河童の消えた村 その7
アリの数を数えながら小平太が戻ってくるのを待っていると屋敷から小平太が出てきた。真顔で出てきたのでまさか断られるのかと彼女は思った。しかし、それは杞憂だった。
「広鷹様が中でお待ちです。」
小平太に案内され彼女は中に入っていった。彼女は居間へと案内された。入ると藤原広鷹が胡座をかいて座っていた。
「よく来たね。」
「はい、失礼します。」
「まぁ、そこに座りなさい。」
娘は広鷹の指示に従い広鷹の向かい側に腰を下ろした。広鷹は涼しげな顔で座っていた。来たばかりの頃は何か悩みがあるかのように難しい顔をしていたが、村の子供たちと触れ合っているうちに次第に柔らかい物腰の優しい人へと変わっていった。いや、おそらく元々そういう人だっのだろう。そんな穏やかな広鷹を都の出世競争が変えてしまっていたのだろう。
「それで緑色の生き物というのはどんな感じだったか?」
娘は広鷹に緑色の生き物が様子を話した。その話を聞いている間広鷹は興味深そうに今にも身を乗り出しそうにしていた。相変わらず好奇心旺盛な人である。
「そうか。ちょっと待ってろ。」
思案した後、広鷹は席をはずした。そのままどこかへ行ってしまった。一人ポツンと残った彼女は広鷹が行った方を暫し見つめた。一つ深呼吸した彼女は足を伸ばした。優しく気さくな広鷹とはいえ貴族の人と話すのは緊張するのである。両親はあまり広鷹と遊ぶことにはいい顔をしない。貴族相手に粗相をして何か問題が起きたら大変であるからだ。だからか村の子供たちは広鷹の家に遊びに行くときは山に行くと嘘をついて行く。それに対して大人たちは広鷹の家に遊びに行くと分かってもなにも言わない。暗黙の了解があるのだ。
広鷹が席を外して暫く経った時、小平太がやって来た。
「娘っ子、広鷹様はどちらへ行った?」
「待ってろと言ってどこかへ行ってしまいました。」
「広鷹様の琴線に触れたようだな。」
「広鷹様は好奇心旺盛な方ですからね。」
「そうなのだ。まったく、都にいた時はもっと気難しいが、藤原家一門の中でも優秀で将来を有望視されていたのだがな。」
「今の広鷹様では想像出来ませんね。」
「まったくだ。そうだこの茶でも飲め。品質のいいお茶っぱを手に入れたんだ。他のものには内緒だぞ。」
悪戯っぽく小平太は彼女に言った。
小平太のこの話に彼女は何だか大人の会話をしている気分になった。絶対正義ではないこのやり取りに彼女は味を感じるのである。
「わかりました。口外しません。」
「約束だぞ。」
そう言うと小平太は自分の分のお茶を飲み始めた。彼女もちびちび飲んだ。少し苦味が強いが、それがまた美味しい味わい深いお茶であった。雑談を小平太としながら広鷹が戻ってくるのを待っていた。そして、ようやく広鷹が戻ってきた。そして、彼女の前にまた胡座をかいて座った。
「どちらに行かれていたんですか?」
「ちょっと書庫にな。閉まってある箱をすべてをひっくり返してようやく見つけたんだ。」
「あの緑色の生き物の正体をですか?」
「そうだ。」
そう言うと広鷹は一冊の本を彼女に見せた。かなり昔の本のようで、かなりぼろぼろであった。
『古今著聞集』。それがこの本のタイトルであった。この娘は字が読めないので広鷹に本のタイトルを聞いた。しかし、教えてもらったものの意味はよくわからなかった。まぁ、要するに今に至るまでに語り継がれている様々な話を集めた本ということだ。特に怪奇物を多く載せている。
「これにあの緑色の生き物のことが載っているのですか?」
「ああ。この話に君が言った特徴と見事に重なる妖怪がいる。」
広鷹は本をパラパラめくりお目当ての頁に達するとその頁を彼女に見せた。そこには河童と書かれていた。挿し絵も描いてあった。その絵は確かに彼女が見た緑色の生き物に瓜二つであった。
「こいつです!」
「だろう。それに河辺にいたんだよな?」
「はい、そうです。」
「そうかそうか。」
広鷹はひどく嬉しそうにしていた。自力で問題を解いた子供のようなはしゃぎっぷりであった。
「よし、君、現場へ案内してくれないか?」
「あそこに戻るのですか?」
「そうだ。是非とも現物が見たい。なあに、今度は私がついて行くから怖がる心配はない。さあ、行くぞ!」
もう決定事項かのように広鷹は立ち上りどこかへと準備しに行ってしまった。これはもう観念するしかないなとこの娘は思った。また、見るのは怖いがというよりも不気味であるが、まぁ、広鷹が一緒に行ってくれるなら心強い。ここは広鷹と一緒に河童とやらを見に行くしかないだろう。
小平太からもらったお茶を啜りながらまた、広鷹に待たせられた。しばらくして戻ってきた広鷹と娘っ子は連れ立って屋敷から出ていき、彼女が河童を目撃した場所へと向かった。屋敷を出るとき広鷹は門番と小平太にしっかり留守番するように指示を出していた。二人は真面目な顔で了解していた。娘っ子はそんな二人を見ていると大人は大変だと子供心に思った。
