5章 5話 シルヴィア・シュバルツ
カレンと二人、正門で待っていると、玄関から桃音さんが歩いてきた。
俺とカレンは桃音さんを学校まで送り、演劇部から許可をもらって練習を観た。
そして、このまま三人でクロユリ荘まで一緒に帰るのだ。
俺との練習が功を奏したからなのか、抱えていた不安が多少なりとも軽減されたからなのかは分からないけど、ステージの上の桃音さんの表情には、少なくとも俺が観た中では一番自信が溢れている気がした。
三人揃ったところで、不審者に警戒しながら、帰途につく。
通行人に胡乱な者はいないか、俺は周囲に視線を巡らせる。
背後はもちろん、前方の物陰などにも注意を向ける。
そんな俺の隣で、カレンが呑気に、
「桃音、すごく面白かったよ」
と、はしゃいでいる。どうやら芝居を痛く気に入ったらしい。
「ありがとう、カレンちゃん。今日は衣装もセットも小道具もなかったから、物足りないと思ったけど、喜んでもらえて嬉しいわ」
「明日の本番は完璧な状態だから、もっと凄いんだよね。楽しみだな~」
カレンと桃音さんはその後も世間話を続ける。
全員できょろきょろしていたら、もし本当に犯人がいるとすれば、下手に刺激してしまうかも知れないし、二人には普通に喋ってもらって、俺一人が目を光らせておくのがいいかもな。
そう考えていたそのとき、俺達の後方で、何かが動くのが視界の端に映った。
もしかしたらと思い、その方向をあからさまにならないように注意していると、路地の死角から人影が現れた。
やはり桃音さんが感じたという視線は、勘違いではなかったようだ。
桃音さんは本当に、不審者に狙われている。
俺は声を潜め、
「誰かが後を付けてきてます」
「猛丸くんも気づいた?」
桃音さんが小声で言った。
雑談しているようで、しっかり警戒していたようだ。
カレンはびっくりした顔で、
「本当? どこ?」
と振り向こうとするので、俺は前を向いて言う。
「あんまり分かりやすい行動するなよ。相手に気づかれるぞ」
こっちは三人いるし、まだ明るいうちには何もしてこないだろうと、俺はどこか高をくくっていた。
しかし、予想に反し、ストーカーと思われる人影はどんどん近づいてくる。
桃音さんは、眉宇に強い不安を漂わせている。
「どうしよう」
俺は考えていたことを口にする。
「カレンと桃音さんは次の角で曲がってください。俺が不審者の気を引きます」
言い終わるなり、桃音さんが首を振った。
「それって、猛丸くんが囮みたいになるってことでしょ? そんなの危険よ」
「いえ、俺も自分の身は大事ですから、俺が不審者の気を引いている間に、カレンが魔法で何とかしてくれ」
そうすれば、カレンへのリスクも最小限になるはずだ。
「分かった。任せて」
カレンは頼もしく同調してくれた。
桃音さんも渋々ながら納得してくれたらしく、もう反対しなかった。
慎重に背後を盗み見ると、ストーカーはさっきよりも確実に接近していた。
小柄で、痩せ気味。
フードを深く被っていて、容姿までは分からない。
いよいよ俺達は、曲がり角に差し掛かった。
俺だけ立ち止まり、カレンと桃音さんが角を曲がったのを確認してから、意を決し振り返った。
桃音さんを脅かすストーカーと対峙する。
俺は声が震えないように気をつけながら、言葉をぶつける。
「俺達に何か用か」
不審者は、何も言わず、ただ立っているだけだ。
「だんまりかよ。お前、最近俺と桃音さんの後を付けてたそうじゃねーか。こんなこと続けて、どうなるか分かってるのか」
もっと穏便にした方がいいと理解していても、恐怖を隠すための虚勢と、こいつが桃音さんを苦しめているという怒りで、どうしても語気を荒げてしまう。
依然として沈黙の権化となっている不審者の前に、突然光る球体が出現した。
次の瞬間、光の球はドーナツ型に拡大し、光の輪となった。
そして、不審者を囲んだかと思うと、すぐさま縮小し、不審者の両腕を胴と一緒に縛るように拘束した。
カレンの魔法だ。
上手くいったみたいだ。
作戦は成功したかに思われた。
――しかし、不審者を拘束する光の輪は、すぐに弾けるようにして消滅した。
「なんで?」
曲がり角から出てきたカレンが、喫驚した様子で声を上げた。
俺も、カレンの後ろについている桃音さんも、言葉を詰まらせた。
「神城カレン」
不審者が初めて喋った。
中性的な声音だ。
だが、どうしてカレンの名前を発したのだろう。
不審者はおもむろにフードを脱ぐ。
肩くらいの長さの白い髪の毛が、一瞬広がった。
同い年くらいの少女だった。
すっきりとした輪郭に、端正な目鼻立ちをしている。
深紅の双眸は、寒気を感じるほど冷たく鋭い。
おそらく海外の子だ。
この子が桃音さんにつきまとっていたのか?
