4章 4話 変身
「もしかしたら、オモチは飼い猫なんじゃないかな」
火々野の部屋を出てから、俺はカレンに自分の考えを話してみた。
「オモチが嘘をついてるかも知れないってこと?」
カレンは驚きつつ、眉をひそめた。
「本人は流離いだって言ってるけど――」
リボンについて話すと、カレンは考え込む顔つきになり、
「飼い主がいるとして、なんで私達に隠してるんだろうね」
「さぁな。何かは分からないけど、野良猫だと偽る必要があるんだろう」
「リボンのことと一緒に直接聞いたら、正直に話してくれるかな」
「どうだろうな。秘密にしてる理由にもよるんだろうけど、わざわざ嘘吐くくらいだから難しいんじゃないか。下手に追求して警戒されるのも嫌だし」
「猛丸は怒ってる?」
不意にカレンが尋ねてきた。
「なんで?」
「オモチが私達に嘘を吐いてるかも知れないから」
「怒ってはないよ。あいつにはあいつの事情があるんだろうし、秘密にしてる理由が、俺達にとって許せない理由だってちゃんと分かるまでは怒れないよ」
「もし理由が分かったら、猛丸はどうしたいの?」
「そりゃオモチが何かに困ってて、俺達にできることがあるなら、力を貸してやりたいよ」
カレンは意味ありげに微笑んだ。
「なんだよ」
「ううん、なんでもない。ただ、私も猛丸と同じ考えだよ」
「だったらいいけど。オモチの考えを知る手段があればいいだが」
考えを巡らせていると、
「猫になればいいんじゃないかな」
カレンが素っ頓狂なことを言い出した。
カレンは眉宇に自信を漂わせ、
「私達が人間だから話しにくいんだよ。だから、猫になれば話しやすいと思うんだよね」
カレンは魔女だろと思ったが、オモチからすれば人間と同じような立場だという意味だろう。
聞いた直後は驚いたが、猫になるということが異常なだけで、作戦としては一理ある。
「やるだけやってみるか」
「じゃあ、立ったまま動かないで」
「なんで?」
「なんでって、猛丸を猫に変身させるからだよ」
てっきりカレンが猫になると思っていた俺は、抗議する。
「なんで俺なんだよ。カレンでもいいだろ」
「私は魔女だから、オモチに感づかれるかも知れないし」
魔女と猫は相性が良いというカレンの言葉と、カレンの腕の中でおとなしくなったオモチを思い出す。
猫が魔女の気配を察知する可能性は充分ある。
「分かったよ」
俺は渋々納得した。
早速カレンが呪文らしきものを唱える。
光の粒子が俺の体を包み込み、暖かさを感じていると、突然視界が真っ白になった。
反射的に目を眇め、再び視界が正常に戻ると、さきほどまでと景色が変わっていた。
膝の下の位置にあったはずのテーブルが、今は頭よりずっと上の高さだ。
大きさも違って見え、頭上を覆う建造物になっている。
もちろん、テーブルだけではなく、家具を始めとする全てのものが巨大化している。
「猛丸、鏡」
空から声が降ってきた。
巨人と化しているカレンが、手鏡を差し出してきた。
覗き込むと、一匹の黒猫が映っていた。
ピンと張った耳と、生意気そうな目。
試しに右手をひょいっと上げると、その動きと全く同じように、鏡の中の黒猫の左前足が上がった。
本当に猫になった、と言おうとした。
しかし、
「にゃんにゃーにゃ――」
あれ? 今のって、と言葉を発したつもりだったのだが、
「にゃにゃ、にゃにゃにゃっにゃ」
……人の言葉が話せなくなっている。
いろいろな日本語を声に出してみるが、全てにゃーにゃーになってしまう。
実験している俺に、カレンは可笑しそうに笑いながら、
「猛丸ったら、猫になってテンション上がってるの?」
ちげーよ!
