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4章 6話 張り紙

「やっぱりあの二人はいいな~」


 美志緒先輩の部屋を出た後、オモチが言った。

 桃音さんと美志緒先輩のことだ。


「優しくて、包容力があって、美人で」


 オモチが飼い猫だとしたら、飼い主はどんな人だったんだろう。


「やっぱりそういう人に飼われたいのか?」

「そうだな。俺の飼い主もガキっぽいやつでさ」


 火々野のことだろうか。

 オモチの話に慎重に耳を傾ける。


「新入りの子猫に夢中になりやがって、俺のこと放ったらかしにしてよ」


 それって――、と言おうとしたとき、


「こんなところで何してるんだよ、オモチ」


 買い物袋を提げた火々野が、クロユリ荘に帰ってきた。

 もう仲直りしているようで、普通に話しかけている。

 火々野は俺を見てから、


「そっちのやつは?」

「俺の――」

「もういいよ!」


 何回目だよ。

 オモチが買い物袋をバシバシと叩く。


「帰って飯にしようぜ」


 まだ食うのか。

 オモチが他でも食事をご馳走になっているのを知らない火々野は、


「分かった、分かった。黒いのも付いてこいよ」


 火々野の部屋で、山盛りのキャットフードが、俺とオモチの前に一皿ずつ差し出される。

 ……食べられない。

 もうお腹いっぱいだ。


 オモチは平然と食べ進めている。

 よく食べられるな。


「食べないのか?」


 火々野は項垂れる俺にそう聞き、続けて、


「そうだ。風呂に行こうぜ」


 と目を輝かせて言った。

 火々野は猫と一緒に風呂に入りたいという願望を持っている。

 一度オモチを誘っているのを見たことがあるが、風呂は嫌いだと断られていた。

 だから、俺でその密かな願望を成就させようとしているのだ。


 逃げるしかない。

 だってこの状況は、何とも卑怯じゃないか。


「逃げるなよ」


 駆け出そうとしたが、すぐに掴まれてしまった。

 さすがに猫の扱いには慣れている。感心している場合じゃない。

 オモチに助けを求めようとしたが、気持ちよさそうに寝ている。

 皿は空になっていて、その食べっぷりと奔放さは、あの銀髪を思い出させる。


「こら、暴れるなって」


 火々野にしっかりと抱えられ、浴室に連れて行かれる。

 脱衣を始める火々野。

 上はキャミソールのような下着で、下は……まさかまたクマと会うことになるとは思わなかった。


 瑞々しい肌が晒されていく。

 必要な肉もないが、無駄もなく、どこもかしこも細くて小さい。

 ついさっき美志緒先輩の下着姿を見たが、あれは着替えが目的だった。

 しかし、今回の場合は違う。


 火々野は上の下着を脱ぎ捨てる。

 薄く浮かび上がった肋の上には、限りなく平面的な胸部が広がっている。


 そして、そこには二つの桃色の蕾が……あわわわ。

 いわゆる幼児体型なのだが、興奮してはいけないという思いに反するように、湧き上がる劣情が背徳感を喚起させる。


 俺は浴室から大脱走した。

 性的な好奇心と興奮を押し殺し、パンツに手をかけていた火々野を置き去りにして、一目散に疾走する。


「あ、おい!」


 後ろから呼び止める声が聞こえるが、振り返るわけにはいかない。

 部屋では、オモチが気持ちよさそうに眠っている。

 ムカついたので一発猫パンチしてやろうかと思ったが、今は緊急事態で時間的猶予はない。


 わずかに開いていた窓から、外に飛び出した。

 服を着直して、捕まえに来るかもしれないから、クロユリ荘から離れる。


 火々野が現れて決定的なことは聞けなかったが、オモチの事情は何となく分かった。

 オモチには飼い主がいて、その飼い主への不満からオモチは家出をしているのだ。

 魔法で猫を喋れるようにしたせいで、反対に真実から遠ざかっていたようだ。

 まったく皮肉な話しだね。


 オモチはどうしたいのだろう。

 飼い主のところに帰りたいのだろうか、帰りたくないのだろうか。

 俺はどうすればいい?


