5章 8話 結論
演劇部のお芝居は大成功に終わったそうだ。
その中でも、主演女優の桃音さんの鬼気迫る演技は、目を見張るものがあったらしい。
俺は警察で、男の話を聞いた。
男が桃音さんを拉致したのは、突発的な犯行だったようだ。
舞台の本番前、外の空気を吸いに出た桃音さんに、初めて話しかけたが、今は一人になりたいと言われて、頭が真っ白になったと話していた。
桃音さんの自由を奪っていたガムテープやロープから考えて、計画性があったと思っていたが、連れ込んだあの倉庫に、たまたまあったのだと言っていた。
あの男は俺に嫉妬心を抱いていたようだけど、実際には俺達はそう変わらないと、俺は思っている。
そりゃ、あの男よりは桃音さんと仲良くしていると思うが、俺達は共通していることがある。
自分に自信がないのだ。
話しかけても、どうせあしらわれるだろうとか、思わせぶりな態度に期待しても、どうせからかわれているんだとか、悪い想像しかできないのだ。
そして、その想像の中の傷ついている自分のことを考えると、怖くて仕方がない。
だから、話しかけられないし、桃音さんの言葉を信じられないんだ。
もちろん、あの男がした行為は最低だし、絶対に認められないけど、コンプレックスに悩む気持ちは、理解できなくはない。
俺は今、桃音さんに呼び出され、学校の屋上にいる。
しばらくすると、桃音さんが現れた。
あの事件以来、初めて二人きりになる。
屋上に張られたフェンスに、並んでもたれると、桃音さんが口を開いた。
「助けてくれてありがとう。まだちゃんとお礼言えてなかったら」
「俺は何にもしてないですよ。結局ストーカーを捕らえたのはカレンなわけですし」
「ううん。カレンちゃんから聞いたよ。私のスマホを見つけたのも、あの倉庫が怪しいって言い出したのも、猛丸くんなんでしょ?」
「そんなのカレンの活躍に比べたら、全然ですよ」
「そんなことないわ。危険なところに飛び込んできてくれたんじゃない。倉庫の扉が開いて、猛丸くんが現れたときは、状況は最悪だったけど、お姫様みたいな気分だったわ。私のために怒鳴ってくれたのも、嬉しかった」
俺はどんな顔をすればいいのか分からず、下を向いて黙った。
「それと、ストーカーから解放された後、私が舞台に上がることに賛成してくれて、ありがとう」
「反対したら、一生恨まれそうだったんで」
二人に沈黙が訪れる。
タイミングを見計らい、俺はあの日からずっと、心に引っかかっていることを口にした。
「お芝居観られなくて、すみませんでした。約束してたのに」
桃音さんは大きく首を横に振った。
「何言ってるのよ。あの状況じゃ仕方なかったでしょ。次の舞台が決まったら、観に来てね」
「はい。分かりました」
再び屋上は、静寂に包まれる。
今度は桃音さんが切り出す。
「ねぇ、クロユリ荘、随分賑やかになったわよね。最初は私達二人だけだったのに」
「騒がしくて仕方ないですよ。俺はもっと平穏に過ごしたいですけどね」
「そんなこと言って、なにげに今の生活気に入ってるんでしょ」
桃音さんの言う通りだから、何も言わなくていいだろう。
「私はね、猛丸くんとずっと二人でも良かったんだけどな」
桃音さんが聞こえるか聞こえないかくらいの声で、呟いた。
俺はなんと言えばいいか分からなかった。
俺と桃音さんは、本当に多くの時間を一緒に過ごした。
春は、クロユリ荘のベランダから花見をし、梅雨の時期は、一本の傘で帰った日もあった。
夏休みは短冊に願い事を書き、花火を見に出かけた。
秋は黄葉の中を歩き、冬はコートを買いに行った。
過去と現在、どちらしか選べないとしたら、桃音さんはどうするんだろう。
そして、俺はどちらを選ぶ?
何か言わなければいけない気がするが、何も思いつかない。
桃音さんは、俺の口から言葉が出るのを待っている様子だったが、ついに耐えかねたのか、ぐっと体を寄せてきた。
「ストーカーから助けてくれたお礼、さっきのじゃ足りないから」
そう囁いて、顔を近づけてくる。
そして、桃音さんが瞳を閉じた。
過去と現在、どっちを選ぶんだ。
自分に自信を持て。
傷つくことを恐れるな。
俺はぎゅっと目を瞑った。
桃音さんが望むなら、俺は――。
「本当に猛丸くんは可愛いんだから」
目を開けると、桃音さんが笑っていた。
また、だ。
またやられた。
桃音さんの笑顔を見て、俺は思う。
桃音さんもまだ、結論を求めていない。
たぶん、こうして戯れているのが楽しいのだろうし、何より今のクロユリ荘が好きなのだ。
だから、もう少しこのままでもいいんじゃないか。
だけど、もし桃音さんが本当にそれを望むなら、そのときは――。
「帰りましょ」
桃音さんは階段室に向かって歩き始めた。
俺は咄嗟に桃音さんの腕を掴む。
それはほんのわずかな復讐。
弄ばれていることへの、ちょっとした仕返し。
少しだけびっくりさせてやろう。
俺は掴んだ腕を強引に引き、桃音さんの体を後ろから抱き締めた。
桃音さんのことだから、「そんなに私のことが恋しいのかしら?」みたいな感じで、上手く応対するのだろう。
そう思っていた。
しかし、いつまで経っても何もリアクションしない。
不思議に思い、桃音さんの顔を覗き込むと、頬を真っ赤に染め、唇をきつく結んでいた。
いつもの余裕を孕んだ微笑はどこにもない。
「え、あれ……桃音さん?」
俺は面食らってしまう。
もしかしたら偽物かも知れないとすら思ってしまう。
見られていると気付いた桃音さんは、「きゃっ」と可愛く声を上げ、俺の腕を振りほどき、一目散に逃げていった。
階段室のドアの前で、一度だけ立ち止まり、俺の方をちらっと見て、やっぱりそのまま逃走してしまった。
いつもは大人びた言動で俺を翻弄する桃音さんが、責められた途端、あんな初心な反応で恥ずかしがるなんて――。
「反則だろ……」
顔を真赤にするその表情と反応が、目眩がするほど可愛いってことは、恥ずかしくて言えないだろう。
俺は桃音さんが消えていった階段室のドアを茫然と眺めながら、その場に立ち尽くした。
こんなラノベは、誰も必要としていないのだろうか。