「にゃにゃーにゃ!」
「そんなにはしゃいじゃって。可愛いところあるんだね」
だからちげーって! とは、もう言わなかった。
カレンが俺の頭を撫でてから抱き上げた。
すると、今まで胸の中に渦巻いていた不安や困惑が溶かされていく。
オモチの気持ちが分かったと同時に、猫になったという自覚が訪れる。
「私がいると邪魔だから、ここからは猛丸に任せるね」
カレンは俺をオモチの近くまで運び、去っていった。
クロユリ荘の庭の静かな場所。
「ここ、いいか?」
平静を装って声をかけると、オモチは俺にじっと視線を向けた。
「見ない顔だな」
俺だとバレていないようだ。
それに、言葉も通じている。
ここに来る前カレンが言っていた通り、オモチは猫の言葉も使えるらしい。
「放浪中で、たまたま通りかかったんだ」
「ふーん。俺も居候の身だ。だからこの場所は別に俺のものじゃないし、好きにしろよ」
俺はオモチと並んで丸くなる。
不自然にならないように、
「居候? 前はどこにいたんだ?」
「ここではない、どこかさ」
無駄にカッコつけてんじゃねぇよ。
相手が人間でも猫でも、関係ないらしい。
オモチが俺を見て感心したように言う。
「しかし、このスポットを見つけるとは、なかなか見る目があるな。よし、付いてこいよ」
あまりしつこく聞いて怪しまれるのも嫌だし、ここはしばらく様子を見よう。
どこかへ向かって駈け出すオモチに付いていく。
オモチが軽快にジャンプし、俺もそれに倣う。
猫になったおかげか、人間の頃とは比較にならないほど、身体能力が上がっている。
到着したのは、桃音さんの部屋のベランダだった。
オモチが肉球付きの手で、ベランダのサッシを叩くと、カーテンが開き、桃音さんが立っていた。
桃音さんは俺達を快く迎え入れてくれる。
俺を一瞥してから、
「オモチくん、今日はお友達も一緒なの?」
「こいつは俺の子分みたいなもんだよ」
「なんでだよ!」
もちろん、俺の「なんでだよ」だけ「にゃー」だ。
桃音さんは柔和に微笑み、
「そうなの? さすがオモチくんね」
子分扱いされるのは面白くない。
オモチを露悪的に揶揄する。
「オモチって名前、よく似合ってるな」
「そういうお前の名前はなんだよ」
不機嫌そうにオモチが聞いてきた。
まずい、決めてなかった。
咄嗟に自分の容姿の黒から連想でき、かつオモチの嫉妬心を煽るような名前を口にする。
「クロノスだ」
「ずるいぞ! そんなイカした名前しやがって!」
俺達の会話はオモチの発言も含め、桃音さんには「にゃー」「にゃー」としか聞こえておらず、微笑ましそうに眺めている。
「桃音、こいつの名前は『オハギ』だ」
「おい! 嘘言うな」
オモチが桃音さんにデタラメを言うのを非難するが、俺の言葉は桃音さんには届かず、
「そっか。オハギくんっていうんだ」
「違いますよ!」
俺は必死に否定するが、
「ふふ、元気な子ね」
桃音さんは俺の頭を優しく撫でた。
何という心地よさ。
怒っていたのがどうでも良くなる。
「オモチくん、今日もあるわよ」
桃音さんは奥に引っ込んだが、すぐ戻ってきた。
その手には、キャットフードがある。
「桃音はホントに気が利くよな」
「褒めても何もでないわよ」
「いやいや、優しいし美人だし」
オモチのやつ、こうして頻繁に桃音さんから飯をたかっているようだ。
俺とカレン、火々野が当番制で食事を提供しているっていうのに……。
オモチを恨めしく睨むと、
「オハギくん、あなたにも」
羨ましがっていると思ったらしく、桃音さんは俺にも同じキャットフードをくれた。
普段は何の興味もないのに、異常なほど食欲がそそられる。
躊躇なくスティック状のキャットフードをかじる。
めちゃくちゃうまい!
俺は我を忘れてひたすら貪る。
「夢中で食べちゃって、かわいい」
突然、桃音さんに抱き上げられた。
わわ!
大きな胸に埋まっていく。
ふかふかだ。
ふわりとした甘い香りに包まれる。
溺れる!
そして、顔が近い!
苦しいが、いつまでもこうしていたくなる。
このままだといろいろヤバいと思い、必死で魔性の楽園から逃れる。
「いつまで食ってんだよ。次行くぞ」
オモチが少し呆れた口調で急かし、俺達は桃音さんの部屋を後にした。
チョコレートおいしい。