6章 4話 トライアングル
伊織を見ると、複雑そうな顔をしている。
別に伊織の秘密がバレることはないだろうが、やはり平常心ではいられないのだろう。
桃音さんはメニューを広げ、
「いろいろあって迷うわね」
ページをめくっていた手が止まった。
「ねぇ、これ見て」
そう言って見せてきたのは、見開きでどデカく載っている、あの特製ドリンクだった。
「カップル向けのメニューね。ふふっ。こんなの注文するのって、どんな人達なのかしらね。普通恥ずかしくて頼めないわよね」
「世の中いろんな人がいますからねー」
俺は視線を逸らした。
桃音さんの顔も伊織の顔も、どちらも見られない。
本当は知ってて言ってるんじゃないかと疑いたくなる。
そうだとしたら、悪い人だ。
桃音さんが特製ドリンクの写真を、指でトントンっと叩きながら、
「猛丸くんは私とこれ、飲みたい?」
「やめてくださいよ」
やんわり断っていると、ウエイトレスさんが注文を取りに来た。
俺の顔を見るやいなや、
「あれ? この間も来てましたよね。今日も特製ドリンクですか?」
見ると、取材デートのとき接客してくれた人だった。
終わった。
俺の中で、何かが音を立てて崩れていった。
桃音さんがウエイトレスさんに穏やかに聞く。
「どういうことですか?」
ウエイトレスさんは俺と、そして伊織を一瞥し、
「このお兄さんとお嬢さんが、特製ドリンクを飲んでたんですよ。このメニューって、一週間に一回注文があるかないかで、かなり目立ってたんですけど、二人の姿が初々しくて可愛かったんですよ。見てるこっちが恥ずかしくて、もう」
「そうなんですか」
桃音さんは、照れながら話すウエイトレスさんに相槌を打ち、メニューに目を戻した。
「私はカフェ・ラテで。二人はどうするの? また、特製ドリンクにする?」
目が笑っていない。
「……いえ、ブレンドで」
「……私はカプチーノをお願いします」
俺と伊織は、呼吸するのさえ苦痛な状況で、声を絞り出した。
ウエイトレスさんは注文を取ると、楽しそうに奥へ引っ込んだ。
テーブルには、俺と桃音さんと伊織の三人だけになる。
さて、この状況をなんとかしなければならない。俺は桃音さんに恐々と話しかける。
「違うんですよ」
「何が違うの? 猛丸くんと伊織ちゃんが、一つのドリンクを仲良くちゅーちゅー吸ったことについて?」
「いや、仲良くっていうか」
「何? じゃあ、ちゅーちゅーしてないの?」
「……えっと」
「したのね」
「うっ……」
執筆の取材のためという理由を言わずに、この場を収めるのは無理だ。
俺には、特製ドリンクを二人で飲むのも仕方ないと、桃音さんを納得させる口実なんて思いつかない。
考えを巡らせている間にも、桃音さんは「ちゅーちゅー」とプレッシャーをかけてくる。
脳をフル回転させ、ようやく閃いた。
「カレンが来たいって言ったんです」
「カレンちゃんが?」
俺は大きく頷いた。
「そうです。俺と伊織の二人だけじゃなくて、三人で来たんです。それでカレンがメニューを見て、特製ドリンクを飲んでみたいって言ったんですよ。それで仕方なく、三人で飲むことになったんです。だから、桃音さんが考えているようなことでは、決してないんです」
桃音さんが怪訝な顔をしているので、
「店員さんに聞けば、確かですよね」
そこにさっきのウエイトレスさんが、オーダーしたものを持ってきた。
俺の体が、自然と前のめりになる。
「この間来たときに、銀髪の女の子いたの覚えてます?」
ウエイトレスさんは即答した。
「もちろん覚えてますよ。すごく可愛い子で、印象に残ってます。今日は一緒じゃないんですか?」
「えぇ、まぁ」
覚えてくれていて、良かった。
ウエイトレスさんはカップをテーブルに置きながら、
「今日お連れのお二人も、負けず劣らず可愛らしいですね。お兄さんも隅に置けませんね」
「ちょっとお手洗い」
桃音さんが席を立った。
追求してこないあたり、一応信じてくれたようだ。
ウエイトレスさんも席を離れた後、俺と伊織は深い溜め息を漏らした。
「何とか乗り切ったみたいだな」
「ありがとうございました。その、私の秘密を守ってくださって」
伊織は本当に安心したようで、目の前のカプチーノを口に運んだ。
「まぁ、俺たちの秘密みたいなもんだし、他言しないって約束したからな」
「元はと言えば、猛丸先輩が私の部屋に入って、原稿を見たのが悪いんですからね」
怒っている様子なく、伊織が言った。
あのことを冗談にしてくれているのだ。
「その通りだよ。あのときは、俺は出直そうって言ったんだけど、カレンが制止を聞かずに入っていたんだ。でも、しっかり引き止めなかった俺も同罪だよ」
「猛丸先輩だけじゃなく、神城先輩も困ったものです。でも、その神城先輩の魔法のおかげで、私は充実した取材をすることができました。皮肉な話ですけどね」
伊織はカプチーノを一口飲み、ほのかに笑った。
「どうした?」
「いえ、さっきの弁明も神城先輩のおかげみたいなところがありますから、トラブルを引き起こしたり、助けてくれたり、よく分からないですね。まったく、不思議な人です」
「そうだな」
伊織は一呼吸置き、
「神城先輩には感謝しています。もちろん、猛丸先輩にも」
鞄から一冊の本を取り出した。
その本には、うさぎの柄のブックカバーがしてある。
ちゃんと使ってくれてるのか。
桃音さんが戻ってきた。
席につくやいなやさっきのウエイトレスさんを呼んだ。
何か追加注文するようだ。
「特製ドリンク一つお願いします」
「え?」
俺は小さく声を漏らし、桃音さんを見ると、不敵に微笑んでいる。
ウエイトレスさんは元気よく返事をする。
「ありがとうございます。今日は、スイーツは召し上がらないんですか?」
「この子達はドリンク以外に何か頼んでいたの?」
「はい。確かケーキとパフェを注文して、それをお兄さんとお嬢さんが食べさせ合っていましたよ」
……わざと言ってるんじゃないだろうな。
辟易する俺と伊織とは対照的に、桃音さんは生き生きと注文をする。
「どれでもいいから、ケーキとパフェもお願いします」
そして、桃音さんが完全無欠の微笑で言った。
「食べさせ合っていたのにも、もちろん理由があるのよね? ゆっくり聞かせてもらいましょうか」
感動するコンテンツに触れた後、くだらない悪意を目の前にすると、怒りを通り越して、興味がなくなる。
すみません、こんなことは書くべきじゃない。
ネガティブなことじゃなく、ゴキゲンなことを口にし続けたい。