29 アイリス・ローゼンバーグの秘密2
「どうして血が消えてるの……? ウィリアム様、あなた女神像を磨く魔法とか使った?」
「まさか。というか庭師でもないのにどうして俺があの像を磨くと思うんだ……」
「まあそうよね」
「……。ただ、魔法そのものは使った。爆発を抑え込む結界というか魔法障壁を張ったんだ。必要はなくなったから無駄に魔力を消費しただけだったけどな」
「え、魔法の障壁? 気付かなかった」
ドーム状の膜みたいなものを勝手にイメージして見上げたけど何もない。
「目には見えないから、張っていても気付かないのは無理もない」
「ああそうなんだ。ところで、大爆発を怪我もなく本気で止められるって思ってたの?」
「どういう意味だ?」
「ぶっちゃけね、私とニコルちゃんを逃がそうとしてくれたのは、あなたが漢気を出してカッコ付けたんだって思ったんだけど、違うの? だからこっちだって気が気じゃなかったって言うか、何て無謀なのって腹が立ったわけよ。私のことなのにあなたが犠牲になるのはおかしいでしょって。逃げなかったのはそれが理由」
「アイリス嬢、言っておくと、俺は実行できないことは口にしない」
彼はどこか心外そうに片眉をちょっと吊り上げたものの、それ以上の文句の言葉は呑み込んだようだった。
「まだ油断はできないからいつでもまた結界を張れるようにもしている。だから安心していい」
「あっもしかして、だからニコルちゃんに治癒を任せたのね。魔力温存のために」
「まあな。俺が力及ばず皆で怪我をして治癒魔法の効かない状態になっては取り返しがつかないだろう?」
「えっ治癒ができない怪我もあるの?」
「当然ある。一瞬で身体の多くを欠損したり、即死の場合は既に死んでいるから当たり前だし、あとは普通に老衰とかも魔法を使ったところで無意味だな。精々最後のいまわの際にハキハキ喋れるようになるくらいか。治癒魔法と言っても奇跡の万能薬とは違うんだ」
「な、なるほど……」
実はちょこっとだけ治癒魔法があるなら安心~って思ってたから、気を引き締めて掛からないと大変な事になるわね。用心用心。
ここで黙って私たちの会話に耳を傾けていたニコルちゃんが、可愛らしく小首を傾げた。
「どうして爆発が止まり、姉様の血までが消えてしまわれたのでしょう? 見た所人の血を好んで吸収すると言った魔の彫像ではなさそうですし……」
えっ何それ!? そんな怖い吸血彫像があったりするのこの世界!?
だけど今は場の雰囲気的に何となくそこまで脱線した質問はできない。誰も答えを持ち合わせていないせいでしばし沈黙が流れたけど、ややあってとりわけ険しい面持ちで考え込んだようにしていたウィリアムが、難しい顔付きを崩さずに口を開く。
「血の消失と爆発魔法の中断の間には因果関係があるのかもしれない。いや、そう考えるのがむしろ自然だ」
「どうしてそう思うの?」
「俺の見間違いじゃなければ、あの時爆発するだろう直前で、女神の腕の先に赤黒い色とは別の輝きが見えた」
「別の光……?」
「白っぽい光だったな」
ん? 光ったって言えばそうよ、導火線を握り込んだ掌の中も光ったような気がしたんだったわ。
「ねえあの、実はさっき――――……」
何か参考になればとそのことを告げれば、ウィリアムもニコルちゃんもどこか驚いたように私を見つめた。
「どうしたの二人共?」
珍しく絶句に近い様相を呈していたウィリアムが、声に幾分の困惑を滲ませる。
「君は魔法を使えないとばかり……」
「使えないわよ」
「姉様にも実は魔法的な潜在能力があったのですね」
「ニコルちゃんまで。私は普通人だってば」
偽りなく否定してみても、二人には一向に信じる様子がない。何で?
「別に気張った所で物を浮かせたり治癒したりなんてできないわよ私」
試しに「んーっ」と力んで沈んだままの鉄球に両手を向けてみたけど、何も起きなくて虚しくなった。
真面目に考え込む二人はツッコミすらくれず、羞恥心と言うよりむしろ一人白けた気分で明後日の方を見やっていると、ウィリアムが「十中八九」と一応は推測の言葉を前置いた。
「君の血が女神像の魔法を阻止したんだろう」
「血?」
まるで意味不明なウィリアムの台詞に、私は本心からこの人大丈夫かしらなんて大変に失礼極まる疑念をぶつける。
「強制的に魔法を停止させたと言った方が適当かもな。導火線の発火魔法にしても、君は火傷を負ったから必然的に血と魔法が触れ合った。君の話から察するに、その時も火が消えろとか魔法が止まれと念じていたんじゃないか?」
「それはその通りだったけど、心得もない素人がまさか思うだけで? あははあなたじゃあるまいし魔法ってそんなお手軽なの? そんなわけないわよね~」
「時として魔法は才能に左右されるから必ずしも経験は必要ない。加えて、血は一つの重要な魔法具だ」
ああ、そんな風なファンタジーを読んだことがあるわね。自分で指先を切ったり噛んだりして血を出してそれで魔法陣を描いたり、何か魔法的な物に付けたり入れたりするんだったかしら。
うわーすっごく痛そうなことするわー私だったら絶対やらないって思ったっけ。
でもそこまでする価値があるくらい魔法にとって血は無視できない代物なのか。
「ただし勘違いしないで欲しい。全ての人間の血がってわけじゃない。きっと君のは特別なものだ。おそらくは念じた際に噴水の水にも溶け込んでいたせいで、その水と接していた女神像は変に誤発動を来したんだろう」
「えっあははいやいやいや飛躍し過ぎじゃない? 私の血が特別って、一体どんな空想小説よ。勇者よその血の力で魔王を倒し世界を救え~とでも言うの?」
ああ、悪役令嬢なら世界を支配しろ~かも。
「アイリス嬢、真面目に言っているんだ」
「ぼくもビル兄様に同感です」
ニコルちゃんまで!
「だったら今の今までバレてないなんておかしいじゃない。血が魔法具同然なら魔力感知されて然るべきでしょ」
まだ読み途中だけど、日記には自身で魔法を使ったような記述は一度も出てこなかった。
「普段、君の血そのものの魔力は遮断カプセルに入れられたような、感知されない潜在的な領域にあるんじゃないか? 通常の感情下では何も起きず、例えば今回のように死に瀕するとか、切羽詰まった際に強烈な意思を持って魔法的方向性を与えることで、無から有へと反転するように初めて魔力が顕在化するのかもしれない」
「ふむふむ、それは可能性としては大きいですね」
ウィリアムの見解に、研究員な顔と声でニコルちゃんが大きく頷く。
「カプセルって……私の血って実は医薬品なの?」
ニコルちゃんと違ってチンプンカンプンな私へと、ウィリアムは不憫そうな目を向けてきた。失礼しちゃうわね。魔法の知識なんてないんだしわからないのは当然でしょ。
露骨にムカついていると、彼は一つ嘆息した。
「とは言え、血そのものに宿る魔力は未だ解明されていないことが多いからな。まだハッキリとそう断言はできない」
「あらそうなの? じゃあ他の可能性だってあるのよね」
「そうだな」
「そうよね、うんうん、他の理由があるのよきっと!」
ウィリアムが怪訝に眉をひそめる。
「君はその方が都合がいいのか?」
「そんなの当然でしょ!」
でないとまずいじゃない。
だって私アイリス・ローゼンバーグは当分魔法と関わっちゃいけないんだもの!




