事を終えて戻ってくるなら私の部屋か続き部屋の方だろうから。
「戻ってきたら真っ先に説教してやるんだから」
あなたも自分をもっと大切にしてよって。
部屋に戻ると日記が勝手に出歩いていた。
「お帰り~」
「…………」
「でもあれ~? 随分早いお帰りじゃないのさ~?」
「ふんっ私はお呼びじゃないんだって!」
許可なく抽斗から出てこないでよって文句と、無力感ともどかしさに自分でもどうしようもなく感情が荒れちゃって、半ば八つ当たりしちゃったわ。
「ふう~ん。彼を案じる余り腹が立ったって感じ?」
「そうよ。私だって負担を掛けるのは嫌なのに、あの人は人の気も知らないのよ!」
日記は私に怒らなかった。気持ちを酌んでくれたからなのかもしれない。勝手に脱出した後ろめたさからかもしれない。
だけどねえ、結構いい加減なくせにこう言う人の感情の機微に聡い部分がちょっと憎い。
彼の帰りを待っている間、やきもきして落ち着きなく部屋を動き回っていた私は日記ともっと話したいとも思ったけど、彼が頑張ってくれてるのに私だけぬくぬくと部屋の中にいる気にもなれなくて、どうせならバルコニーに出てようって決めた。
ウィリアムがピーターパンなら私は彼に真っ先に気がつくんだわ……なんて徒然とした無意味な思考さえしながらじっとずっと上空を見上げ続けた。
わかってはいたけど、暗くて上空の人影なんて全く見えやしない。そもそも上がった高度だってわからない。
ウィリアムは大丈夫なの? 空のどこら辺に居るの?
まだ、深夜〇時にはならない。そうは言ってももう一時間を切っていた。
ただね、私が最も心配なのは、迫る発動時刻なんかじゃなかった。
「ウィリアム・マクガフィン、早く帰って来なさいよ」
お願い無茶だけはしないで。
それから彼が戻るまでのもう少しの間、私はハラハラしながら夜風に当たっていた。




