河童の消えた村 その6
その日のうちに橋本先生から連絡が来た。向こうの都合で3日後に民俗史料館へと行くことになった。それまでは学校の友達とプールに遊びに行ったりして過ごした。宿題もほとんど終わっているのでのんびりとした日々を過ごせている。読書感想文は村の小さな図書館から昔の純文学の本を借りてきて読んでいる。結構、面白かったりする。普段はあまり本は読まないが嵌まってしまいそうだ。何だかんだ過ごしていると約束の日となった。
昼食を家で食べ終えると僕は家を出て民俗史料館へと向かった。相も変わらず外は暑い。まだまだ8月でとにかく蒸し暑いのである。蝉の鳴き声が耳に響く。民俗史料館は家からしばらく山の方へと登った所にある。急な坂を登るのでこの暑さも相まってきつい。一応家から冷やした飲み物が入っているペットボトルを持って来たが、もうぬるくなり始めている。時折飲みながら僕は坂を登っていった。しばらく登っていると斜面が切り開かれ平面が広がっているところに着いた。前を見ると駐車場が見えた。たぶん到着だ。さらに奥へと行くとお目当ての民俗史料館があった。ここに来るのは始めてだった。学校でも行くことはないし、個人でも特別歴史が好きというわけではないので来ることはなかった。今回の自由研究がなければ一生縁のない場所だっただろう。
民俗史料館の受け付けに行くと一人男性職員がいた。ちょっと緊張気味に声をかけた。
「す、すみません。」
噛んでしまった。恥ずかしい気持ちに耐えていると男の人がこちらを見た。そして、立ち上り僕の方へと来た。
「橋本先生の紹介で来ました。」
「ああ君かぁ。話は橋本先生から聞いてるよ。私の名前は仰木だ。」
「はい!仰木さん!今日はよろしくお願いします!」
「よろしく。じゃあ、付いてきて。」
そう言うと仰木さんは事務室から出てきて僕を先導して奥へと行き始めた。僕も遅れないように仰木さんの後ろに付いていった。関係者以外立ち入り禁止を書いてある板の横を通り、いくつかの扉を開けて建物の奥へと入って行くと史料保管室という部屋の前に来た。
「この中にあるんですか?」
「そうだよ。この部屋の中に君に見せたい史料があるんだよ。」
「どういう史料を見せてくれるのですか?」
「本かな。」
「本ですか?」
「昔の河童について記載されている所をだよ。」
「記録ってあるもんですね。」
僕は何だか感心することを覚えた。それだけ河童文化というのはこの地域に根差しているのだろう。河童の逸話の豊富さがそれを証明している。まさか学校にも河童が出没しているとは思わなかったが、この町の人々の河童への親しみや畏敬の念を思えば当然なのかもしれない。祖母の代でもそういう話があるのだ。他の町のことはよく知らないが、たぶんこれほど河童についての話が伝わっているのはこの村ぐらいじゃなかろうか。しっかり伝わっていることにすごさというのを感じるのだ。だから感心するのである。
「この村の地主の家に大量に保管されていたんだよ。その地主の家は代々村の記録を残す習慣があってね。だから、周辺の他の村より昔のことが分かっているんだ。」
「すごいなぁ。」
民俗史料館で史料を見せてもらうにあたって少し日本の古記録について調べてみていた。日本の古代の記録は散佚が多い。例えば風土記なんかがそうである。作るには作るが保存するという意識が薄かったのだろうか。
「じゃあ、入ろうか。」
「失礼します。」
仰木さんの後ろから付いていき、多少の緊張感を持って僕は史料保管室に入った。史料保管室の中は何もなくただ大きめの机かあるくらいだった。
「ちょっと待っててね。」
「はい。」
仰木さんはさらに奥の扉から中へと入って行った。しばらく待っていると仰木さんが何冊かの本を持って出てきた。見るからに古くて貴重な史料なのだろうということがわかる。僕はドキドキしていた。やべえ、破ってしまったらどうしようとか考えていた。それは杞憂だった。仰木さんが本を開いて書いてあることを教えてくれたのだ。
まず、一番古い平安時代の古書から河童についての話を抜粋してくれた。
当時のこの村は貧しかったという。雨があまり降らず凶作が多かった。農作物に大規模に病気が流行りたくさんの餓死者を出したこともあった。そんなんだから地域の領主からは見放されつらく苦しい日々を送っていた。
今日も村人は暗鬱な顔をして成果の上がらない農作業に精を出していた。三途の川で石を積んでいるような気分であった。ある日のこと一人の少女が川にいた。彼女は両親と三人暮らしをしていた。兄妹はいたが、みんな栄養失調で餓死していった。彼女が何故川にいるのか。釣りしに来たわけではない。魚を釣るには水面が低すぎる。ただ食えそうな草をこっそり探しに来たのである。他の村人に見つかると怒られるのでこっそり来ていた。さて、食えそうな草を探してみたもののめぼしい物はすでに持って行かれていた。残念だなぁと思いながら帰ろうと思った時である。ふと、川上の方を見ると緑色の物体が見えた。最初は植物かと思ったが、何だか生々しくすべすべしてそうな見た目だった。怖いという思いも彼女にはあったが、それよりも好奇心が勝った。その緑色の物体に近づくと、
