河童の消えた村 その5
「もしかして、河童じゃねえか?」
子分の一人が言った。
佐助はそういえばよく河童がいるとか両親が話していたな。それにこの歯形、かじられ方は河童っぽい。まぁ、見たことはないが。河童はキュウリが好きだと言うしその可能性が頭から離れない。
「そうかもしれん。」
佐助はこの子分の意見を傾聴した。
「としたら河童はこの辺を彷徨いているのか?」
「うちの母ちゃんとかが河童は時には巣からここら辺の川まで出てくることがあるって言っていたぞ。」
「ああそれなら俺も聞いたことがある。」
佐助はそう言うとしばし黙考した。川は穏やかに流れている。静かで暖かい風が吹いていた。村の中心に行けばどこまでも田んぼが広がっている。そこではみんなで農作業しているのである。
「よし。」
「何がよしなんだ?佐助。」
「いやこの謎を解いてみたくなってな。ちょっと山の方に行って河童の巣を探してみないか?」
「そりゃ面白そうだな。」
「うん、面白そう。」
佐助の提案に子分たちも乗った。まだまだ幼いこの子たちは怪奇風の話に興味があり、半ばマインドコントロールされているかのごとく信じていた。親からの話は絶対なのである。佐助たちは悪ガキであるが、そこの点は他の子供たちと同じである。
さて、河童の巣探しをすることを決めた佐助たちは今日は一旦家に帰り明日の朝また川辺に集り、山に河童の巣を探しに行くことにした。
解散して家に帰った佐助は母に明日は朝から遊び回るからおにぎりを二個作ってくれと頼んだ。母は怪しんだ。というよりは何かまた問題を起こすのではないかと心配した。前科は山ほどある。そんな子が朝から遊び回ると言うのだ。何か策略を持って誰かに悪戯するのではないかと思うのである。子分を引き連れて悪戯された日にはハッキリと言う人はいないが、子供のやったことと言ってくれるが、その視線は非難の色一色となる。あれには耐えられないと佐助の母は思うのである。しかし、ここで頭ごなしに断るには理由がない。農作業を手伝わせるにはまだ幼い。邪魔になってしまう。仕方がないので佐助の母は了解した。
次の日の朝。と言っても日はまだ出てなかった。佐助は出発した。まだ、日が出てないとはいえ、かなり蒸し暑かった。昨日の夜も寝苦しかった。汗を拭いながら佐助は集合場所へとやって来た。まだ、子分たちは来てない。大きめの石に腰を下ろし、みんなを待った。川の水面を見ると透き通った水に魚が自由に泳ぎ回っている。川を見ていると気持ち良さそうに思える。ちょっと、足を水に入れて涼もうと佐助は考えた。草鞋を脱ぎ捨てた佐助は川に足を入れた。川の水は冷たくて気持ち良かった。肌に水が優しく撫でられる印象だ。あまりの気持ち良さに佐助は川の水で顔を洗った。冷たく感じる水で顔を洗うと暑さが和げられるような感じがする。
川でしばらく涼んでいると子分の三人がやって来た。あの子分たちは家が近所なのだ。年も近く三人でよく行動を共にしている。佐助の子分になる前からだ。では、何故彼ら子分たちが佐助と親しくなり、子分となったのか。それはまた別の話になるのでここでは割愛する。さて、三人と合流した佐助は言った。
「よし、今日はこの川に沿って上流に行って河童の巣を探すぞ。」
三人の子分たちは頷いた。この三人の子分は基本的に佐助には逆らわない。佐助の親が村の実力者でもあるのも理由として挙げられるが、一番は佐助の胆の座った態度と自分達よりも賢い見方ができることである。信頼しているのである。というよりはなついていると言える。思い付く行いというのが、悪戯という佐助の生き方についていくのは呆れている村人とは違い、一種の尊敬をしているからなのである。
「佐助、昨日の夜に母に聞いたが、この川の上流にはあまり村人は行かんらしい。狼に気を付けろと言っていた。」
「狼が出没するのか?」
佐助は一瞬恐れの顔色をした。
「昔、目撃者がいたらしい。」
「そうか。その点には気を付けよう。では、出発だ。」
佐助の号令と共に佐助と三人の子分は冒険へと向かっていった。
「暑いよう。」
出発してからだいぶ経ったと思われるくらい山を川沿に登っていると子分の一人が弱音を吐いた。それに生物好きの子分の一人が佐助に提案した。佐助は少し思案した。
「おい、お前も休みたいか?」
佐助がもう一人のまだまだ元気そうな子分に声をかけた。
「俺はまだ大丈夫だが、ここいらで昼食にしないか?」
「そうだな。そうしよう。」
佐助は休憩にすることとした。蝉と小鳥の合唱に耳を傾けながら佐助たちは家から持ってきたおにぎりを食べ始めた。飲み物は目の前に川の水があるのでそこから水分を補給した。水は冷たくて美味しかった。最初に音をあげた子分は夢中で川の水を飲んでいた。ちょっとそれが可笑しくて佐助は笑った。釣られて他の二人の子分も笑った。水を飲んでいた子分はまったく笑われていることに気づかず、一心不乱に川の水を飲んでいた。それだけ喉が乾き、疲れていたのだ。しばしの安穏に過ごすと佐助たちは再出発した。佐助たちは体力を回復し、また、河童探しを始めた。先頭は佐助である。
