30 アイリス・ローゼンバーグの秘密3
もし私が魔法を使えるなんて公に知られたらどうなるか、そんなのは私の貧相な想像力でも答えがわかり切ってるわ。
決して嬉しい展開にはならない。
目の前でガシャンと鉄格子の錠前が下ろされる光景を頭に浮かべた私は、我知らずぶるると身震いした。
「考えてもみてよ。本当に私が魔法使いで、しかもそうだって知られちゃったら私ってば牢獄行きじゃないの? 魔法で何かやらかす前に災いの芽は摘んでおけーみたいな論調にならない?」
「そうだった、そっちの問題もあったな」
「はい、でしたね」
私が指摘するまで失念していたのか、二人揃って納得の顔になる。
「君の言う通り、その可能性は低くないだろうな」
「でしょ」
「けど真実を突き止めないのは愚策だ。君が如何に否定しようと真実君が魔法使いなら現実的には何も変わらない。いやむしろ自身を理解していない点で分が悪い。――しかし幸い、この場には俺たちしかいない」
え、途中で論旨が変わった?
「ええと、何が言いたいの?」
「もしそうなら、自己能力を知った上で隠せと言っているんだ」
「あー、そういうこと。あなたみたいに」
「そうだ」
確かに露見を恐れて腫れ物を扱うように放置するよりは、徹底的に調べて明らかにした上で伏せておく方が、不測の事態での選択肢も増えてくる。
「うふふ、ウィリアム様ってホントいい性格してるわよね」
「はは、彼のアイリス嬢に褒められるとは光栄だな」
はいはいと、皮肉には皮肉で返してくるのを適当にあしらって、次には真意を探るように彼をじっと見据えた。
「本当に黙っててくれるの?」
「ああ、君も俺の魔法を黙っていてくれるんだろう? お互い様だ」
「それもそっか」
シスコン一筋五十年は伊達な気がするニコルちゃんは聞くまでもない。
「とりあえずまずは君の能力の有無をきちんと確認してからだな」
「でも血を出すのは、やっぱり痛い……わよね?」
血を見ると貧血で倒れるようなか弱い質じゃないけど、さすがに自分で自分の血を出すのには躊躇しかない。怪我の痛みを思い出したら血の気だって引く。
「当然だろう。そこは我慢してもらうしかない」
「姉様の傷はぼくが責任を持って懇切丁寧に全癒致しますので、どうかご安心を!」
他人事だからってしれっと言い放つウィリアムと、論点の若干ズレてるニコルちゃん。
治癒云々じゃなく自傷自体に抵抗があるって話なんだけど……。
「まあいいわ。これも生きるための代償と思えば安い物よ。とにかくこれで決まりね」
「そうだな」
「ですね」
話が纏まったところで私は大きく深呼吸する。
「ところでウィリアム様」
「何だ?」
話題の深刻さから何となく切り出せなかった私は、意を決した。
「そろそろ下ろしてくれない?」
恥ずかしながらも会話の間、ずっと彼に抱きかかえられたままだった。
反応を待っていると、彼は聞き逃したのか……ってこの距離だし「何だ?」って応じたんだからそんなわけはないだろうけど、下ろしてくれる動きを見せない。
しかも返事をしておいて何でか女神像を眺めちゃった。
もしかしてまだ爆発しそうな兆候でもあるの?
