2章 1話 風紀強化週間
クロユリ荘から学校までは、徒歩で十分ほどだ。
だから、朝はギリギリまで寝ていられる。
そのことだけでも、俺としてはここに住む価値がある。
例え呪われたアパートと忌避されているとしても、だ。
早起きして乗客過多のバスや電車に乗らず、八時を過ぎてもぐずぐずと布団の中で惰眠を貪ること以上に幸せなことがあるだろうか。
しかし、最近俺の安眠を妨害する悪魔がやって来る。
その銀髪の悪魔は部屋のドアを乱暴に叩き、俺の名前を何度も叫び続ける。
ただでさえ寝起きの悪い俺は、発狂しそうになる。
最初は布団を深く被ってやり過ごそうとするが、結局はその騒音に耐えかねて、ベッドから這い出る。
重たい目蓋を必死に持ち上げながら、ドアを開けると、
「猛丸、おはよう。早く学校行こう」
屈託のない笑顔を振りまくカレンが立っているのだ。
黒を基調としたブレザーに、グレーと白のチェックのスカートは、白銀の長い髪と日本人離れした顔の造形を持つカレンによく似合っていると思う。
初日からずっと、カレンと一緒に登校している。
カレンがうちの高校に通い始めて、もう一週間が過ぎた。
天真爛漫な性格と優れた容姿で、すっかり人気者になっている。
それどころか、他のクラスから噂を聞きつけた生徒が連日訪れては、カレンを観察して、満足して帰っていく。
寝ぼけつつも身支度を整え、外に出ると、カレンは笑いながら、
「今日も眠そうだね」
隣を歩くカレンは朝に強いらしく、鼻歌を歌い、今にもスキップでもしそうな躍動感がある。
欠伸を噛み殺しながら、眉間に皺を寄せている俺とは対照的だ。
正門に美志緒先輩が立っている。
姿勢がいいせいか、立ち姿も凛々しい。
先輩を見つけたカレンが、嬉しそうに駆けていく。
「美志緒、おはよう」
「おはようございます」
カレンに続き、俺も挨拶した。
「おはよう。猛丸、今日は早いな」
挨拶を返す美志緒先輩に、カレンが聞く。
「ここで何してるの?」
「風紀委員の活動だ」
「フウキイイン?」
カレンはよく分かっていないようで、首を傾げた。
「風紀委員会っていうのがあって、校則の取り締まりをする組織なんだよ。それで、こうしてたまに正門で立ってるんだ。美志緒先輩はその組織のリーダーだよ」
「なんかカッコイイね」
俺が簡単に説明すると、カレンは瞳を輝かせた。
ふと美志緒先輩が俺に近づき、
「寝癖がついているぞ」
先輩は髪の毛のハネている部分を撫でる。
カレンや登校してくる学生達に、じろじろ見られる。
恥ずかしいことこの上ない。
「やめてください」
目を逸して呟くと、美志緒先輩が朗らかに微笑みかけ、
「すまない。弟がいたら、こんな感じなのかと思ってな」
先輩は俺を弟扱いしている節がある。
親しく思ってくれてることは嬉しいけど、複雑な心境になるときがある。
気恥ずかしさを誤魔化すために、別の話題を振ることにする。
正門付近に数人いる風紀委員と思われる人達に視線を移しながら、
「いつもより大掛かりですね」
普段なら、いても二人だ。
これだけの人数がいるのを初めて見る。
「今日から一週間、風紀強化週間だからだ。新学期が始まっておよそ一ヶ月が過ぎた。このくらいの時期から学生達の気が緩み、風紀が乱れる傾向にある。そう考え、実施することにしたんだ」
「大変そうですね」
美志緒先輩は表情を曇らせる。
「委員の子たちで役割と持ち場を分担しているが、人員不足の感が否めない。人手はいくらあっても充分過ぎるということはない。猫の手も借りたいよ」
突如として、カレンが右手を大きく挙げた。
「私、やってみたい」
その双眸には、溢れんばかりの好奇心を宿している。
「本当か? それは助かる」
嬉々とした声を上げる美志緒先輩に、俺は言う。
「いや、カレンは風紀委員じゃないですよ」
新学期に遅れて登場してきたカレンは、どの委員会にも所属していない。
「大丈夫だ、この期間だけ風紀委員補佐として我々の活動に参加してもらう」
そんなのアリか、と思うがよく考えれば、風紀委員長の先輩が許可を出し、カレンが自ら「やってみたい」と言ってるのに、俺が止める理由も権利もない。
「大変だろうけど、頑張れよ」
カレンに言葉をかけると、小首を傾げ、俺を見返した。
「猛丸もするんだよ?」
「はい?」
反射的に聞き返した俺に、カレンは不思議そうな顔で、
「だから、猛丸も風紀委員の活動に参加するんだよ」
「何を勝手に」
美志緒先輩が期待の篭った視線を俺に向ける。
「猛丸も手伝ってくれたら、有り難いな」
俺は自分の中から、否定の言葉が失われていくのを感じた。
先輩にはお世話になっているから、困っていれば力になりたいと思う。
それに、琴吹先生からカレンのことを頼まれてるし。
「いいですよ。俺も手伝います」
「本当か? それは助かるよ」
先輩が笑顔になると、カレンも嬉しそうな顔を見せた。
「頑張ろうね、猛丸」
「具体的なことは、そうだな、昼休み時間取れるか? 昼食を食べながら、話そうと思う」
美志緒先輩がそう言うと、俺とカレンは了承を示すために、揃って頷いた。
外のコミュニティからやって来たメインヒロインが、主人公と同じ学校に通い始める、という設定は過去の産物なのだろうか。