魔法使いのピアノ
ーー夢を見た。
ーー奇跡を知った。
ーーあのピアノの音色を聴いた。
ーーそうして俺は天才に憧れた。
※ ※ ※
放課後、中学校の音楽室。そこでは今日もピアノの音がする。
これはもちろん幽霊の仕業などではない。少年ーーもちろん生身のーーが奏でてるものだ。
ガラガラガラ。音楽室のドアが開かれる。
入ってきたのはセーラー服に身を包む少女だ。
少年は一瞥どこらか一コンマすら意識を向けず、ひたすらにピアノを弾き続ける。
とても中学生が学校で弾いてるレベルのものでない。全身全霊を込めた演奏だ。
少女はその様子に頰を綻ばせながら、近づきピアノの真横に立つ。
自然と少女は目を閉じて、ピアノのメロディを聞き入っていた。
一般的に眠たくなると言われるようなゆっくりとしたテンポの曲。
一定のリズムを保っていた曲も、徐々に音が小さくなり、少年の手は止まる。
余韻が数秒は残り、二人はそれすらも楽しんだ。
余韻すらも消えた音楽室。少女は少年に声をかける。
「また、弾いてるんだ」
「お前に負けたくないからな」
少年はニヤリと笑いながら少女を見る。少女の名は藤原という。
その瞳には闘志の炎が揺らいでいるのが藤原には見て取れた。
「臥雲は変わらないね」
「まぁな」
「合唱コン、いよいよ明日だねー。臥雲のクラスはどうなの?」
「うーん、まぁまぁって感じ。準優勝ならワンチャンあるかな」
明日は音色中学校の合唱コンクールの日だ。少年がさっき引いていたのも合唱の伴奏である。
「しかも、久々の市の大会も明後日だし」
「前の大会は私たちが小六の頃だからね二年ぶりだね」
※ ※ ※
「合唱コンクール 伴奏 優秀賞 臥雲 勇」
「はい!」
名前を呼ばれて臥雲は立ち上がり舞台に上がる。
照明を浴び賞状を受け取り、称賛の声と拍手に包まれる。本来ならば中学の合唱コンと言えど名誉あることで喜ばしいことだ。
「うぉー!!」
「やっぱりか、すげぇな」
しかし、クラスメイトからの声も全て臥雲にとってはノイズでしかなかった。
臥雲の胸には、また及ばなかったのだという悔しさと羨望と嫉妬が渦巻いてた。
嬉しさも喜びもほんの少しもありはしない。変わりにあるのは自分の才覚の無さへの底なしの絶望だ。
「続いて、伴奏 最優秀 藤原 波音」
「はい!」
臥雲は座りながらズボンをぐっと拳で握っていた。
でも、自身でも藤原の天才的な演奏に及んでいないことは痛感していてだからこそ何も言えないでいた。
全国でも天才ピアニストとして名を馳せ、テレビの取材すら受ける逸材。
『魔法使い』と謳われたピアニストの娘。
藤原は臥雲からして遠い遠いところにいる。でも臥雲の目指すところは藤原いる先にある。
なのに、どれほど汗をながしても藤原には臥雲は勝てないでいた。それが焦りとしてあった。
「最優秀おめでとう」
臥雲は引きつった笑顔ながら世事を述べた。
「演奏本当に凄かった」
その後に本心を素直に伝えた。やっぱり演奏は凄いし、臥雲の憧れである存在にもとても似た奏で方だったしと。
「ありがとう」
※ ※ ※
ーーそして、市の大会当日となった。
藤原目当てだろうか、カメラがチラホラと見受けられる。
いよいよ次は藤原の演奏だ。
やはり、最大の注目を受ける存在。その姿をあらわすだけで空気が変わる。
ピアノのきれいな音がなる。指が軽やかに曲りくねり鍵盤を弾いていく。
鼓膜に心地の良いリズムが刻まれ、自然と目を瞑り方を揺らす。
森。今まで見たこともないようなきれいな森が脳裏に浮かぶ。そしてそこにいるかのような体感。