「ねえ聞いてる? 下ろしてほしいんだけど」
「どうしてだ?」
仄かな緊張を伴って再度主張すれば、ようやくこっちに目を戻した彼は意味がわからないとでも言うような顔をした。
「いやいやどうしてじゃないでしょ。自分の足で立てるから別にもう抱っこは必要ないの。受け止めてくれたのは本当の本当に感謝してるわ」
「ならこのままでいいだろう?」
「良くない。だ、第一……重いでしょっ」
ああ……、言った……っ。
これだけは自分で言うまいと思ったけど、言った……っっ。
「問題ない。俺が君の重さも支えられない軟弱な男だと思うのか?」
「そうは思わないけど……ってああもうっ、普通に恥ずかしいのよ!」
「このまま一度部屋に戻って落ち着いて話を詰めよう。誤発動とそれが治まった原因の見当がついたから、それを元に考えれば、どうやら俺の心配は杞憂に終わりそうだしな」
「えっここを離れて平気なの……ってだからどうして下ろしてくれないの! 人の話聞けーっ!」
抗議も無駄でウィリアムはさくさく歩き出す。
「自分で歩けるってば」
「いいから大人しく部屋まで運ばれてくれ」
「ウィーリーアームッさっまっ!」
もうこうなったら強引には強引で返すしかないか。
本当のアイリスなら、ああん甘い連行だわ~なんて嬉しがるのかもしれないけど、私は抱っこを嫌がる猫のように身を捩って彼の腕から逃れると、着地早々にザブザブと噴水の水を掻き分けるようにして先に歩いて縁へと向かう。
全くもう、ニコルちゃんもいる前でホントこの男は無神経なんだから。
私はどうしてかカッカとする熱い頭でそう思いながら足を動かした。
でも膝丈であれ足元に水があると一歩進むのも難儀するわね。水を吸ったドレスの裾が重いからってのもあるけど。
「君は頑固だな」
「そっちこそ」
ザブザブと敢えて大きく水音を立てて足を動かす私は、私を追いかけて腕を掴んできたウィリアムの手をぞんざいに振り払う。
勢いを付け過ぎたのかその拍子にバランスを崩して水中に四肢を突いた。
あーもーウィリアムのせいっ。
怒りの余り何だか体が燃えるみたいに熱くて、気分まで悪くなってきたわ。
「あなたのこういう強引な所、少しは改めるべきだ…わ……」
彼の方を見もせずに文句を垂れてやったけど、あれれ? どうしたんだろう私?
急激な脱力感に見舞われた。
何だか風邪で寝込んだ時の疲労感ともよく似てる。
立ち上がるのさえ困難で、私はとうとう水面に倒れ込んだ。
「アイリス嬢!?」
「姉様!?」
うわー最悪……。
ぶくぶくと気泡になった呼気が頬を掠めて上がっていく。
早く体を起こさなきゃ。
でもどうしてか体に力が入らない。
このままじゃ息が出来ないじゃないの。
ぶくぶくぶくぶく……と肺の空気を吐き出して、沈んだまま気ばかりが焦る。
情けなくてみっともないって気持ちにもなったけど、それよりもめっちゃ苦しい……っ。
ホント冗談抜きで体が動かせない。
だ、誰か助けて…………。
――瞬間、水中から引き揚げられた。
「ね、姉様平気ですか!?」
「全く、だから大人しく運ばれておけば良いものを」
咳き込む私の霞む視界に見えるのは金髪だから、ウィリアムがまた抱き上げてくれてるみたい。
覗き込む銀色はニコルちゃんね。
二人の顔はよく見えないけど、ハッとした気配だけは感じ取った。
「……これはどういうことだ?」
「ねねね姉様急にどうされたのですか!? 凄い熱ですよ!」
額に当てられたのはたぶんニコルちゃんの手ね。
二人の驚きに動じたような声が届くけど、既に大半の思考が温いゼリーの中に混ざり合ったようにぐるぐるしていた私には、一体我が身に何が起きたのか自覚できない。
だけど、ええと、私熱があるの?
ああだから究極にだるい感じがしてるのね。
でも直前まで風邪引きの体調じゃなかったはずだけど。
そう考えて、とある重大事を思い出す。
まさか、――飴玉の魔法?
「これは、飴玉の魔法か?」
奇遇ね、ウィリアムも同じ事を思ったみたい。
まさかこっちまでこのタイミングで発動したの?
ああでもでも、私が魔法使いってのがホントなら今日二度も血の魔法を使った計算になるし、体内にも影響が生じたのかもしれないわ。
それで発熱って形で発動した、と。まぁ内臓を焼くよりはマシね。
「飴玉の魔法とは何なのですか?」
「詳しくは追って話す。一旦彼女を部屋まで運ぶぞ」
「え? ここでぼくが魔法で治療した方が早くないですか?」
「駄目だ、これは体内で働いている魔法な上に、現状だと下手に外部から魔法を与えるとかえって悪化するかもしれない」
「悪化?」
ニコルちゃんがハッとしたのか息を呑んだ。
「まさか想定外な姉様の血の性質のせいですか?」
「ああ。だから一先ずは安静にさせるのが最善だろう」
「わかりました。先に戻ってお部屋を整えておきます!」
頼もしく返事をしたニコルちゃんの芝を踏んで駆けていく足音が遠ざかる。
閉じかけた瞼の裏まで陽光が透ける中、
「全く君は……――たとえそうでなかったとしても、目が離せなくなりそうだ」
ウィリアムにまたお姫様抱きにされた私は、密やかな彼の台詞の善し悪しや意味を考える余裕もないままに、意識を手放した。




