河童の消えた村 その8
子供たちと遊べるくらい元気になった河童はある日忽然と姿を消した。子供たちは村中を探し回ったが、見つからなかった。広鷹は騒ぐかと村人から思われていたが、不思議と静かにしていた。
広鷹の周辺が再び日常が戻ってきた頃からこの村では豊作が続くようになった。ある人は河童を助けたご利益ではないかと言った。みんな不思議とそれを信じた。以後、この村では河童と農業を関連付けた祭りが行われ、河童を助けた広鷹はますます尊敬されるようになった。
「とまぁこういう話さ。」
仰木さんは楽しげな笑みを浮かべて本を閉じた。
「これっていつ頃の本なんですか?」
「確か平安時代だったかな。」
「そんなに古いのですか。」
僕は驚いた。そんなに古い時代の記録が残っているものなのかと。
「この辺はあまり災害にも遭わないから古い記録が結構残っているんだよ。」
「面白いですね。」
「そう!おもしろい!昔の人の考えが垣間見えてわくわくするよ。」
仰木さんが子供が好きなものを手にした時のように楽しげな顔をしていた。大人になっても興奮することがあるなんてすごいな。熱中することを見いだせない人もいるだろうにすごい。僕にもそういうのが見つかるだろうか。
「他の本も見してください。」
「おっ!はまったね。」
「なんか面白いなぁと思えるのです。」
「じゃあ、次も子供と河童の話を紹介しよう。」
そう言って仰木さんは別の本を手に取り開いて僕に見してくれた。
江戸時代の平和な日々をこの村は享受していた。戦争のない社会となっていたので農民は農作業の傍ら副業をしたり、娯楽的な活動もしていた。各地の村々でそれぞれの文化を育んでいた。この村では河童を崇拝している。農作物の豊作を願ってやる行事にも河童は関わっている。その一つ子供たちによる相撲大会がある。最初に河童と相撲をとってるかのような動きをする儀式をやり、その後、村の子供たちで相撲の大会を行う。この大会で優勝するのは名誉なことであった。
そんな相撲大会が行われる数日前。村の子供たちの何人かが、集まって練習していた。練習と言ってもひたすら練習試合をするだけであった。あまり技術的なことに関しては突き詰めていなかったのである。その日も子供たちは楽しげに相撲に興じていた。村の子供一の力自慢の男の子である東介が圧倒的な力を見せつけていた。
「はっはっは!俺の相手になる奴はいねぇな。」
「東介はこの村一の相撲をとるもんな。」
東介が自画自賛しているのを腰巾着の佐之助がおだてる。東介はガキ大将である。この村の男児は相撲の強さで序列化されている。佐之助はさほど相撲に強くないのでガキ大将の東介に媚を売って自分の立場を固めていた。
時間の許す限り相撲をとっていた子供たちは日が沈みかけてきたので帰ろうとした。
「東介、そろそろ帰ろうぜ。」
村一のイケメンの新八が言った。東介に物が言える数少ない子供の一人である。一応、この村の子供の中ではNo.2である。女子人気は東介よりも新八の方が高かった。東介は新八に嫉妬するのかと思いきやそういう奴だからと一目置いていた。むしろ、東介の腰巾着である佐之助の方が、新八に対して嫉妬めいた感情を持っている。
新八の言葉に東介は頷いた。
「そうだな。あんまり遅いと母ちゃんに怒られるからな。」
「はっはっは!そうだね。うちの母ちゃんも怒ると怖いからな。早く帰ろう。」
他の子供たちも頷き解散することになった。
ところで、村の子供たちが相撲の練習していたのは河川敷だった。澄んでいる川の水を横目にみんな相撲に取り組んでいた。祭りの時期は専ら相撲の特訓をしている子供たちであるが、それ以外の時期はここの川で釣りをしたりする。
さて、子供たちが帰ろうとした時のこと、川の水面が揺れた。
「魚かな?」
川の側にいた子供の一人が気づきみんなの方を振り替えって言った。他の子供たちはみんな口々に魚だろと言った。そこで東介が生来の威勢の良さを見せた。
「よっしゃ、ちょっと捕まえてみよう。」
そう言うと東介は川に静かに入った。魚を驚かせないためだ!慎重に近づくと川の水は澄んでいるので緑色の物体がはっきりと目に入った。そのサイズも大きく新八くらいはありそうだ。つまり平均的な子供のサイズであった。流石の東介でもその不気味さに怖気づき、川から上がった。
「東介、魚いたか?」
急に川から上がって来て、恐ろしいものを見たかのような顔をしていたので、新八が心配して声をかけてきた。いつもの東介の顔ではなかったのだ。
「なんか緑色の…、そうだ!河童だ!河童がいた!」
「何だって!」
新八は驚いた。他の子供たちもびっくりしていた。中には腰を抜かしているのがいた。それは佐之助であった。この村には河童に関する伝承が多い。子供たちは両親や祖父母からよく話を聞いていた。話は聞いていたが実際には見たことがなかった。信じきっている子もいれば、どうせ迷信だろうと言う子もいた。ちなみに東介は普段は迷信だろうと言っていたが、内心は本当にいるんじゃないかと不気味に思っていた。