元来た道を彼女は広鷹と戻りながら河童について色々と広鷹に聞いていた。話を聞く限り河童はそれほど怖くなく、知性もあり、人間に対して友好的な河童もいるそうだ。少し河童への恐怖を和らげつつ、目的地に到着した。
「この辺で見つけたんです。」
「うーむ。」
彼女に場所を言われると広鷹は熱心に周囲を探索し出した。もう、逃げているのではと娘っ子は思っていたが、あえてそれは言わなかった。広鷹が弁論を始めるからである。広鷹は納得のいかないことがあると延々と理論的考察し始めるのである。彼女も長時間付き合わされたことがある。
「ん!?あれか!」
「ああそうです。あれです。」
広鷹は河童を見つけた。すごく興奮している。知識の従者である広鷹はその好奇心のままに河童の側へと行った。河童はぐったりしていた。
「元気がないようだな。」
「そうですね。」
広鷹の後ろに駆け足でやって来た彼女も河童を見ながら言った。
「かなり衰弱しているように思えるな。」
「死んでしまいますか?」
「はっきりしたことは言えないが、この感じから可能性がある。大丈夫か?」
広鷹は声をかけてみた。荒い呼吸を河童はしていた。これは随分弱っているようだった。横になりながら目を河童は瞑っていた。
「取り合えず、うちへ運ぶぞ。」
そう言うと広鷹は河童を背負い屋敷まで彼女と運んでいった。広鷹の屋敷に到着すると入り口を守る門番がびっくりしていた。
「広鷹様。それはいったい。」
「ああ、これは河童という妖怪だ。」
「よ、妖怪!」
門番は腰を抜かしズドンと地面に尻餅をついた。これを見たら誰だってびびるよなと第一発見者の彼女は思った。
「そう怯えるな。こちらから危害を加えなければ何もされんよ。」
「で、ですが!」
「心配するな。お前はこのまま門番の役割を遂行していろ。」
「わかりました。」
得たいの知れない物への恐怖を滲みさせながら門番は立ち上り再び門の守護を始めた。
広鷹と娘っ子は屋敷に入り、居間へと河童を運んだ。そして、小平太を呼び、居間に蒲団を引かせて河童をそこに横にさせた。その間、門番と同じく小平太もびくびくしていた。
河童を寝かせてから広鷹は女中にキュウリを持って来させた。
「何故にキュウリですか?」
娘っ子は広鷹に素直な質問をした。
「書物に書いてあることが本当なら河童はキュウリが好物らしいからだ。」
「意外な組み合わせですね。」
「そうだな。あまり接点とか無さそうだし。」
「ところで元気になると良いですね。」
「ああ、元気になったら色々調べたいからな。」
そう言う広鷹の目は好きなものを前にした子供のようなはしゃぎっぷりのきらきらしていた。本当に貴族なのかと思うくらいの威厳のなさである。でも、そこが広鷹が子供たちに好かれる理由であろう。
「キー。」
河童がうっすらと目を開けた。娘っ子はホッとした。このまま目覚めなければ死んでしまうのかなと思っていたからである。彼女が広鷹の方を見ると彼もまたホッとした顔をしていた。
「キー。」
目覚めた河童は不安そうに顔だけ起こし、周囲をキョロキョロと見ていた。そして、女の子と広鷹に気づくと狼狽した驚いた顔をした。表情から広鷹らは思った。それはどうやら当たっていたようで、起き上がれない体を引き摺りながら逃げようとしていた。
「大丈夫だよ。」
勇気を出してこの娘は努めて優しい顔で河童を諭した。
「怖がらなくても大丈夫だよ。ただ、あなたを助けたいだけなのよ。」
「キー。」
人間の言葉を解したのか河童はまだ少し不安そうであるが、おずおずと蒲団に戻ってきた。
「そうだそうだこれをやろう。」
広鷹が何か思い出したようにキュウリを河童に差し出した。立派なキュウリを見て河童の目は輝いた。どうやら本当にキュウリが好物のようであった。
「キー。」
すごく食いたそうな顔をしているので、広鷹と娘は顔を見合わせて微笑んだ。何だか愉快な気持ちになったのである。河童のことを最初は不気味に思っていた娘であるが、今になれば可愛く思えたりしている。広鷹は河童にキュウリを渡した。河童は旨そうにキュウリを食べていった。娘は自分もキュウリが食べたくなった。
「藤原様。」
「広鷹と読んでくれ。」
「はい。広鷹様。」
「なんだ?」
「私にもキュウリをくださいな。」
「しゃあねえな。ほれ。」
娘は広鷹からキュウリを貰い旨そうに頬張った。
「瑞々しくて美味しい。」
「それは良かった。」
彼女と河童がキュウリを食べているのを広鷹は和やかに見つめていた。二人が食べ終えると広鷹は薬を出した。お茶は飲めるかわからないので水を小平太に持って来させた。
河童は広鷹から渡された薬を飲もうか少し逡巡した後、意を決したのか一思いに薬を飲んだ。水で流し込んだが、苦かったらしく渋い顔をした。
その後、数日河童は広鷹の屋敷で養生した。河童を最初に見つけた娘っ子は毎日のように広鷹の屋敷に通い河童のお見舞いに来ていた。というよりも遊んでいたと言った方が正しいだろう。すっかり河童と仲良しになっていた。他の子供たちも河童ってなんだと興味本意で見に来ていた。