「猛丸!」


 突然名前を呼ばれた。

 カレンが立っていて、こちらに近づいてくる。


「良かった見つかった。もうすぐ猛丸にかかった魔法が解けるよ」


 カレンの言う通り、それから間もなくして、俺は人間の姿に戻った。


「どう? うまくいった?」


 難しい質問だ。

 目的は達成したが、新たな問題が発生した。

 肯定も否定もしない俺の反応を見て、カレンは心配そうに聞く。


「何かあったみたいだね。良かったら話してよ」

「オモチは十中八九、飼い猫だ。だけど飼い主に不満があって、家出状態みたいだ。正直に言って、どうすればいいか分からない。オモチの機嫌が直るのを待って、それとなくどうしたいか聞くしかないと思ってる」

「オモチはたぶん、帰りたくても帰りたいって言わないよ。意地っ張りだもん」


 カレンが苦笑いした。

 俺もつられて微苦笑する。


「確かにそうかもな」


 俺達はクロユリ荘に戻り、庭から火々野の部屋を眺める。

 俺が脱走したときのまま、サッシが少しだけ開いている。

 その隙間からそよ風が室内に入り込み、開きっぱなしのカーテンを優しく揺らしている。


 オモチはまだ寝ていて、寄り添うように火々野も眠っていた。

 シャワーから上がってそのまま横になったのだろう。

 すやすやと幸せそうな顔で眠る、一人と一匹。


「飼い主さんはどんな気持ちなんだろうね」


 カレンがふいに呟いた。

 飼い主の気持ちか。

 飼い猫がいなくなって、どう思っているのだろう。


 考えたくはないが、オモチに対して愛情がなくなっているかも知れない。

 だとしたら、オモチがあんまりだ。

 それなら、このままここで暮らす方が良いのではないだろうか。

 でも、それは俺達が憶測で話したり、決めたりして良いことじゃない。


「飼い主を探そうか。俺達のところにあなたの飼い猫がいますよって、伝えるだけ伝えよう。それで飼い主にその気があれば、それからオモチの気持ちを聞いても遅くないだろ」


 これが正しいかどうかは分からない。

 でも、何かが手遅れになる前に、俺にできることをやりたい。


 しかし、場合によっては、今のままではいられなくなる可能性がある。

 そうなると、一人の少女の笑顔という犠牲を払わなければならなくなる。

 戸惑いを浮かべる俺に、カレンが微笑を湛えて言う。


「私もそれがいいと思うよ。一緒に頑張ろう」


 俺が頷くと、カレンがもう一度微笑んでくれた。


「じゃあ、飼い主さん探しだね」

「そうだな。でも、どうやって探せばいいんだろう」


 そこに本屋の名前の入った紙袋を提げた伊織が現れた。


「そんなところで何してるんですか」

「いや、ちょっと困ったことがあってな」


 何から話そうかと迷っているうちに、カレンが身を前に乗り出した。


「ねぇ、伊織。ペットの飼い主って、どうやったら分かるか知ってる?」


 伊織は一瞬考える素振りをしてから、口を開いた。


「それってもしかして、オモチさんの飼い主を探してるってことですか?」

「なんで分かったの?」


 驚くカレンに、伊織は冷静な口調で、


「イタズラで首輪をはめられたのに、外さなくていいという野良猫が登場し、しばらく経ってから世話役がペットの飼い主を探していると来れば、誰だって大方の予想はつくでしょう」


 伊織がそのまま続けて言う。


「オモチさんの飼い主、調べる方法は一応あります。絶対に判明するとは限りませんけど」

「本当か?」

「はい。ペットには個体識別をするために、マイクロチップという電子機器が体内に埋め込まれています。もちろん、全ての飼い猫になされているわけではありません。マイクロチップの有無は、動物病院や動物保護センターにあるマイクロチップリーダーで調べられます。無いところもあるので、向かう前に確認が必要です。動物病院には迷子の届けもありますから、マイクロチップリーダーの当てが外れても、まったくの徒労にはなりませんよ」


 ということは、オモチを動物病院に連れて行かなければならない。

 つまり、前もってオモチに飼い主を調べていることを話す必要があるということだ。

 遅かれ早かれ言わなければならなかったし、それはいい。


 だけど、果たしてオモチがすんなり付いてくるだろうか。

 伊織に礼を言って、俺とカレンは部屋に帰らず、外に出かけた。

 クロユリ荘にいると、どうしても火々野とオモチの声が聞こえてくる。


「なんて言って連れて行こうか」

「正直に話すしかないよ。それに案外、おとなしく言うこと聞いてくれるかもよ」


 俺が聞くともなく言うと、カレンがそう答えた。

 何となくコンビニに行こうということになり、向かっていると歩道に並ぶ電柱に張り紙がしてあった。

 俺達はそれを見つけた瞬間、同時に立ち止まった。


 その張り紙は、一匹の白猫の写真が引き伸ばされたものだった。

 白猫の首には、赤い首輪とリボン。

 そして、一緒に幼い女の子が映っていて、彼女のものと思われる拙いが懸命な字で――この猫探しています、と書かれていた。


 見ろよ、オモチ。

 可愛い飼い主が、お前のことを探してるぞ。

本当はこういうのだけ書きたい。

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