一同信じていた人も、信じてない人も唾を飲み込んだ。
静まり返った川原は静寂の世界、ただ小鳥と魚の音だけが聞こえた。河童よりも瑞々しい緑色の葉から木漏れ日が漏れている。そこの川に初めて見た実物に子供たちは静かに驚いている。
「キー。」
河童は川から上り、子供たちの方へとやって来た。みんな後退りをした。河童は子供たちが怯えているのに気づいていないのか子供たちが後退りした分近づいていた。
「キー。」
河童は何か身振り手振りで何かを伝えようとしているようだった。それに新八は気づいた。
「もしかして相撲がしたいのか?」
新八がそう言うと河童は頷いた。
「そうか。なあ、東介。」
「な、なんだよ新八。」
まだ、東介は河童に怯えていた。普段は強気のくせにこういうのには弱いのであった。
「もう少し相撲をやらないか?河童を交えて。」
新八のクールな物言いに子供たちは恐怖を忘れてざわざわと隣同士相談を始めた。しばらくすると話がまとまり相撲を河童ととることに決定した。しかし、日が沈み始めていたので少し記念にやるような感じですることにした。
子供たちと河童で行われた相撲は河童が優勢だった。やはり村で崇拝されている河童である。並の子供では相手にならないそこで出てきたのは東介だった。
「おい、河童!次は俺と勝負だ!」
「キー!」
受けて立つということ言いたいたのだろう。威勢よく河童は土俵に上がった。東介も気合いの入った顔で土俵に入った。
「はっけよーい。」
行司役は新八であった。
「のこった!」
新八の掛け声と共に河童と東介は相撲をとった。東介は力づくで河童を吊り上げて土俵の外へと出そうとした。しかし、河童は粘り踏ん張った。
「いいぞ、いけいけ!」
河童と東介の真剣勝負に周りの子供たちは興奮気味に両者を応援していた。互いに力づくで土俵から相手を出そうとするので拮抗してしまい膠着状態に入った。東介も河童も相手の動きの様子を探るため動きが止まった。しばしの膠着状態の後、仕掛けたのは東介だった。河童のふんどしを何とか掴もうとした。しかし、河童は一瞬の崩れを見逃さなかった。一気に土俵際へと東介を押し出した。一度、捕まってしまった東介は成す術もなく外に押し出されてしまった。
結局、子供たちと河童の相撲勝負は河童の圧勝で終わった。子供たちと河童は相撲をとることにすっかり夢中になっていたので、気づいたら月の光が辺りを照らしていた。みんな慌てて家へと帰りだした。新八と東介も早く帰ろうと思い、河童に別れを告げた。
「今日は楽しかったありがとう。」
「キー。」
新八の挨拶を理解したのか、河童は笑いながらぽんぽんと新八の肩を叩いた。子供だから出来たのか、子供たちと河童は通じ会うことができた。大人だと必ずしもこう上手く交流は出来なかっただろう。大人だと恐れおののいて相撲をするなんてあり得なかっただろう。新八は純粋に楽しく誇らしくもあった。他の子供たちよりも精神的に育っている新八ならではの感覚である。
「次は負けねえからな。」
「キー。」
東介の言葉に河童は大きく頷いた。力比べでは負けたことのない東介にとって大人以外の初めてのライバルである。同等に話せるのも同世代では新八位なので気軽に話せた。これも河童を崇拝する大人たちでは無理な関係だろう。初めこそはびびってた東介だが、今ではすっかり友人となっていた。子供らしいと言えば子供らしい。
みんなが続々と帰っていく中、新八と東介も連れ立って帰っていった。満天の星空の下で。
ちなみに子供たちは帰宅後親にこっぴどく叱られた。子供たちは河童と相撲していたと弁明したが、信じてもらえなかったそうだ。
「本当の話なんですかね?」
「うーん、どうだろ。私は信じたいけどね。」
「何故ですか?」
正直迷信だとしか思えない僕はその疑問を仰木さんにぶつけてみた。
「なんというかその方が面白いからね。」
「面白いですか。」
確かにその方が夢があっていいかもしれない。仰木さんの物言いから察するにこういうことは本当にあるのかないのかは大した問題ではないのかもしれない。まぁ、学術や政治的には厳密に考えた方がいいかもしれないが。
「なんか仰木さんの物言いは研究者らしくないですね。」
「はは、そうだね。大学時代の恩師なんかにはよく言われたよ。ロマンチストだなって。」
「その先生の言う通りですね。河童が実在するとした方が面白いなんて。」
「だけどそういう性分でね。」
そう言うと仰木さんははにかんだ。屈託のない優しいほほ笑みだった。
その後も何冊か本を見せて貰い夕方まで続いた。
「今日はありがとうございました。」
「いやいや。私も楽しかったよ。自由研究の参考になったかい?」
「そりゃもう。」
「ならよかった。中々こういう話に興味を持ってくれる人は少ないからね。」
「きっかけがないと中々むずかしいかもしれませんね。」
「だよね。」
仰木さんは苦笑いしていた。悩みのたねでもあるように僕には感じられた。
「では、失礼します。さよなら。」
「さよなら。」
僕は家路に着いた。