ここからしばらくは特筆すべきことはなく、これといった危険や冒険もなく、穏やかな昼下がりの旅であった。今頃みんな農作業をしている頃だろうかと佐助は考えていた。佐助の家は米農家である。この辺りの地域でも指折りの大規模で味も良いとの評判で有名である。祖父の代で一気に規模を拡大した。祖父はだいぶ前に亡くなったが、村人から尊敬されていたのを覚えている。それがなんだか誇らしくもあった。
山を川沿に登っていると鳥が餌を探していた。木々は川へと枝先を伸ばし、木漏れ日が自分たちの気分を穏やかにのんびりにさせてくれる。先頭を行く佐助は拾った長い枝を手に皆を先導していた。そこはまだまだ子供なのである。ちなみに子供だと言われると佐助は怒る。自分のことを大人にもひけをとらないと自認しているからである。
さて、山も中腹を過ぎた頃、佐助たちは開けた場所に出た。そこは湖が広がり、鳥たちがのびのびと餌を漁っていた。湖は透き通り魚が泳いだり、水底の石などがよく見えた。水の流れる音色が心地いい。佐助たちは我慢出来ず河童探しそっちのけで湖で水遊びし始めた。この辺はまだまだ子供なのである。しばしの水遊びの後、子分の一人がぎょっとした。そこには河童らしき頭が見えたのである。
「わ、わ、わ、」
子分の一人が意味不明な声を出すので佐助たちは子分の見ている先を見ると同じくぎょっとした。みんな慌てて岸に上り木陰に隠れた。
「本当にいたよ。」
佐助はぼやいた。そして、よく見ると他にも河童がいる。ここが巣なのだ。棲みかであるこの湖で遊んでいたことに怒っているのだろうかと不安になった。しかし、河童たちはこちらを見ると佐助たちから離れて行き水中へと消えていった。
その後、佐助たちは水中に潜ったり、周囲を見て回ったが遂に河童を見つけることは出来なかった。暗くなる前に村に戻らないといけなかったので佐助たちは山を川沿に下った。それぞれの家に帰ると家族に今日あったことを話したが誰も信じてくれなかった。
橋本先生の話が終わった。子供たちの可愛らしい冒険譚であった。僕は微笑ましさを感じた。現代の僕らでは体験出来ないこともあるんだとも思った。昔は昔で今とは違う遊びが出来るのだ。
「どうだ?」
「中々面白かったです。この話はどこから知ったんですか?」
「この話は村の民俗史料館で保存してある史料に書いてあった。他にも色々と話が載っていたなぁ。」
橋本先生にとっては面白く感じる話のようで思い出し笑いのような仕草をしていた。その表情は何だか好きな話をしている時の子供のようだ。専門に何かしら研究している人が、自分の研究対象を語る際はこうなるのかもしれない。橋本先生を見ているとそんな気持ちになった。三度の飯よりというやつだろう。
「お前も行ってみたらどうだ?紹介するぞ?」
「本当ですか!?」
これはいい話を聞いた。僕はかなりこの研究対象に興味を持つようになった。民俗史料館所蔵の史料。当時の人びとの息づかいを感じることができるだろう。あの普段人がまったくのいない施設である。橋本先生が紹介してくれるそうなので、労せず史料を見せてもらえる。僕の目は一瞬輝いたが、すぐに悩ましげになった。
「あの橋本先生。」
「どうした?」
「僕、古文は読めないです。」
そう、僕は古文が読めない。授業で少しかじった程度だ。そんな知識で読めるわけがない。五段活用だって怪しい。
「日頃から勉強してないからだぞ。」
そう言われてもテストではあまり出題されないから古文は二の次になってしまうのだ漢文と同様に学業の脇役なのだ。
「教科書に載っているのもわからんか?」
「まったく。この僕に古文を読めというのは未就学児に近代世界システム論について説くようなものですよ。」
「近代世界システム論なんてよく知ってるな。」
「具体的には覚えてないですが、何か聞きました。」
社会科の先生だったかなと僕は思いつつ困った。ニュアンスとか言い回しが解らなければ紙面に書きようがない。わかる範囲で書けばいいような気もするが、解るものはほとんどない。変格活用って何?美味しいの?というレベルだ。
「まぁ、その例えが上手いか下手かは置いといて、なら、民俗史料館の方に読んでもらえばいいじゃないか?」
「迷惑じゃないですか?」
「そんなことはない。むしろ学生が興味を持ってくれたと喜ぶんじゃないか?」
「ならいいのですが。」
「まぁ、行ってみろ。」
「はい!」
僕は民俗史料館に取材をしに行くことにした。尾道さんや橋本先生で取材には慣れてきている。緊張せずに話を聞けるだろう。民俗史料館で話を聞くということは学芸員の人に聞くことになるだろう。
「じゃあ、俺から史料館に連絡しといてやるよ。」
「ありがとうございます。では、僕は帰ります。」
「そうだな。気を付けて帰りなよ。」
「はい。」
僕は真夏日を記録した外へと向かっていった。