4章 7話 リボン
夕食時、俺とカレンは火々野の部屋を訪れた。
火々野もオモチも部屋にいた。
「オモチ、これ」
張り紙をテーブルの上に置いた。
張り紙は同じものが何枚か印刷されていて、自由に持っていけるようになっていた。
オモチはそれを見ると、全てを察したようだった。
「お前さえ良ければ、すぐに電話しようと思うんだけど」
張り紙には、飼い主の電話番号もしっかり書かれている。
俺が聞くと、オモチは黙り込んでしまった。
決めかねている、というより言いかねているのだと、俺は思う。
「嘘吐いてたんだな。ちゃんと飼い主いるじゃねーか」
火々野の冷たい声が、静寂を打ち破った。
「お前なんかどこへでも行っちまえ。もう顔も見たくない。出てけ」
火々野はそれだけ言って、布団に潜り込んでしまう。
カレンと顔を見合わせると、同じ考えらしく、首を横に振った。
今はそっとしておこう。
俺達はオモチを連れて、俺の部屋に移動した。
「オモチ、さっきの話だけど」
「俺は飼い猫だ。嘘吐いててすまなかった。俺の飼い主が最近子猫を飼い始めたんだが、そいつにばかり夢中になって、それが原因で家出したんだ。早い話が、嫉妬だよ」
オモチは自虐的な笑みを湛えていたが、真面目な声色で、
「電話してくれ。そもそも俺の中で、もう飼い主への怒りはなかった。ただ意固地になって自分からは帰れなくなってたんだ。引っ込みがつかなくなってる部分があった。だけど、あの張り紙を見たとき、そんなもの全部吹き飛んだよ」
最後は晴れやかに言ったが、少し悲しそうに俯く。
「それに響もああ言ってるしな。あれで気持ちが固まったよ」
「オモチ……」
「どう考えても、嘘吐いてた俺が悪いんだ」
話の後、俺はすぐに張り紙の電話番号に連絡した。
写真の子の母親と思われる人が出て、とても感謝してくれた。
今日はもう遅いからと、俺達に配慮し、土曜日である明日の午前十時にクロユリ荘に迎えに来てくれることになった。
オモチと一緒にクロユリ荘の皆にお別れの挨拶をして回った。
火々野には部屋の外から、待ち合わせの時間と場所だけを伝えた。
オモチは俺の部屋に泊めることにし、タオルで簡易ベッドを作ってやった。
俺はもやもやした気持ちのまま、眠りについた。
翌日の午前九時三十分。俺とカレン、それにオモチはクロユリ荘の前で立っていた。
三人とも何となく早く起きてしまい、手持ち無沙汰で部屋にいたのだが、オモチの飼い主が到着して誰もいなかったら悪いと思い、こんな早くから待つことにしたのだ。
「リボンがない」
唐突に、オモチがそう呟いた。
首輪に付いていたリボンがなくなっている。
どこかに落としたようだ。
やはりオモチも、相当参っていたのだろう。
「あれって手作りだったんだろ。付けてからそれなりに時間も経っているようだったし、首輪との接合部分が弱くなっていたんじゃないか」
たぶんあれを作ってつけたのは、あの写真の子だ。
オモチが慌てた様子で、
「あれは大事なものなんだ。それを失くしちまうなんて、俺はどうかしてるぜ」
「探そう。昨日はあってよね。だから今日クロユリ荘のどこかで落としたんだよ」
カレンが走り出した。
俺とオモチもカレンに続き、リボンを探し始める。
俺達はクロユリ荘の住人にも声をかけて、総出で探したが、結局見つからなかった。
そして、約束の時間の十分前。
張り紙の写真に映っていた、十歳くらいの女の子と母親が遠くに見えた。
オモチが気づいたのだ。
大勢で出迎えると相手に気を使わせるかも知れないので、代表して俺とカレンがクロユリ荘の前に出た。
「時間が来たようだ。短い間だったけど、お前らと過ごせて楽しかったぜ」
「私も楽しかったよ」
カレンがオモチの頭を撫でた後、俺は何気なく言う。
「オハギにもそう伝えておくよ」
オモチが俺を見つめ、おもむろに、
「一つだけ頼まれてくれないか」
「なんだ?」
「響のこと、気にかけてやってくれ」
オモチはまだ距離のある女の子を一瞥し、
「あいつには俺がついてなきゃいけないからさ。響はお前が見てやってくれ。響はさ、寂しがり屋で、素直じゃないだろ。だから誰かが側にいなくちゃいけない」
「分かった。任せとけ」
「男と男の約束だぞ」
俺達が頷き合うのを見てから、カレンがオモチの口に人差し指を当てた。
「魔法、解くね」
一瞬強い光が差し、カレンが指を離した。
「にゃー」
普通の猫の鳴き声だった。
オモチはもう、人の言葉を話さなくなった。
女の子が泣きながら、駆けてくる。
「シロ!」
それがオモチの本当の名前なのだろう。
女の子はオモチを抱き締めた。
「シロ、心配したんだよ。もうどこにもいっちゃダメだからね」
女の子と母親が遅れて到着し、お礼を言われる。
俺は反対に頭を下げ、
「いえ、実はその猫が付けてたリボン、失くしてしまって。さっき無いことに気付いたもので、探したんですけど見つからなかったんです」
「それならちょうど良かったです。ほら」
お母さんはそう言って女の子を見た。
すると、女の子が服のポケットから何か取り出した。
「シロ、これ誕生日プレゼント」
女の子が手に持っているのは、新しいリボンだった。
オモチは首輪にその新しいリボンを付けてもらい、女の子に抱き上げられた。
いよいよ、これで本当にお別れだ。
女の子とお母さんは頭を下げ、クロユリ荘を後にする。
「オモチ!」
火々野が現れ、俺とカレンのすぐ横を駆けていく。
オモチが女の子の腕の中から、勢い良くジャンプした。
火々野とオモチは、互いに駆け寄る。
オモチが火々野に向かって飛び跳ね、火々野はオモチをしっかりと抱きとめた。
火々野の双眸からは、まるでダムが決壊したように、とめどなく涙が溢れている。
オモチはもう喋れない。
ただ「にゃー、にゃー」と鳴いている。
でも、月並だけど言葉はいらないのだろう。
二人の元に女の子とお母さんが歩いてきた。
女の子は火々野ににっこりと笑いかけた。
「いつでも来てね」
「いいのか?」
お母さんに視線を向けると、笑顔で頷いている。
女の子はオモチを撫でつつ、
「その方が、シロも喜ぶと思うし」
「そうか。シロって名前なのか」
「お姉ちゃんが呼ぶときはオモチでいいよ。お姉ちゃんたちにとっては、オモチなんでしょ」
オモチは女の子に抱かれ、今度こそ去っていった。
見送った後、火々野が何か持っていることに気がついた。
それは、真新しいが、どこか歪な真っ赤なリボン。
「火々野、それ」
「元々付けてたやつが取れそうだったからさ、新しいの作ったんだよ。だけど、これはもう要らないみたいだな」
強がって明るく言う火々野の肩をそっと叩く。
「今度一緒に、オモチに会いに行こうぜ」
「うん」
火々野は八重歯が覗くほどの笑顔で、大きく頷いた。
今の読者はどういうラノベを読みたいのだろう。