河童の消えた村 その2
私は河童に声をかけた。
「河童さん河童さん。」
「キー?」
私の言葉に反応してくれた。日本語がわかるのだろうか理解しているような顔付きだった。まぁ、顔の動きは分からないのだが、なんだかそういう雰囲気であった。私はさらに河童に声をかける。
「河童さん。このきゅうりは欲しくないですか?」
「キー。」
物欲しそうな顔をしている。喉から手が出るほどという感じだった。きゅうりってそんなに美味かったっけ。味噌につけて食べるのは確かに美味い。でも、私からすれば河童が持ち去ろうとしている供物の方が美味しそうなんだが。
「キー。」
河童は少し考え込んでいるようだ。きゅうりと供物。そんなに悩むことかなと私は思った。しばしの沈黙の後、河童は供物を差し出した。
交渉成立。
私と河童は物々交換して河童はどこかへと立ち去って行った。
私は供物を持って家に戻った。以後、私は河童を見ていない。
「とまあこういう話だよ。」
「ふーん。おばあは河童を見たことあったんだな。」
「そうだよ。昔はここら辺には河童を見たという話はいっぱいあったんだよ。」
「ほほう。」
そんなにネタがあるのなら紙を埋められる。こういう話に真偽は関係ない。そういう話があるというのが重要なのである。おばあの話も別に僕は真に受けているわけではない。でも、あったかもしれないという風に思うのが粋というものではないかと思うのである。
まず祖母から話を聞いた僕は次の取材対象を誰にするか考えた。やはり近所の人に聞くのがよいか。僕が思案していると祖母がアドバイスをくれた。
「なら尾道さんの旦那さんに聞くのが一番いいんじゃないかね。」
それはいいと僕は思った。尾道さんの旦那さんは有職故実に詳しい。きっとこの町の河童に関する言い伝えも色々知っているだろう。早速、尾道さんに電話でアポを取った。暇なので明日にでも来るといいとのことであった。尾道さんの家に行くのは明日となったのでその日はのんびり明日の準備して過ごした。
次の日。僕は昼食を食べた後、尾道さんの家へと向かった。蝉の奏でる音楽が鳴り響く暑さの中を進んだ。澄んでいる小川には川魚が泳いでいるのを視認できる。田んぼの横を抜けて、山道に入る手前に尾道さんの自宅はある。
ちょっと緊張しつつインターホンを押した。尾道さんの家は田舎の地主とあってとても大きい。家は何年か前にリフォームしたので中は割りと新しい。しばらく待っていると尾道さんが出てきた。
「いらっしゃい。」
「今日はよろしくお願いいたします。」
「はいはい。」
尾道さんは機嫌が良さそうだ。相好を崩したその笑顔は好々爺といった感じである。きっと、自分の知識を発表する良い機会だと思っているのだろう。今日は尾道さんの好きに話してもらおう。そうした方が生き生きとした河童伝説の話が聞けるだろう。話し手の気分によって結構話の雰囲気が変わったりするものなのである。
僕は尾道さんの案内で家の中に上がった。奥さんは近所の奥様方と女子会らしい。家の中はなんか高そうな置物が随所随所に置いてある。どこに売ってるのだろうかと思いつつ僕は尾道さんの後ろについて行き居間に着いた。
「そこに座ってなさい。今、お茶を持ってくるから。」
そう言うと尾道さんは多分キッチンへと行った。
座ってるのが落ち着かない僕は部屋の中をキョロキョロしていた。何か面白いものはないかと思ったのである。まぁ面白そうなのはなかった。置いてあるテレビは比較的新しそうだなと思いながら尾道さんが戻って来るのを待った。
それから10分くらいしただろうか尾道さんが戻って来た。お盆にお茶とお菓子を乗せていた。尾道さんはちようど僕の真向かいに座った。
「クッキーとかはなくてね。最中で大丈夫かい?」
「ありがとうございます。大丈夫です。」
「そうかそうか。」
と僕と尾道さんは座りながら話始めた。
尾道さんは顔をほころばせていた。孫を見る目かなと思われた。お年寄りの笑顔というのはなんだかほっこりする。テーブルの上に置かれた最中を食べながら尾道さんと話した。内容は専ら学校の話だった。尾道さんも僕と同じ学校に通っていたそうで今の様子が気になるようだ。特に学校は何年か前に老朽化で建て直したので今の内装について聞いてきた。見たまんまを言うと尾道さんはちょっと切なそうな微笑みを湛えた。
「私の幼い頃とはだいぶ様変わりしたようだな。」
「まぁ、耐震工事とかありましたからね。」
「そうか。それはそうと。」
一度下を向いた尾道さんは顔を上げて本題について話始めた。外からは小鳥の囀ずりと蝉の歌が聞こえる。
「はい。この村の河童伝説について聞いて回っていまして。」
「自由研究のテーマだったけか?」
「そうです。」
「ふむ、私が知っている話は二つだ。」
それはこういう話であった。
