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3章 1話 石動 伊織の秘密

 石動の部屋のインターホンを押したが、中からの応答はなかった。


 カレンが美志緒先輩に教わって作った煮物をお裾分けしに来たのだが、タイミングが悪かったらしく、どうやら不在のようだ。

 すでに美志緒先輩と桃音さんには渡していて、後は石動と柊を訪れ、その後俺の部屋で一緒に食事ということになっている。


「後でまた来ようぜ」


 俺は依然として開く気配のないドアから目を離し、体を翻そうとしたとき、


「開いてるよ」


 カレンの声と共に、ガチャッという音が聞こえた。

 振り返ると、カレンがドアを開けていた。

 鍵がかかっていなかったようだ。


「おい、まずいって」

「料理置いたらすぐ出るから」


 カレンは俺の制止を聞かず、躊躇なく上がり込んでいく。

 不法侵入だろ、これ。


 俺も仕方なく入室する。

 あくまで、カレンの暴走を止めるという使命のためだ。

 石動の部屋は無駄なものなく、簡素なのだが、ただ一つ特徴的なことがある。


 それは本棚だ。

 壁の一面を占領していて、そこにはぎっしりと本が詰められている。

 すごいもんだなと、圧倒されてしまう。


 カレンは部屋のあちらこちらを興味津々といった様子で見回している。


「あんまりじろじろ見るなよ」

「これなんだろう」


 注意した矢先、カレンが勉強机の前で目聡く何か見つけた。

 机の上に束になった原稿用紙が置いてある。宿題だろうか?

 何となく、本当に何気なく、視界に入れてしまった。


 タイトル――桜色の初恋。


 何だ、これは?

 夏休みでもないのに、読書感想文?

 いや、これは――。


 そのとき、背後から突き刺すような視線を感じた。


「何してるんですか」


 冷たい声音だった。

 室内の温度が一気に下がった気がする。

 振り返るのが怖い。


 慄然としながら、おもむろに振り返ると、石動が俺達を睨み付けていた。

 最悪の場合、通報される可能性さえある。

 同じクロユリ荘の住人で、知った仲であることと、カレンの善意と俺の良心の呵責が招いたということで、情状酌量を訴えるしかない。


「伊織、これ何?」


 カレンが原稿用紙を指差しながら聞いた。

 こんなときに何言ってるんだ。

 そんなことより、弁解の台詞を考えなさいよ。


 恐る恐る石動の顔色を窺うと、驚くほど青ざめていた。

 そして、瞬間移動のごときスピードで、原稿用紙を掴み、その紙の束を抱えて、部屋の隅で丸まってしまった。


 俺は嫌な予感をひしひしと感じた。

 しかし、何もできず、ただ棒立ちになる。


「もしかして、伊織って小説書いてるの?」


 カレンが、この状況で最もしてはいけない質問をしてしまった。

 室温はさらに下がり、もはや正常な人間が活動できる環境ではなくなってしまう。

 石動はしばらく黙っていたが、ようやく口を開いた。


「な、なんのことやら」


 完全に声が上擦っている。


「桜色の初恋」


 カレンが呟くと、石動がびくっと震えた。

 いたたまれない空気が居座る。


 怪訝そうな表情を浮かべるカレンが、これ以上余計なことを言わないように、俺はカレンの肩をたたき、


「石動がそう言うなら、別にいいじゃないか」


 そして、なるべく平静を装って、石動に声をかける。


「勝手に部屋に上がって本当にすまなかった。この詫びは近い内に必ずさせてもらう。そういうわけで、俺達はこれで」


 俺はカレンの腕を強引に取り、玄関まで足早に向かう。


「ちょ、猛丸?」

「いいから、さっさと出るぞ」


 有無を言わさず、カレンを連れて行く。

 カレンは石動に向かって大きな声で言う。


「伊織、テーブルの上の煮物、私が作ったの。食べてね」


 俺が慌てて靴を履こうとしていると、部屋の隅から声がした。


「待ってください」


 石動がゆらりと立ち上がった。

 その表情からは感情が抜け落ちていて、視線は虚空に投げられている。


「殺すしかない」


 ぽつりと呟いた。

 ん?

 聞き間違えかな?

 物騒な言葉が聞こえた気がしたが。


 石動がベッドの上の枕を掴み、俺とカレンに襲い掛かってくる。

 ぽふんっ、ぽふんっ、と細い腕で、何度も枕を振り下ろす。

 非力な石動から、ふかふかの枕で叩かれても全然痛くない。

 痛くはないが、石動の乱心は何とかしないといけない。


「落ち着けって」


 俺は石動を宥めようとするが、カレンは楽しみ始めているらしく、笑い声を上げながら、


「きゃー、伊織、痛いよー」


 石動はひとしきり暴れると、ようやく手を止めた。

 肩で息をしていたが、ゆっくりと呼吸を整え、俯き加減で言う。


「……内緒にしてください」

「なんのことだ?」


 俺はとぼける。

 だって、まだ決定的なことは聞いていない。


 俺とカレンは石動の部屋に入って、何でもない原稿用紙を発見して、そのまま退室するというだけだ。

 体裁的には、まだ何も起きていない。

 今の暴走も、石動の鬱屈した殺人衝動がふいに爆発しただけかも知れないではないか。


 石動が意を決したように顔を上げ、おもむろに唇を動かす。


「わ、私が、――私が恋愛小説を書いていることです」

石動メインの章。

クールな敬語後輩が好きな方は、ぜひ。

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