34 離れに漂う破壊魔法1
「あー、もしかして最近の貴公子は料理も出来ないと女子受けしないのね。だから腕を磨いたんでしょ」
「いや、何処に行っても常に一流料理人の豪華料理で歓待されて、無駄に令嬢に言い寄られたな」
「へえーすごー。でも、それなのにわざわざ料理を習ったの?」
「習ってない。経験と独学だ」
「……マジで?」
それでこんな西洋料理しかなさそうな世界の真っ只中で日本的な味を出したって言うの?
うーんこの人実は稀代の天才料理人の素質があるのかもしれないわ。
公爵家子息にしておくのが勿体ない神の舌と手を持つ男だったりして……?
前世で読んだような料理漫画の逸材が今まさに目の前に……とドキドキしながらウィリアムの方を窺えば、これみよがしな溜息をつかれた。
「俺の料理の腕はどうでもいいだろう。本当に体調は大丈夫なんだな?」
「本当に大丈夫だってば。いつからそんなに心配性になったのよ。だけど、色々と本当にお世話様でした」
ベッドの上の私は膝の上で閉じていた日記を傍らに避けて背筋を伸ばすと、もう一度改めて丁寧に頭を下げた。
そうしたらウィリアムってばベッド脇の椅子からベッド端に移ってきたじゃないの。
……何故にわざわざ移動する必要が?
疑問に思っていたら更にこっちに腕を伸ばしてきて、私が何か反応する前にスッと前髪に指を潜らせてきた。
「ああ、本当にもうすっかり平熱だな」
な、何だ額に手を当てて熱を測っただけか。もしも不埒な行いをしたらこの分厚い日記で殴りつけてやろうかと思ったのに。
「だから平気だって言ったじゃない。信じてなかったのね」
「口ではそう言いつつ、君はよく無理をするからな」
「そう、だっけ?」
彼の前でよくって言われるくらいに無茶した覚えはない気がするけど。言葉のあやねきっと。少し冷たかった彼の手は、皮膚からじんわり伝わる私の体温のせいでもう温い。その上何を思ったのか、スッと掌を反して今度は手の甲でも確認の意味なのか額に触れてくる。
彼に限ってうっかり小突いたりしないよう気を遣っているわけじゃないとは思うけど、掌と違って控えめに触れてくる手指のゴツゴツした関節が、何だか妙に落ち着かない気分にさせた。
「だ、だから大丈夫だって言ってるでしょ」
気恥かしくて顔を背ける動作で彼の手を振り切ると、小さく苦笑いされた。
「ホント君は我慢強いから、他者を心配させないように不調を隠して無理をすることもあるだろう。だから念のためだよ」
「そ、そんなことは……」
ないとは言えないかも。
葵とのデートを駄目にしたくなくて、平気なフリしてたら余計に悪化したこととかあったっけ。しかも一度じゃなくね。
でもこの人が知っているはずもないし、どうしてそんな断言をできるの?
まあ数多の浮き名を流したようなお方ですから? 女性のテンプレ的な性格に詳しいのかもしれないわね。でも私ってそこまでわかりやすい性格してるかな?
「顔色も良いしもう心配はなさそうではあるが、念のためまだ動き回ったりしないで大人しくしているんだぞ」
「あっそうだったわ、こうも悠長に話してる暇はないでしょ!」
「女神像の時も言ったが、それは俺がどうにか抑えるから安心しろ」
「人任せにはしたくないの!」
まずは汗で湿った服を着替えるためにもベッドを降りようとすれば、ウィリアムから腕で通せんぼされて止められた。
「まだ本調子じゃないだろう。倒れたらどうするんだ。もう少し横になっていろ」
「平気だってば。あ、ねえ、念のため聞くけど、飴玉の魔法がぶり返すなんてことはないわよね?」
「一度消費された魔法は、消滅したのと同じだから普通はもう何もなさない。その点が心配だったなら、心配無用だよ」
「そっか、なら良かった」
不機嫌な顔をするでもなく手を自分の方に戻したウィリアムからのお墨付きに、些かホッとした。
「とにかくだ、時間ぎりぎりまで俺が探して見つけ次第壊すから、ここに居ろ。探せなければ防御魔法を駆使して君を護るから心配無用だしな」
「嫌よ」
「アイリス嬢」
「あなたの思いやりは嬉しいわ。けど悠長にねんねなんてしてられない。本邸の方だってニコルちゃんに任せきりで悪いし……」
「ニコル嬢の方まで把握済みとは……もしかしてそれもまた君の秘密の情報屋からか?」
「ええそうよ」
何の気なしに肯定すると、ウィリアムはここに来てようやく案じる顔から不機嫌顔になった。
「姿一つ気配一つさせないで君と接触しているその相手は、まさか魔法使いなのか? 前に魔法使いを探していると言っていたから伝手はないんだとばかり思っていたが、実は知り合いがいたのか?」
「へ、魔法使い……? うーんえーと魔法使いではないと思うけど、何者なのかよくわからないのよね実は私も」