「キー。」
と覇気のない声で鳴いていた。これで生物だということがわかった。もっと近づくとそれは見たことのない生物だった。
「キャー!」
彼女は叫び声をあげて逃げて行った。そのまま、村一番の物知りな藤原広鷹の家に行った。彼は元々都にいたが出世競争に破れ世捨人同然でこの村へとやって来た。都にいるライバルたちはあの村ではなにも出来ないだろうと最早その名を口にすることはなくなっていた。広鷹は昔から読書好きで都にいた頃は暇を見つけては本を読み漁っていた。読書に夢中になりすぎて徹夜で読んでいたこともあった。そんな彼だから知識量は膨大であった。大陸の国の歴史にも詳しかった。彼ならあの物体の正体を知っているだろうと彼女は思い村の外れにある広鷹の屋敷へと向かったのである。広鷹は村人とよく交流し、子供たちの遊び相手になったりしているので、彼女が追い返されることはないだろう。
広鷹の屋敷に着くと門番がいた。
「こんにちは。」
広鷹の屋敷の門番とは顔見知りなのでちょっと丁寧に挨拶すれば問題なく入れてくれる。あごひげがふさふさと伸ばしている。威厳が欲しいらしい。彼女にはだらしない人にしか見えないが。
「こんにちは。」
門番のおじさんは挨拶を返してくれた。人がいいのだろう。いつもニコニコと広鷹の屋敷に出入りする子供たちを見守っている。たまに子供たちの遊びに加わることもある。鬼ごっこした時は楽しかった。
彼女は門番に広鷹はいないか聞いてみることにした。屋敷に来て最初に出くわした人だからのもあるが、門番の彼なら人の出入りを把握しているだろうと思ったからである。
「藤原広鷹様はいますか?」
「広鷹様なら今は部屋で読書なすっていると思うぞ。」
「取り次ぎをお願いしてもいいですか?」
「それは構わんが。何の用だ?」
「川で緑色の生き物を見つけたので見てもらおうと思って。」
「わかった。そういう話を広鷹様は好むからきっと聞いてくれるぞ。」
そう言うと門番は大声で使用人の一人を呼んだ。すると、中から小柄な中年と思われる男が出てきた。覇気がなく今にも消え入りそうな空気を漂わせている。よく、都にいた人の屋敷で働けるなと思ってしまった。失礼だがそれだけこの小男には都の空気は感じられなかった。まぁ、広鷹は寛大な方なので能力で採用されたのだろう。もしくはつてがあったのか。どちらにせよ広鷹が採用したのだからそれなりの人なのだろう。
「へい。」
如何にも小者感を出しながらその小男はやって来た。なんというか偉い人、強い人に媚び諂うことをしてそうな人物に見えた。
「小平太、この娘っ子が広鷹様に話があるそうたまから取り次ぎをしてくれ。」
「分かりやした。して要件は?」
「川で緑色の見たことのない生き物がいるので広鷹様が何か知らないかと思いまして。」
「そうかわかった。ちょっと持っててくれ。」
「はい。」
彼女が返事すると小平太は屋敷の中へと消えていった。
しばらく門番と小平太が出てくるのを待っていた。彼女は門番の横にしゃがみ落ちていた木の枝で地面に絵を描いていた。何を描いているかと言うと藤原広鷹に聞こうとしていた緑色の生き物の絵である。中々の力作だと彼女は我ながらそう思った。それを門番に見せると門番は気味の悪い物でも見たように渋面した。
「これが広鷹様に聞こうとしている生き物か。」
「知ってますか?」
「いや、こんな生き物は見たことないな。ここら辺に生息している生き物ではないかもな。」
「やっぱり、そうですよね。」
門番も一緒にしゃがんで彼女が描いた緑色の生き物について考えたが、この村の生き物ではないのではないか、たぶんどこからか迷いこんで来たのだろうという結論に至った。
「しっかし、聞いたことも見たこともない生き物がこの辺にまだいるとはなぁ。いやあ長生きするもんだ。」
「門番さんはそんなに歳をとっているのですか?」
彼女には意外に思えた。まだ青年という感じなのにと思っていた。
「はっはっはっ。」
門番は笑いだした。彼女の物言いが面白かったのである。
「適当なことを言っただけさ。俺はまだまだ若いぞ。」
「そうですよね。びっくりした。」
「素直で単純だなあ。」
「あっ、馬鹿にしてます?」
「よくわかったな。」
「それくらいわかります。」
快闊に笑う門番に対して頬を膨らますこの娘は軽く睨んだ。子供扱いされている。それを理解すると彼女は不満の念を抱いた。子供扱いが嫌な年頃なのである。その後は他愛な会話をし、まぁ、特筆すべき情報は得られなかった。
「そろそろ遊びは終わりだ。」
そう言うと門番は立ち上り再び門番の職務へと戻っていった。そして、彼女は小平太が戻ってくるのを待った。