5章 3話 練習
放課後、一旦家に帰り、約束の時間に桃音さんを迎えに行くというスケジュールをこなし、金曜日の夜になった。
夕食を終え、一人でだらだらしていると、玄関のチャイムが鳴った。
ドアを開けると、手提げのバッグを持った桃音さんが立っている。
「今、時間ある?」
「大丈夫ですけど。晩御飯食べ終わって、ゆっくりしてたところです。上がります?」
「えっと、ちょっと外に出られない?」
「いいですけど、こんな時間にですか?」
「今からお芝居の練習に付き合ってほしいの」
桃音さんが珍しく焦った様子で言った。
「練習ならさっきさんざんやってましたよね。まだし足りないんですか?」
「手応えがないのよ」
桃音さんは俯いて答え、話を続けた。
「明日は多目的ホールで練習できないの。他の団体さんの予定が入ってて。だから学校で練習するんだけど、もう大道具、小道具とか衣装は多目的ホールに置いてるから簡単な練習しかできないのよ。だからちょっとでも多く練習して、不安感を和らげて、本番に臨みたいの」
ここまで逼迫している桃音さんは、初めてかも知れない。
「俺なんかで良ければお手伝いしますけど、演技とか全然できませんよ?」
「台本渡すから、私の恋人役の台詞を喋ってくれればいいわ。この物語の主人公である青年と、私が演じるお姫様のラブシーンを練習したいんだけど、猛丸くんにはその主人公の青年をしてほしいの」
桃音さんは持っていた手提げから、台本を出し、俺に手渡した。
「さすがに俺が台本見るのは、良くないと思うんですけど」
「だから、大丈夫よ。あなたは私の練習相手なんだから」
俺は演劇部では一体、どんな立ち位置だと思われてるんだ?
とにかく、俺達は近所の小さな公園に向かった。
そこなら住宅街から少し離れているから、多少声を出しても迷惑にならないだろうし、外灯も比較的多いのもうってつけだ。
到着すると、桃音さんは俺に渡した台本をぺらぺらとめくる。
「この青年とお姫様は身分違いの恋をしているの。お姫様の許嫁である騎士団長との戦いや、父親である国王の反対を乗り越えて、恋は成就するんだけど、最後に二人を隔てる高い壁が現れるの。その壁っていうのが、悪い魔法使いってわけ。この悪い魔法使いは国を滅ぼそうとしていて、青年は帝国騎士団と一緒に戦い、何とか討伐するんだけど、最後の最後で、お姫様は死の呪いをかけられてしまう。その呪いを青年とのキスで解呪して、晴れて二人は結ばれ、皆から祝福されるっていうストーリーよ」
桃音さんは矢継ぎ早に大筋を説明し、あるページで指を止めた。
「一緒に練習してほしいのは、この最後のシーンの少し前あたりからよ」
嫌な予感がし、台本を見ると、やはりそうだった。
「キスシーンもやるんですか?」
ラブシーンの練習、キスで解呪と聞いて、そうかもと思っていたが、本当にするのか。
「振りだけ。ね? それならできるでしょ」
逃げ腰になる俺に、桃音さんは両手を合わせて、頭を下げた。
「分かりましたよ」
それからハンディライトを渡され、それで台本を見ながら、二人で台詞を合わせ、動きを確認する。
キスシーンの少し前くらい、青年がお姫様を悪い魔法使いから守りながら戦うところから練習する。
それを何度か繰り返すと、桃音さんが台本を閉じた。
「それじゃ、一度通してやってみましょう。猛丸くんは台本を持ったままでいいからね」
俺は少し緊張しながらも、青年役を演じる。
棒読みだし、動作もぎこちないが、メインは桃音の稽古だからいいだろう。
その桃音さんは、迫真の演技だ。
この距離で、真剣にお芝居をしているところなんて見たことがないから、すごく新鮮だ。
物語は進み、お姫様に呪いがかけられていることを知って、青年が動揺するシーン。
青年役である俺が、お姫様役である桃音さんの肩を掴み、強い語調で言う。
「姫様、呪いのことをどうして黙っていたのです」
「あなたに心配をかけたくなかったの」
桃音さんが目を伏せ、沈痛な面持ちで答えた。
そして、ゆっくりと俺の手を払い、
「私はもう助かりません。どうか、私のことはお忘れください」
俺は背を向けようとする桃音さんの腕を掴む。
「待ってください。魔法使いの呪いは、愛する者同士の口づけでのみ、解呪できると聞いたことがあります」
「そんなの噂だわ。きっと無理よ」
俺の手を振りほどく桃音さん。
俺は諦めず、
「姫様、私を信じてください。本当に愛し合い、お互いに信頼していなければ、呪いは解けないのですよ」
そう訴えて、もう一度腕を掴もうとする。
しかし、桃音さんの体がぐらりと揺れ、俺は倒れる桃音さんを抱き止めた。
「姫様。悪い魔法使いの呪いが、全身を蝕んでいるのですね」
桃音さんの顔を覗き込む。
俺の中にわずかな違和感が浮かび上がる。
ここまでは台本通りなのだが、さっきまでの練習では、こんなに苦しそうにしてなかった。
息遣いが荒く、汗の量が尋常ではない。
これは演技なのか?
それとも、本当に?
ダメだ、分からない。
台本ではこの先、姫様が「私はもう駄目です」と呟き、青年が「お気を確かに。私が必ず、助けてみせます」と言って、姫様を抱きしめることになっている。
もし、本当に具合が悪くなったのなら、このままでは良くないと思い、声をかけようとしたとき、桃音さんが薄っすらと目を開けた。
「……猛丸くん、私の鞄に、……薬と水が入ってるの。取ってくれない」
やっぱり本当だったんだ。
今更だけど、ゴブリンスレイヤーおもしろい。