いつの頃か村で事件は起きた。服が行方不明になるというのだ。最初は風に飛ばされたとかではないかと言われていた。しかし、無風の日でもなくなることがあった。そうなると服の紛失は泥棒仕業ではないかという話が持ち上がった。村人は疑心暗鬼に陥った。そんな中、一人の村人が立ち上がった。彼はわざと洗濯物を干しっぱなにして夜通し泥棒が現れるのを待ったのだ。彼は犯人が現れるまで何日でも見張る覚悟だった。見張りを始めて数日後の夜、その日も彼は物陰に隠れて見張っていた。
「中々来ないな。」
もしかして、こちらの行動が筒抜けなのか。犯人が村人ならその可能性がある。出来れば村人ではないことを祈りつつ夜が更けていった。うつらうつら眠そうな自分を精神力で耐えた。
物陰に隠れて待っているとペタペタと音をたてながらこちらにやって来る音がした。その音は人間の足音、鞋を履いて歩いてきて鳴るような音ではなかった。ドキドキしながら音の鳴るほうを見ているとそこには河童が月の光りに照らされて立っていた。彼は驚きのあまり腰を抜かしてしまった。現れた河童は洗濯物を物色し始めた。腰を抜かしてしまったが、勇気を奮い立たせた彼は大声で河童を呼んだ。
「河童よ。犯人はお前か!」
「キー!」
彼の声に河童は驚き、手に持っていた服を持って走って逃げようとした。彼は捕まえようと追いかけた。河童は盗んだ洗濯物をいくつか彼に向かって投げつけながら逃げて行った。河童は近くの川に逃げ込み上流の方へと逃げた。流石に人間では川を泳ぐ河童には追い付かない。仕方がないので彼は河童が投げ捨てた服を拾い集めてその日は家へと帰った。
次の日。彼は村の長老に昨日の夜のことを報告した。長老は興味深げに彼の話を聞いた。その話を聞いた長老は困ったといった顔をした。相手が妖怪だと人間である我々にはどうすることも出来ないのだ。河童はこの村の言い伝えで川を守護する存在でもある。そのような存在に暴力的な方法を取るのは村としてはやりにくい。長老と彼が話し合っていると村人の一人が駆け込んできた。
「長老!」
「どうしたそんなに慌てて。」
「着物を着た河童が現れました!」
「なんだと!」
彼と長老は駆け込んできた村人の案内で現場へと向かった。川岸に河童が確かに着物を着て立っていた。そこには何人かの村人がいた。
長老が村人の前に立って河童に言った。
「河童様よ。何故村人の家から服を盗む。」
「キー!」
河童が何を言いたいのかはわからない。その後も押し問答にならない押し問答が繰り返された。彼や村人が困ったという顔をしていると、河童が何か話して着物を脱いで投げ捨てた。そして、河童は川に潜り山の方、上流へと向かって泳いで行った。以後、村から服が盗まれることはなくなった。
「とまあ、一つはこういう話だな。」
「河童は何がしたかったんでしょうか?」
僕には素朴な疑問であった。そもそも河童には服は必要ないだろう。着たところで泳ぐのに邪魔だし。
「それは多分興味があったんじゃないかなぁ。」
「ほほう。興味があると。」
これは重要そうなので僕はメモをした。
「河童様わな。この村にとって妖怪であるのと同時に精霊でもあるんだ。彼らは私たち村人を見守るうちに我々の生活に興味を持ったのだろう。」
「なるほど、ずっと見ていたら自分も着てみたくなったんですね。」
「そうだ。自分に無いものに興味を抱くのは河童も人間と同じということだ。」
「ふーん。では、もう一つの話を教えてください。」
「そうだな。」
尾道さんはにこにこしながら次の話を始めた。
それは幕府という組織が消滅し、新たな世界に日本が入った頃のこと。外国から入ってきたラムネという飲み物が我が村にも入ることもあった。そういう風に少しずつ我が村も変わっていった時期であった。
ある時、村の中でも裕福な豪農の倅がラムネを飲みながら散歩をしていた。この青年は中々の悪ガキであった。村の子弟を従えて遊び回っていた。彼に目をつけられると親が苦労するので村の子供らは彼の機嫌を損ねないように努めていた。子供時代から村の序列が働いているのであった。
青年はラムネが好きだった。まだ、現代のように田舎だと常にラムネを入手するのは出来ないので、彼は入荷がわかると親にねだって買い占めていた。他の人が飲めないではないかと咎める人はいなかった。苛められるのを恐れたのである。そう考えると小、中学生の社会と大人の社会はある面では似ているというより同質と言えるのではないだろうか。さて、青年は飲み干したラムネのビンをどうするか考えていた。家にいれば親に処分を頼むが今は外で一人である。一旦、家に帰ろうかと思ったが、遠くを見ると川岸で子分どもが遊んでいた。早く遊びたいと思った青年は飲み干したラムネのビンを家に捨てに帰るのではなく、川に捨てることにした。ぽいと川に投げ捨てた。
青年は子分たちと楽しく遊んだ。魚釣りをしていたのだ。今日の釣りは入れ食いだった。大漁になったので意気揚々となった子供らは川に入って泳いだ。青年も泳ぎは得意だったので少し深い方へと行った。自由に泳ぎ回っていた青年は突然何かに捕まれた感じがした。