「わからない? 君にも姿を見せないのか?」
「や、姿はバッチリ見えるけども……」
私はチラッとついつい日記を一瞥してしまった。
その態度が必死に誤魔化して犯人を庇う健気な女っぽく見えたのかもしれない。ウィリアムは一段低い声を出した。
「そいつは、男なんだな?」
「えっ男かどうかも実際ちょっとよくわからないって言うかー……」
そんな彼の変化に、自分でも日記の性別や何かを考え込んでいた私は気付かないまま顔を上げた。
「わっ」
身を乗り出してきたウィリアムから思いのほか近い位置で睨むように見据えられ、顎先を軽く掴まれる。
「何よちょっと!」
「アイリス・ローゼンバーグ嬢、君は自分の立場を忘れたのか?」
「え……?」
「その男とは今すぐ縁を切れ。君が無理なら代わりに俺が話をつける。呼び出す方法があるなら今すぐ呼び出してくれないか」
「ちょっと待って早とちりよ! 魔法使いでも男確定でもないから! 大体どうしてあなたがそこまでするの!」
手を払ってやや立腹の体を取れば、彼は真剣な目で言った。
「君が他の男と通じている上に、君の血の秘密が漏れれば、君との結婚は叶わないかもしれないからだ。どちらか一方を排除できるとすればその男の方しかない。俺はこれ以上君との結婚を阻むかもしれない理由を残しておきたくないんだ」
ええー何よそれ。ホント勝手よね。
「あなたとは結婚しないってば。とにかく、その相手のことは心配ご無用よ! だって――人間じゃないもの! 人の姿をしてないの!」
「…………」
随分と間があった。
「もしや君は特殊な嗜好の持ち主なのか……?」
「ちょっとそこ失礼千万な思考しないで頂戴! 喋るマスコットみたいなものよ」
「マスコット……。魔法的な何かではあるようだな」
「ええ、まあ。ここでの相棒的なものね」
「へぇ」
相棒って私のたとえをどう捉えたのかは知らないけど、ウィリアムは温い眼差しでとりあえずは追及の手を引いてくれた。ああもうこれは一度日記本人に正体を暴露しても大丈夫なのか聞いておこう。
「それよりも、離れの魔法についての話を聞きたいわ。見当は付いてるの?」
気を取り直したのは私だけじゃなく、姿勢を戻したウィリアムはゆるりと瞬いてから口を開いた。
「魔力は感じているから確実に破壊系の魔法は掛けられている……とは言え、その気配が曖昧で大元が確定できないんだ」
ウィリアムにもわからない?
そんな事もあるのね。ああだから入って来た時に小難しい顔してたのかも。
「ねえ、曖昧って言うけど、特定の物体に魔法が掛けられてるなら、魔力の痕跡を辿ればその魔法具を見つけられるんでしょ? この部屋にあった魔法具を見つけたように」
「普通はな。しかし現在ここに漂う魔法の気配は、気配として感じ取れるものの、まるで立ち込める霧の中にいるみたいに中心が定まらない。対象が魔法具ならそれの置かれた一段と魔力の濃い場所があるのが普通だが、それもない」
「え、何それ? どういうこと?」
「さてな、俺にもまだ何とも……」
一つ苛立ちを我慢するのにも似た息をつくと、ウィリアムはベッドから腰を上げた。
「君はまずは夕食だな。生憎今夜は作ってやれないから本邸の方に頼んでおくよ」
「あなたは食べないの?」
「幾つか気になる場所を回ってから、その後で食べる」
「あ、じゃあ私も一緒に行くわよ。そんな話聞いたら私だけ先に食べるのは気が引けるわ」
「だから……。ったく、病み上がりの人間が無理をするもんじゃない」
隙あり、とでも言うようにくしゃりと髪の毛を掻き回してきたウィリアムに抗議しようとしたけど、反対に彼からは笑んで目尻の下がったような呆れ目を向けられて、出掛かっていた文句は一切が出てこなかった。
この人ってば急にどうしてそんな優し気な顔するの? 私がまだ弱ってるから?
調子狂うじゃないの。
でもそんなむず痒いような気持ちも次の台詞で霧散した。
「大体、夕食は静かに摂りたい」
「はあ!? 何よ私が五月蠅いって言うの!?」
自分の気質を否定はしないけど、人に、特に彼に言われるとカチンとくるわー。
「いや、君は五月蠅いというよりは、賑やかしい、だな」
「多少柔らかく言っただけじゃない!」
彼は確信犯に違いなく、くすりと小さく含み笑った。
「まあくるくると表情が変わって、一緒にいると楽しいって意味だよ」
私は思わずぱちくりと瞬いた。
それは中々に悪くない評価な気がした。
「あ、あなたって静かな場所が好きなタイプかと思ってたわ」
「いや、その通りだ。賑やかな場所は基本好きじゃない。でも例外があってもいいだろう? ――君のような、な」
結婚なんてするつもりはないのに、むしろ彼から幻滅してもらわないとならないのに、不覚にもドキリとしちゃったわ。