臥雲は揺らめく意識の中、ただただ凄いと感じていた。
(合唱コンの時も凄かった。でも、これはーー)
会場は全て音楽と言う名の『魔法』に包まれる。高音から低音、テンポやメロディの変化すべてが心を揺らし、世界を変えていく。
まさしく魔法。
臥雲が幼い頃聴いた藤原 奏の演奏にそっくりな演奏だ。
今は亡き『魔法使い』と呼ばれたピアニストの全ては確かにその娘に継承されていたのだとその場の全てのものがそう思ったことだろう。
この次の次は臥雲の演奏だ。緊張しながら臥雲は向かう。
道中、藤原とすれ違う。
しかし、臥雲は緊張のしすぎで気づいていない。
あいかわず不器用で真っ直ぐだな。と藤原は微笑んむ。
「臥雲。緊張してるの?」
手を口元に当てクスクスと藤原は笑う。
「なっ!……」
馬鹿にされているわけではないとは言え、なんだか臥雲としては恥ずかしく赤面する。
「な、訳ないだろ」
「そっか。ねぇ臥雲はなんでピアノ弾くの?」
ふふっと笑った後、やけに唐突に藤原が聞いた。
「それは、お前の母さんのピアノに憧れたからだよ」
(例え、分不相応でも憧れちゃったから。夢を見てしまったから)
「だよね、知ってる。私はね楽しいから弾いたんだピアノ」
「実はお母さんの意志だとか、才能とかどうでもいいんだ」
「そう、なんだ」
ただ、楽しいから。目標とかは何もない軽い動機だと臥雲は切って捨てることなど出来るはずもない。
しかしながら衝撃は受けるし、消化できない。
「私知ってるよ。臥雲が、誰よりも頑張ってること」
「だからね、大丈夫だよ。臥雲は魔法使いには成れないと思う」
「でも、臥雲はきっと勇者だから」
「勇者って?え?なんだよ」
「とにかく、臥雲は大丈夫だから」
「まぁ、なんだ。緊張は解けたよ。ありがと」
「うん」
(頑張ってるから大丈夫。魔法使いになれなくても大丈夫。勇者だから大丈夫?)
ピアノを前にして臥雲は藤原の言葉をくりかえしていた。
(楽しいから弾く。なんだか訳わかんないことだらけだ)
(でも、なんだか凄くピアノが弾きたい)
それは、荒らしく優雅とは言いがたい音。刺々しく醜く歪なそれでもそれは人の心を動かすものだ。
才なきものの一つの到達点。藤原は目を閉じて聴き入っていた。
結果から言えば、やはり臥雲は藤原には及ばなかった。
「残念だったね」
「あぁ。なぁ藤原俺のこと勇者って言ってたの結局なんなんだあれ?」
「ん?あれ?私がさお母さん死んで悲しかったときあったでしょ」
「その時、ぶきっちょですーんごい下手だったけど臥雲が必死に練習してピアノ弾いてくれたじゃん」
「そんなこともあったな」
幼い頃で臥雲としては言われてみれば程度でかなり薄い記憶だ。無論藤原母である藤原 奏が死んだ際のことは記憶に確かだが。
「私、それからだよ。好きになったの」
それは、どっちの?臥雲がふと思った。
そして、答えはすぐに言ってくれた。
「ピアノも臥雲も」
「だから、臥雲は勇者なんだよ。例え才能がなくても誰かの為に必死になれる。うまく弾くために凄い汗を流せる」
「最高にかっこいい勇者だよ」
「そっか、でも俺今はーー」
「分かってる。まずはピアノでしょ」
「あぁ」
「久しぶりにお前の家行っていいか?おばさんのピアノ久々に触りたい」
「え?あんなに嫌がってたのに。『それは俺が納得のいく時まで』なんてカッコつけたこと言って」
「うっせ。だって俺は『最高にかっこいい勇者』なんだろ」
「まぁね」
赤面しながら藤原は答えた。
十数年後、世界的にも有名になった藤原はインタビューにてピアノがうまい理由を聞かれこう答えたという。
ーー愛と勇気。