3章 3話 ダンシングラビット
天候にも恵まれた翌日の昼下がり、俺とカレンは駅前で、石動を待っている。
石動が、一緒にクロユリ荘を出るのではなく、待ち合わせたいと言ったのだ。
その方がデートらしいということと、もう一つ理由がある。
今日のデートは、隠密に遂行することになっている。
石動の「秘密」が露見する可能性を少しでも小さくするためだ。
別々にクロユリ荘を出た方が、そういうリスクを軽減できると判断したのだろう。
駅前は前衛的な造形のオブジェがあることで有名で、デートではお決まりの待ち合わせ場所だ。
辺りを見回すと、一人で待っている若い男女がたくさんにいる。
時間丁度に、石動が登場した。
淡いブルーのワンピースを着用していて、大人しめのフリルが、石動の雰囲気と合って、良いアクセントになっている。
クロユリ荘で見かける部屋着は地味というか、無頓着な格好ばかりだし、こういうお出かけ用の服装は初めて見るので、とても新鮮だ。
石動は頬を上気させ、目を伏せながら、俺達の前へ来た。
そして、小さなバッグを掴んでいる両手をもじもじとさせ、上目遣いをする。
「待ちましたか?」
「十分くらいな」
正直答えた俺に、カレンが、
「そこは今来たところだよって言わないと」
と注意し、それから石動の全身を眺めた。
「伊織、その服似合ってるよ。すごく可愛い! 猛丸もそう思うよね?」
心の準備を許さないタイミングで、個人的にデリケートなコメントを求められ、逡巡してしまう。
その一瞬の間で、石動の表情が緊張したのが見え、俺は咄嗟に答える。
「俺も似合ってると思うけど」
「そうですか。それはどうも」
石動は俺の方は見ず、呟くように言った。
俺はくすぐったい空気をかき消すように、
「ここにいても仕方ないし、早く始めようぜ」
「はい。ですが、その前に一つお願いがあるのですが」
石動がそう言うので、言葉の先を促すと、
「今日一日は、下の名前で呼び合いましょう。その方が、雰囲気が出ると思いますし」
「別にいいけど」
それが石動の希望なら、そうしよう。
「では……えっと、猛丸くん」
「おう。その、……い、伊織」
俺と石動の間に、恥ずかしさ生んだ沈黙が居座る。
そんな雰囲気など意に介さず、カレンが口を開いた。
「昨日勝手に伊織の部屋に入っちゃったから、そのお詫びと思って考えたんだけど、」
嫌な予感しかしない。
「伊織は恋愛小説を書くためにデートしようって言ったんだよね。だからね、デートしてる間、どんなときにお互いがドキドキするか分かる魔法があるの」
カレンの提案に石動は思案顔をした後、
「参考になるかも知れません。お願いします」
「本当にいいのか?」
カレンの魔法で救われたことがあるのは紛れもない事実だが、困ったこともある。
俺としては慎重になってしまうが、石動の意志は固かった。
「はい。執筆のためになるなら」
「じゃあ、決まりだね」
カレンが俺達を建物の陰に連れて行く。
そして、瞑目し、両手を上へ向けて前に出す。
すると左右の掌に、風紀委員室で見た幾何学模様が浮かび、光を放つ。
こういう非日常的な光景を目の当たりにすると、やはりいちいち圧倒されてしまう。
石動も俺と同じように、目の前で起きていることに見入っている。
やがて、その魔法陣と呼ぶに相応しい文様が、一際強く輝き――小さなうさぎのぬいぐるみが現れた。
二足で直立し、人を小馬鹿にするような顔をしている。
決して可愛くはない。
「ダンシングラビット一号と二号だよ。ドキドキすると、音楽が流れてダンシングラビットが踊るの」
カレンの話によると、このダンシングラビットとやらを俺と石動に一匹ずつ付けて、お互いがドキドキ、つまり心拍数が上がったときに、こいつらが反応するということらしい。
二匹のうさぎが、それぞれ俺と石動の近くに浮遊する。
「これ目立ちすぎじゃないか。それに音楽が流れて、踊るんだろ?」
「大丈夫だよ。他の人には見えないし、音楽も聞こえないから」
それなら問題ないかと、安心すると、カレンが、
「猛丸、試しに伊織をドキドキさせてみてよ」
と難しい要求をしてきた。
「いや、急に言われてもな」
「壁ドンすれば?」
そんな気障な真似、気は進まないが、この魔法の能力を見ておきたいというのはある。
「分かった。やってみるよ」
石動も同じ考えのようで、拒否の言葉を口にしなかった。
石動は壁を背にして、
「猛丸くんにされても、ドキドキしないと思いますが」
俺に、というのはいささか癪だが、確かに感情の起伏がない石動は、俺相手にこんなことくらいでドキドキはしないかも知れない。
「他に思いつかないんだから、とりあえずやるしかないだろう」
俺は石動の右肩の上の辺りに狙いを定め、壁に手を突き出した。
石動の顔が、息遣いさえ聞こえるほど近くにある。
見様見真似でやってみたが、これが正しい作法なのか分からない。
「どうだ?」
「全然ですね。吐き気がするので、とっとと離れてください」
やっぱりダメだったか。
俺の壁ドンでは、女の子をドキドキさせられないということだ。
うさうさうさ、うさぴょんぴょん――突然、間抜けな音楽がなり、石動の頭上に浮いていたダンシングラビット一号が、くねくねと不思議な踊りをし始めた。
「……えーと」
何かフォローを、と考えていると、顔を真赤にした石動が、拗ねた表情で俺を見上げ、
「何も言わないでください」
石動のプライドのために黙ることにする。
「伊織、今ドキドキした?」
カレンが有り得ない質問をした。
おいおい、こいつクレイジーかよ。
カレンは続けて、
「それがはっきりしないと、私の魔法が有効かどうか分からないでしょ」
言われてみれば、その通りだ。
しかし、この状況は、石動にとっては拷問に等しい。
石動は気の毒なほど困った顔をしていたが、ようやく聞き取れるかどうかという声で、
「……しました」
「なんて?」
「……ドキドキしました」
公開処刑が終わったところで、俺達は出発することにする。
「取材したい場所は決めています。まずは映画館に行きましょう」
石動が指定する映画館は、ここからすぐ近くだ。
歩き出そうとしたとき、「猛丸くん」と石動に呼び止められた。
名前呼びにまだ慣れず、石動の声が頭の隅に残る。
「手を繋いでください」
石動が右手を差し出しながら、頬を上気させている。
これも取材のため、ひいては罪滅ぼしのためだ。
俺は覚悟を決め、手を繋いだ。
石動の手は驚くほど小さく、柔らかい。
うさうさうさ――あの間抜けな音楽が聞こえ、二匹のダンシングラビットが奇妙な踊りを始める。
どうしても嘲笑っているように見え、動きも相まってその表情に腹が立つ。
「私も繋ぐ。えへへ」
カレンが俺の空いている手を握ってきた。
俺のうさぎだけがまた踊り出すと、石動の視線を感じた。
「むー」
「なんだよ」
「なんでもないです」
石動は少し不機嫌そうに頬を膨らませた。
服装や装飾品は三次元の女の人を見ていないと、古臭く、ダサい恰好になってしまうよね。
正直、苦手です。