本当に?
「お前が桃音さんを付け狙ってたんだよな」
「何の話だ」
少女は俺を一瞥してから、肩をすくめた。
「犯人じゃなかったのか。じゃあ、お前は一体何者なんだ?」
「お前に聞かれたから答えるみたいで、いささか癪だが、自己紹介した方がこちらとしてもやりやすい。オレはシルヴィア・シュバルツ。神城カレンと同じ魔法使いの里の者だ」
カレンの魔法を消滅させた時点で、そうかもとは思っていたが、こいつもやはり魔法使いのようだ。
「カレンはこいつのこと知ってるのか?」
俺が聞くと、カレンはかぶりを振った。
シルヴィアがカレンを見据える。
「神城カレンに、里長から一つ伝言がある」
「何かな?」
「あまり人間の前で、魔法を使うな」
彼女は冷たく言い放った。
急に現れて、なんで偉そうにされてなければいけないんだ。
「どういうことだ? 里長って誰だ」
俺の疑問に、カレンが答える。
「里長っていうのは、魔法使いの里で一番偉い魔法使いのことだよ」
「なんでその偉いやつが、カレンに魔法使うなって言ってんだ?」
シルヴィアが話に入ってくる。
「それを今から神城カレンに説明してやるところだ。いいか。魔法使いの間では禁秘とまでは言わないが、暗黙の了解として、魔法を内密にするという約束事が存在する。だから、里から出てはいけないという厳密なルールはなくとも、魔法使い達は里で一生を過ごす。そうすることで、我々のコミュニティは脈々と存続してきた」
彼女は少し顔を曇らせる。
「しかし、ある日里を出たいと言い出した魔法使いが現れ、それがよりにもよってお前だった。お前は里でも有名なトラブルメーカーだったから、里長は大層不安がった。そこで、オレを使いに出すことを考えたというわけだ。オレはお前がこの街に引っ越してから、お前の行動を監視し、逐一里に報告している。しかも、お前が同じアパートの住人と仲良くしているせいで、そこの二人も含めて、オレは彼らのことも多少監視せざるを得なくなった」
なるほど、桃音さんが恐れていた視線は、もしかするとこいつの監視の目だったのかも知れない。
シルヴィアは俺と桃音さんに視線を向けた。
「この話をお前達人間にすること自体、本来は好ましくないが、お前達はもう他の人間よりも魔法と深く関わってしまっていうから、今更という感じだ。いざとなれば――それは今話さなくてもいいか」
彼女は何か言いかけたが、意味ありげに切り上げ、再びカレンを見やった。
「はっきり言うが、お前は今かなり危ない立場にある」
「危ないって?」
「早い話が、これ以上人前で魔法を使い続ければ、魔法使いの里に強制的に連れ戻さなければならなくなるということだ」
俺と桃音さんは絶句した。
それを他所に、シルヴィアは続ける。
「勘違いされては困るが、オレはお前に対し、別にネガティブな感情を持っていない。かと言って、良く思っているわけでもないがな。身も蓋もない話だが、お前がどうなろうが知ったことじゃない。オレは、お前を監視し里に報告する、という与えられた役割をこなすだけだ」
彼女はカレンにぐっと近づく。
「そういうことだから、伝言の件、肝に銘じておけよ」
そこまで饒舌に喋っていたが、途端に飽きてしまったように口を閉ざした。
そして、体を翻し、立ち去ろうとしたが、忘れ物でもしたかのように踵を返した。
「最後にもう一つ。間違ってもオレ相手に、力づくで何とかしようとか思うなよ。お前がオレを屈服させるのは不可能だ」
そう言い残し、シルヴィアは本当に去っていった。
お前がオレを屈服させるのは不可能。
シルヴィアを拘束していた光の輪が、いとも簡単に消失した映像がフラッシュバックした。
読んでくれて、ありがとう。